可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 城田圭介個展『Over』

展覧会『城田圭介「Over」』を鑑賞しての備忘録
Maki Fine Artsにて、2021年1月8日~2月7日。

観光地と観光客とをテーマとした作品から構成される城田圭介の個展。

《August 15, 2020 (Nijubashi Bridge)》は、白く塗られた画面の下部左側に日傘を差して歩くカップルが描かれている。そこから右方向にやや離れた位置に傘を差して一人歩く人物と警察官が、最初のカップルよりもやや小さめに描かれている。そこからまた右方向に距離を置いて3人の人物がさらに小さく描かれ、さらにその右方向に警察官が一番小さく描かれている。人の配置と大きさから、左手前から右奥へ向かって道があるように見える。広重の「東海道五拾三次」の鳴海宿を行き交う人々や、北斎の「富嶽三十六景」の江尻の道中で風に煽られる人々などを抜き出したような諧謔がある。それもそのはず、描かれた人物は、皇居の二重橋前で撮影したスナップ写真から抜き出されたのだ。もっとも白く塗り込められた画面から場所を窺い知ることは不可能だ。むしろ、タイトルによって、警官が存在する理由が明らかになるとともに、白く平板な空間に砂利が敷かれあるいはコンクリートが張られた空間が見えてくるだろう。都心の開発を免れる真空地帯としての価値も読み取れよう。画面に見える凹凸は、新聞紙に掲載された写真が下地に貼られているためであるが(作品の上下左右の側面には塗り残された新聞紙が覗いている)、新聞(=言論)が白く塗りつぶされることで、戦争=平和(8月15日)や皇居=天皇を巡る議論が等閑に付されている状況を表す意図も窺える。
観光地で撮影されたスナップ写真において、記念撮影の対象となる建築物やモニュメントを白い絵具で塗り込めたシリーズもある。相笠昌義が描く《お花見》において、人々が桜花に目をくれることがないように、名所において「見るべき」建築や彫像が顧みられることはないことを揶揄するかのようだ。そこにあるのは、自己イメージの肥大化あるいは増殖に対する欲望だけだ。観光客の足元など、写真からフレームアウトした人々の部分が写真の周囲の紙に描き足されているのは、その欲望を表現するためであろう。
上記2つのシリーズとは逆に、《遺跡と落書きのある風景》や《ミュージアムのある風景》などでは、人物の部分にだけ筆が加えられることで観光地のスナップ写真から人の姿が消去されている。新型コロナウィルス感染症によりロックダウンされた風景を思わざるを得ない。また、人物が絵筆によって塗り込められていることが筆跡によって確認できるという点では、精巧なフェイク画像の氾濫する社会を諷刺する狙いも見える。それは、裏表を交互に繫いだ写真による作品からも窺える。紙に焼いた写真は、ひっくり返す(turn over)と白紙である。そこに、過去(写真の画像)がどうであれ、未来(白紙)に描かれる内容次第で現在の評価は変えられるという可能性を作者は見ているようなのだ(画像の外に描画を付け加えるという発想もそのようなプラス思考を反映してのことであろう)。そして、それと同時に、過去(写真の画像)の書き換え(make over)がもたらす害悪が社会の終焉(over)をもたらすと見ているのではなかろうか。「プラスとマイナスが同時進行であること。」を念頭に置いて作者は制作に当たっているからである。