可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 宮田雪乃個展『うなずき』

展覧会『宮田雪乃個展「うなずき」』を鑑賞しての備忘録
LEESAYAにて、2021年1月16日~2月14日。

宮田雪乃のドライポイントによる版画12点を展示。

「壺に沈む」シリーズ3点のうち、《壺に沈む#4》は、焦げ茶色の木製のテーブルの天板の上であろうか、左右に2つの壺が置かれている。朱の輪郭で表された壺には、それぞれ細い葉が特徴的なアレカヤシか何かが活けられているのが、志野焼の絵付けのような洒脱な線で描かれている。右の壺の中には黄色に塗りつぶされた円が描き込まれている。満月が、タイトル通り、壺の中に沈んだかのようである。もっとも「満月」の右端は画面によって断ち切られてしまっている。他方、左側の壺には、左端に黄色い半円が覗いている。どうやら右の壺の「満月」と左の壺の半円とが繋がっているようなのだ。「壺中の天」という言葉のように、壺の中には異世界が広がっているのだろうが、作者の「壺中の天」はそれぞれが繋がっているようなのだ(《壺に沈む#2》において、3つの壺が癒着したかのように描かれていることからも窺える)。画面の中央、壺と壺の間には、白い壁(?)を背景に猫のシルエットが浮かび、上下反転したその白い影が天板の上に映っている。作家は、壺の中と外とを自由に往き来する方術を操る方士であるようだ(《祖父の凧》は凧の骨組みを用いた作品であり風の存在を前提とする一方、《きりんの壺》では作品の中に風を呼び込むように描き込んでおり、少なくとも風は操っている)。

《皿と卵 テレビの中》は、皿の上に置かれた卵を描いた部分が「映像」であり、それを囲む幅広の枠がテレビであるのだろうか。「映像」は、テレビを描いた作品の画中画となる。さらに画中画の卵が皿の上で立っていることから、卵の殻の中には自立した異世界が広がっているとの空想に誘われる。マトリョーシカのように、入れ籠の世界が作品の奥深くに永遠に広がっていくのだろう。

《傾く壺》は、三輪の花を挿した壺をモノクロームで表し、壺の底に接するか接しないかという位置に濃い緑色の太い直線が大胆に描き入れられている。この緑の線によって、壺が右側に傾いでいることがより明確になる。三輪の花のうち中央の花の茎がまっすぐ上に向かうことで、壺の口縁の傾きが強調されるとともに、緑の線に対して垂直のラインを構成している。左に傾く花を小さく、右に向く花を大きく描くことによっても、右へのベクトルを感じさせる。葉の一部を線路と枕木、あるいは地図上の特殊鉄道の線のように表していることも鑑賞者を惹き付けるのに一役買っている。

《ばってんの枠》は、壺や植物を描いた中に、四角形の四辺に×印を描き込み、その中にだけ緑色で(おそらく)葉が描かれている(葉先に遇われた赤い点も気になる)。志野や織部に表されている幾何学的な模様が呪術的意味合いを籠めて描き入れられたように、「ばってんの枠」もまた結界の機能を期待して表されたのだろう。