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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『小村雪岱スタイル 江戸の粋から東京モダンへ』(前期)

展覧会『小村雪岱スタイル 江戸の粋から東京モダンへ』(前期)を鑑賞しての備忘録
三井記念美術館にて、2021年2月26日~3月14日。※一部展示替えを行った後、2021年3月16日~4月18日で後期を開催予定。

小村雪岱(1887-1940)の作品を中心に、影響関係のある江戸の浮世絵や明治の工芸品、さらに現代作家の作品までを合わせて展観する試み。

展示前室・展示室1・展示室2はハイライトになるのだろうか。原則として作品ごとに別の展示ケースで紹介されている。展示前室では、泉鏡花日本橋』[1-54] 、本田聖流《輪廻》[2-61]を展示。展示室1では、《雪兎》[1-26]、「柳に梅花図帯」(『小村雪岱画集』表紙絵)[1-36]と林小伝治《梅に鶯図香合》[2-14]、《春雨》[1-35]、上野玉水《群雀木彫置物》[2-25]、泉鏡花『愛染集』[1-57]、《夜雨》[1-28]、《おせん 縁側》[1-18]、鈴木春信《夜更け》[1-131]、《A Beauty》[1-23]、 邦枝完二『繪入草紙 おせん』[1-80]、《おせん 暮》[1-20]を陳列。展示室2は、《おせん 雨》[1-19]1点だけを展示している。
展示室3では、《雪の朝》[1-39]、《落葉》[1-38]、《青柳》[1-37]の3点をセットにして壁面に並べる他、茶室の如庵で《写生 ヤマユリ》[1-40]に合わせて松本涼《枯山百合》[2-58] や小黒アリサ・彦十蒔絵《見立漆器「鋏」》[2-64]を紹介している。
展示室4では、まず、部屋の壁に沿った展示ケースに肉筆画・木版画が展示されている。《櫻》[1-3]、《赤とんぼ》[1-2]、《月に美人》[1-5]、《こぼれ松葉》[1-4]、《七夕》[1-6]、《蛍》[1-33]、《盃を持つ女》[1-1]、《涼味》[1-32]、《春雨》[1-31] 、《筑波》[1-30]、《見立寒山拾得》[紙本墨画:1-16、木板多色刷:1-17]、《柳橋》[1-7]、《奴凧》[1-13] 、《舞鶴》[1-48]、《雛》[1-53]、《梅》[1-8]、《碧鳥》[1-10]、《神域》[1-11]、《朝陽紅梅》[1-12]、《木場風景》[1-15]、《月》[1-29]、《河岸》[1-27]、《燈影》[1-24]、《お傅地獄 傘》[1-21]、《お傅地獄 入墨》[1-22]、《夜景》[1-14]。この他に模写作品や、 一部の工芸品も並べられている。また、中央の展示台では、装幀本が紹介されている。
展示室5は、挿絵原画(里見弴『闇に開く窓』、吉川英治『遊戯菩薩』、矢田挿雲『忠臣蔵』、土師清二『旗本伝法』)と舞台装置原画の展示に充てられている。
展示室6は、鈴木春信の浮世絵のコーナーとなっている。
展示室7では、櫛、簪、煙管、帯留、印籠、棗をはじめとした工芸品が紹介されている。

展覧会の冒頭に展示されている泉鏡花日本橋』[1-54] 。鏡花自らが雪岱を装幀担当者に抜擢し、以後二人で数々の本を生み出すきっかけとなった記念すべき作品。表紙に蔵が並ぶ両岸の間を行き交う舟と、飛び回る多数の蝶が表されている。河岸の蔵の間で飛び交う2頭の蝶を眺める女性を描いている《河岸》[1-27]は、この表紙からの派生作品だろうか。同様に、表見返しの、柳の枝が枝垂れた先に、鼓と三味線とが描かれている絵は、《青柳》[1-37]に転生している。

《雪兎》[1-26]には、しんしんと降る雪の中、右手で傘を差した少女は、左手で雪兎を手にして、屈んでいる。白っぽい地面と灰色がかった背後の空間とは、少女の帯の下で水平に分割されている。雪兎に真剣な眼差しを注ぐ少女は、大きな傘の下でしゃがむことで、大きな耳の下で体を丸める雪兎のアナロジーとなっている。一体化した二人だけの世界は、雪と傘とによって二重に覆い隠されている。そして、その親密な世界を窃視する楽しみを鑑賞者に提供するのだ。《月》[1-29]では、松の木の下にしゃがみ込む女性を描く。月は描かれず、地面の樹影が明るい月の存在を想像させる。傘ではなく松樹の陰ではあるが、しゃがむ姿勢や月のメタファーとなる兎とともに、《雪兎》を連想させる作品である。

《春雨》[1-35]には、垂直に引かれた線で雨が途切れ途切れに画面全体に表されている。中央よりもやや下の位置に、鳥が、1羽、2羽、2羽、2羽、1羽、2羽、1羽と、横に並んでいる。雨の線と鳥の位置とが図形楽譜として読むことを誘う、音楽を感じさせる作品。白い青い鳥の中に、1羽だけ緑の鳥がいるのがアクセントになっている。《おせん 雨》[1-19]でも垂直の線で雨を表しており、画面の下3分の2を埋める16の傘が角度の違いによる様々な姿によるシンフォニーを奏でている。また、団扇絵として実際に用いられたと思しき《涼味》[1-32]においては、女性が浅瀬に入っって魚を見つめる様子を描くが、レオ・レオニの『スイミー』よろしく(赤と黒とは逆転しているが)一匹だけ色の違う赤い魚に、画中の女性とともに目を奪われる。

泉鏡花『愛染集』[1-57]の表見返しには、雪が降り続く中、吉原の建物を右手に、鉄漿溝とそれに沿う道が手前から奥へと真っ直ぐに伸びる光景が描かれている。道の途中には、一人の着物姿の女性が立っている。藍色で表された冷たい鉄漿溝、灰色で塗り込められた建物や空が一人佇む女性によって厳然な雰囲気を高めている。降り続く雪があたりの音を吸収する効果が、鉄漿溝の先の消失点に向かって線が集中していることと相俟って強調され、静寂な世界が立ち上がる。

《おせん 縁側》[1-18]は、縁側の床板、簾などの直線と、縁側に佇む女性の浴衣の縞とが呼応する。同時に、床板や簾などの直線の鋭さに対して、床板や縁側の外まで垂れる浴衣の裾、さらに羽織った浴衣がずれて露わになった豊かな乳房の膨らみの柔らかさが強調されている。女性の顔や、ひねりのある衣装の表現には、傍らに並べられている鈴木春信《夜更け》[1-131]など、鈴木春信の作品の影響が濃厚である(展示室6の小さなスペースには鈴木春信の作品がまとめられ、その画風をつかめるようになっている)。

邦枝完二『繪入草紙 おせん』[1-80]の表表紙には、屏風の裏に襦袢姿の春信風の女性の肩から上がのぞいている。裏表紙には、同じ女性の顔を背けて首筋から肩をのぞかせた姿が描かれている。表紙を利用してエロティックな仕掛けが施されている。

《青柳》[1-37]は、2挺の鼓と1挺の三味線が置かれた部屋の十畳ほどを俯瞰して描いたもの。画面下(手前)に中庭、縁の下の竹垣(?)、縁側、畳、襖、野地板(?)、瓦が層状に並び、それぞれの「層」には表情の異なる線が表されている。清楚な空間に人気が無く、静けさが感じられる。それと同時に、画面全体を覆う枝垂れ柳の枝が、建物のつくる水兵の線に対して触れることで、三味「線」を掻き鳴らすイメージを生んでいる。鑑賞者が静寂から音楽を聞き取らせることは、画面の中央に置かれた楽器の力に与っている。

《赤とんぼ》[1-2]では、藍染めの暖簾から国貞風の女性が顔を覗かせ、画面左手の赤とんぼに目をやっている。濃紺の暗い画面から、桃色の襟と赤い櫛とをアクセントに添えた白い顔が華やかであるとともに、ぬっと首だけが飛び出す面白みがある。これほど強烈ではないが、川船の簾から顔をのぞかせる女性を描いた《夜雨》[1-28]という作品も展示されている。

《月に美人》[1-5]は団扇絵の画面に、欄干にもたれかかって有明月を眺める女性を斜め後ろから捉えた作品。闇の中に橋の欄干が太い線を浮かび上がらせ、女性の柔らかな体のライン、とりわけ白い首筋が強調されている。天空で微かに円弧を描く月と、地上で表情を見せない女性とが共鳴するのが魅力。鑑賞者に女性の表情の想像させるよう導く。

《こぼれ松葉》[1-4]は縦長の画面の下方、3分の1程度に着物姿の女性を描く。女性は左上を見上げており、その視線の先には今落ちようとする松葉がある。女性の足元にはいくつかの松葉が描かれている。画面の上部3分の2ほどは松葉以外何も描かれていない。その結果、松葉が地面に落下したときには音が伝わってきそうな静寂さが感じられる。また、松葉の落ちた下部から女性の足元へ、女性の身体に視線を這わせて画面情報へと、視線をしたから上へと誘導する効果も生んでいる。

《蛍》[1-33]は丸い画面を濃紺で塗り込め、左手の蛍の光と右手の女性の顔を対峙させている。女性が蛍を捕まえようと慎重に近づく様子が、蛍をつかもうとそっと伸ばされた左手と、蛍に向かって屈むような姿勢とで的確に表されていて楽しい。

《盃を持つ女》[1-1]は赤い盃を左手で差しだす女性像。女性の姿は画面左端で大胆に切られ、左半身の帯から上だけが描かれている。桃色の字に白い点が散らされ、蝶が表された着物には、緑色の帯が合わされている。結った髪には大きな鼈甲の櫛と簪とが挿されている。女性の力強い視線は画面の右方向の描かれていない人物に向けられている。盃は女性自身を表すのだろう。それを受け取るのは一体どんな人物か。

《筑波》[1-30]は遠く筑波山を臨む女性の後ろ姿を描いた団扇絵の画面。春信よろしく足元はひねりが入った姿で表されている。女性の前には水辺を表す濃淡の藍が引かれ、灰色の線が手前を縁取っている。左手に垂らされた細い線による柳の枝によって川岸の景がさっと立ち上がる結構。女性には筑波山しか目に入っていないことが、遠景と前景以外は白く残されることで示される。身分違いの男性を一途に思慕する女性を描いた作品であろう。

《見立寒山拾得》は墨絵[1-16]のものと多色刷の木版画[1-17]が並べて展示されている。禅画で取り上げられる「寒山拾得」の見立てを鈴木春信も手掛けており、文を持つ男または女が寒山に、箒を手にする女が拾得に、それぞれ見立てられている(本展に出展されていないのが残念)。雪岱は、柏の葉(?)に筆で何かを書き付ける「寒山」と、それを見守る「拾得」とが寄り添ってしゃがむ女性で表している。墨絵[1-16]では、「拾得」が手を祈るように組み合わせ、左脚の形が二人で共通している。また柏の葉が一枚脇に落ちている。木版画[1-17]では、二人の対面する形がはっきりし、「拾得」は右手で袖を左手で寒山の手元を覆うようにしている。また、周囲には小さな落ち葉がたくさん散らばっている。

《燈影》[1-24]は、閉じられた障子の前で、縁側にしゃがみ込む女性が、庭や縁側に映った桜樹の影を見つめている。樹影をもって日射し(=燈影)を暗示するように、画中に影のみで姿を見せる桜花は女性の着物に鏤められた桜の模様によって代替される。咲き誇る桜ではなく、散った花びらに女性は自分を重ねているのかもしれない。