可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『Gift of Words』

展覧会『ignore your perspective 56「Gift of Words」』を鑑賞しての備忘録
児玉画廊にて、2021年1月23日~2月27日。

糸川ゆりえ、清原啓、野島健一の3名の作家を紹介するグループ展。

糸川ゆりえ《呼吸について》
「二十頭身」くらいに小さく表され頭部から豊かな金色の髪が垂れている女性。青いセーターにグレーのスカートを合わせた女性の身体は、頭部に対し極めて大きく表され、背後にゆっくりと倒れていくように、斜めに描かれている。口から気泡のような円が3つ上に上がっており、揺蕩うような姿勢と相俟って水中にいるようにも見える。背景は赤銅色の上に白い絵具が淡く刷かれ、ところどころに黒い円や銀の点が配されている。画面下部には低木あるいは草(あるいは水中ならば海藻だろう)が青で表されている。髪の毛の金、背景の赤銅、散らされる銀色の粒といった輝く色が光を表し、それが水や植物と組み合わさることで、水を光分解する過程で酸素を発生させる光合成をイメージさせる(近くに展示されている《森を歩く》の女性のスカートに植物細胞のようなデザインを見るとなおさらである)。

清原啓《10月》
木枠に張られていないキャンヴァスが壁にピンで留められている。描かれているのは、新橋駅の鉄道高架下。奥では、緑色の橋脚の間を自動車が走り抜ける。手前の歩道では、半透明のビニール傘を挿したマスク姿の女性が足早に通り抜ける。右手には傘を差した男女二人が信号待ちのためか立ち止まっている。左手にはケータイ電話で通話中の黒いマスクの男が佇む。急ぎ足の女性と電話の男の間、緑色のガードレールの脇に敷物を敷き、閉じたビニール傘を前に置いて蹲る男性がいる。その姿は、キャンヴァスの掛けられた壁の前に置かれた台座上の楕円形のパネルにも、クローズアップするように描かれている。パネルの裏に作家が書き込んだ解説によれば、その人物は、祈りを捧げているらしい。明かりの点っていない二叉の街路灯の1つが、祈りを捧げる男性に向けられるかのように立っている。男が目の前のビニール傘を開けば、それが依代となって光が降り注ぐのかもしれない。上か下かという位置の違いはあるが橋が舞台であり、傘を差して右方向に立ち去る女性というモティーフに着目すれば、下村観山の《春雨図屏風》(右隻)に通じるものがある。《春雨図屏風》(左隻)の、すれ違った人に、一瞬の間を置いて何かに気が付き、振り返る女性(傘で顔が隠されている)の動きが、本作のビニール傘の女性(マスクと傘で表情が見えない)の描かれざる爾後の行動として重ね合わされる。二叉の街路灯と並び立つ赤い消火栓標識には、「消火栓」ではなく「消化栓」と描き込まれている。そこには「消化せむ(I will digest it.)」。すなわち、「理解しよう(I will digest it.)」との作者の意志が表明されている。キャンヴァスの上端からほつれた糸が「消化栓」に向けて垂らされている。釈迦のたらす蜘蛛の糸だ。この作品は、その糸を切らさない思考へと誘うだろう。
蛇足ながら、《10月》の右隣に展示されている《7月》は、紙パック酒の「鬼ころし」と、男性の腕のつくる三角形(男性はキャンヴァスとは別に、セットで展示されている不等辺三角形のパネルにも改めて描かれている)との組み合わせにより、「鬼滅」(鬼ころし)の「刃」(三角形)を連想させる。

島健一《Time Ring》
円形の壁掛け時計の針が1時7分12秒を指している。12と1の辺りにはユリのような花が1輪描かれ、時計の針を茎に見立てて、時計の中心にはリボンが表されている。時計の長針・短針秒針は銀色のリングで留められている。秒針がわずかに動くが、時が進むことはない。輪はコロナ(光輪)であり、新型コロナウィルスが社会を停滞させていることのメタファーとなっている。足踏みすることで長らえる花もあると、コロナ禍を福と転じる視点を呈示している。