可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ベイビーティース』

映画『ベイビーティース』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のオーストラリア映画。117分。
監督は、シャノン・マーフィ(Shannon Murphy)。
原作は、リタ・カルニェイ(Rita Kalnejais)の戯曲『ベイビーティース(Babyteeth)』。
脚本は、リタ・カルニェイ(Rita Kalnejais)。
撮影は、アンドリュー・コミス(Andrew Commis)。
編集は、スティーブ・エバンス(Stephen Evans)。
原題は、"Babyteeth"。

 

グラスの水に落とされた乳歯が底へと落ちていく。
ミラ(Eliza Scanlen)は女子校に通う16歳。金髪を赤いゴムでポニーテールにして、制服の臙脂のブレザーに垂らしている。学校からの帰り、駅のホームに1人立ち、電車を待っている。近くでは同じ学校の生徒たちがおしゃべりをして盛り上がっている。構内は禁煙ですとのアナウンスが流れる。ホームに電車が滑り込んでくる。後ろから銀色の車両に向かって突進する男(Toby Wallace)がミラにぶつかる。男は車両に触れるギリギリ手前で立ち止まる。電車に乗り込んだ同じ制服姿の少女たちが手招きするが、ミラは電車に乗らない。男に心を奪われたのだ。男は自分を見つめるミラに声をかける。キラキラの輪っかあんじゃん、髪光ってっから。ミラも男の頭を見る。サイドを刈り上げた短髪だが襟足は長い。ここ傷あっからさ。男はこめかみを示す。ミラは触れさせてもらう。鼻血! 男の指摘にミラは気まずい思いをする。男はシャツを脱いでミラの鼻にあてがい、ミラを横たわらせる。臭うよ。シャツには男の臭いが染み込んでいた。お願いあんだけど。俺さ、寝るとこねーし、金もさ。ミラは男に50ドル紙幣を差しだす。細かいのねーの? じゃ、しゃーない。金を受け取った男は、裸のままシャツを肩にひっかけた男は到着した電車に乗り込む。ホームからミラは男に声をかける。私もお願いがあるんだけど。
モーゼスという男に連れられて行った家で、ミラは彼に髪の毛をカットしてもらう。室内にはトリミング・コンテストのトロフィーや写真が飾られている。モーゼスはミラの金髪に犬用のバリカンを当て、固まりとなった髪の毛が次々と床に落ちていく。犬たちはそれを眺めている。住人が帰ってくる気配がすると、モーゼスは慌ててミラを促し、ともに勝手口から出ていく。バイオリン! モーゼスが部屋に戻りバイオリンを手にして出ていこうとしたところで、母親とアイザック(Zack Grech)に出くわす。モーゼスはアイザックに声をかけるが、母親は出ていかないと通報すると電話を取り出す。モーゼスは退散する。
精神科医ヘンリー(Ben Mendelsohn)の診察室を妻のアナ(Essie Davis)が訪れている。ヘンリーはサンドイッチを食べながら妻の診察に当たっているベッドに横たわっているアナが次の診察まで時間があるでしょうとヘンリーを誘う。ベッドから起き上がると下着を降ろす。顰め面じゃない。デスクの上のミラの写真をアナが評する。眩しがってるだけだ。患者には評判がいいんだ。デスクに腰掛けたアナの両脚の間にヘンリーが体を割り込ませる。行為に及んで間もなく電話が鳴る。出ないと。ヘンリーは受話器を取り、指示を与える。アナが立ち去る。
夕食の席に、ミラはモーゼスを伴い、ヘンリーとアナに紹介する。

 

重い病に冒されている16歳のミラ(Eliza Scanlen)が、盗んだ薬を売ることで日銭を稼いでいるモーゼス(Toby Wallace)と運命的な出会いを果たし、恋に落ちる。その顚末。
病気のために普通の女の子の生活を送ることが難しいミラの境遇を、同じ学校の生徒のいるホームに1人佇む姿で示す。銀色の電車に飛び込むモーゼスの刹那的な姿に目を奪われ、彼の傷に触れ、自分の血を彼のシャツに拭ってもらうことで、彼女が彼に心を奪われるという冒頭のシークエンスは乱暴的とも言えるほど強い。その力に観客はねじ伏せられてしまう。制服にバイオリン、(シャツを脱いで)半裸かつ手ぶら、というミラとモーゼスの境遇の差も瞬時に印象づけられる。
残された時間に様々な体験をしたいミラがモーゼスを導き手に未知の世界へと大胆に飛び込んでいく。モーゼスはミラの気持ちに応えようとする優しさを持ち合わせてはいるが、ミラの抱えている問題が重すぎるために耐えきれず、つい逃げ出してしまう。だが重すぎるのは、モーゼスにとってだけではない。アナ(Essie Davis)は抗鬱剤睡眠薬に頼らざるをえないし、ヘンリー(Ben Mendelsohn)の心境は、どこかに消えてしまう(呼びかけても姿を見せない)、トビー(Emily Barclay)の飼い犬「ヘンリー」に重ね合わされる。
ミラの病気の進行を婉曲的に表現することで画面の美しさを損なわない。学校のトイレでのミラと同級生とのやり取りなど、さらっとヒリヒリする場面を描いてしまう。軽やかな映像で重い心理を伝えることを可能にすべく、予告的な「章題」が随所に導入される。映像を透かして見るべきものが見えてくる。

以下、結末にも触れる。

冒頭で挿入される艶やかな色の鳥は「空の一部になる」ミラの姿を予告する。「最終章」の鮮やかな緑のウィッグとドレスは飛び立つ準備が出来たことを示す。
内容を予告するに章題が物語の進行を刻むように表示されるのは小説的な演出に見えたが、もともと脚本家の舞台作品であった(クローシング・クレジットに表示)。舞台の名残はほとんど感じられないが、その中、バースデー・パーティーの翌朝という重要なシーンは、場面をリヴィングに固定して舞台的な演出がなされていた。朝食を採るヘンリーとアナ。2人は娘がセックスしたか話題にしている。モーゼスがふらふらと現れる。朝食を持っていくというアナ。ヘンリーは認めたくない現実を悟り、激しく心を揺さぶられている。アナが取り乱して戻ってきて、お別れができなかったとモーゼスを責める。亡くなったミラの姿を映さず、3人が遺された者であることを示す。
最後の海岸の場面は、種明かし的なエピローグとなっている。そして、誰もいなくなった海岸から、海と空だけが映し出される。音楽は止み、クロージング・クレジットへと流れていく。
乳歯がコップの水に沈んでいくのは、少女の終わり、すなわち女性になることであるとともに、少女の姿のまま生を終えることでもある。冥界へ落ちるかのように沈んでいくイメージ。それは「空の一部になる」飛翔のための力を生むだろう。