展覧会『VOCA展2021 現代美術の展望―新しい平面の作家たち―』を鑑賞しての備忘録
上野の森美術館にて、2021年3月12日~30日。
美術館学芸員らに推薦された40歳以下の作家30名による平面作品の新作を展観。
神山亮子推薦作家・榎倉冴香の《東京ガールフレンズ 2020》は、パブロ・ピカソの《アヴィニョンの娘たち》を下敷きに、4人のヌードの女性を中心とした作品。《アヴィニョンの娘たち》が、白い布などを背景に5人の女性をピンク系の色で抽象的に誇張して表現されているのに対し、《東京ガールフレンズ 2020》は4人のモデルを写実的に描きつつ背景と同じ青系の色でまとめている。背景に描かれる布は、植物や花鳥や縞など様々なデザインが施され、観葉植物(?)や果物の存在とともに、女性の裸体をカムフラージュしている。左端の女性が皮を剥いたバナナを左手に持っているのが意味深である。上方に視線を送る彼女がしれっと男性(バナナ=男根)を食べてしまうかのようだ。バナナの女性の膝の辺りには仮面がある。仮面の下から引き出されているシーツは、左から2番目の女性の左手によって引っ張られている。仮面が男性の頭部で、シーツがその男性の体であり、左から二番目の女性によって左腕を摑まれて画面に引きずり出されているようにも見える。女性が一方的に眼差しの対象となる舞台(=画面)に男性も立たされようとしているのだ。右端の「5人目」の女性は、他の4人とは描き方が変えてあり、背景画ないし画中画として表されているが、左目を大きく誇張して鑑賞者の方を見据えている。鑑賞者が作品をどう見ているのかを監視(あるいは吟味)するかのようである。
今井朋推薦作家・尾花賢一の《上野山コスモロジー》は、上野公園や周辺地域を、つげ義春などを髣髴とさせる漫画で表し、大小のコマを額や木枠に入れたもの、あるいはそれらから外れたようにしたものを、組み上げて展示した作品。藝大の美術教育としてのヌード、写生に対して、成人映画その他の性風俗における裸体、射精。動物園の動物や博物館の剥製と、ゴミを漁る烏やネズミの死骸。「文化の杜」の名の下に等閑に付されている物事に対し、等価な眼差しを注いでいる。かつて、上野公園で開催された「UENOYES」というイヴェントでは、ホームレスを排除した公園に、ホームレス経験者を集めた舞踏集団を招いて、「社会的包摂文化芸術創造」と謳っていたのに怖気を震ったこと(2018年の出来事)があった。美術家や美術関係者の中には、文化の杜の中に点在したブルーシートの住まいが目に映っている人がちゃんといたのだ(しかも、ブルーシートの住まいを描いた「森の奥には あの人が住んでいた」のコマは作品の中核となっている!)。「UENOYES的なるもの」とは異なった価値観を持つ人がいることが確認できただけでも収穫である。画面右上の"CKS COFFEE"の左手には"FU"の文字を幻視するのは私だけだろうか。
牧野裕二推薦作家・八木佑介の《共喰い》は、縦長の画面の中央やや下部を消失点として、そこへ向かう直線の道と、その両脇に並ぶ電柱、それらを繫ぐ電線を、モノトーンに近い色調で描いた作品。右手前に描かれた電柱などは異常に高く伸びており、実際の電柱の倍くらいありそうだ。そのような背の高い電柱が描かれているためか、電線の数も多い。碍子やトランスだけでなく、電柱の間隔が左右の列で異なっていることも、単調さを回避するためのアクセントとなっている。道の両側の空間を埋める線は何を表すのか、タイトルも「共」(=複数)の「杭」であること以上に不穏な含みを伴っていることから、気になってしまう。因みに、練馬区立美術館では「電線絵画展」と題し、電柱・電線をモティーフとした絵画作品の展観が行われている。
鎮西芳美推薦作家・水戸部七絵の《Picture Diary 20200910》は、大英博物館の礎を築いたハンス・スローンの巨大な肖像画。豊かな金髪を表す黄色い絵具、口を表す赤い絵具を始め、絵具がこれでもかと塗り重ねられている。画面に近づくと、色とりどりの絵具の塊がのた打つように混ざり合う激しさに目を奪われ、肖像画としての性格は雲散してしまう。ブラック・ライヴズ・マターに関連して、ハンス・スローンのコレクションの一部がジャマイカの砂糖農園の奴隷労働からの資金で賄われていたことが問題視され、彼の胸像が移設された出来事を扱っている。胸像の立体的な造形を絵画に落とし込むとともに、ブラック・ライヴズ・マターの運動の高まりを画面に再現した作品。
慶野結香推薦作家・盛圭太の《Bug report(Booster)》は、糸を切ってグルーガンで貼り付けることを繰り返して描画した作品。何かの装置のように幾何学的な形態が積み上がっている様子に加え、額装の表面カヴァーの存在が、マルセル・デュシャンの《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》を強く連想させる。
中村史子推薦作家のの岡本秀《複数の真理とその二次的な利用》は、劉貫道の《消夏図》を下敷きにした絵を描いた襖を縁や引手を付けることで画中に再現し、襖を開いた先には二部屋が姿を見せ、画面の中央奥には白い正方形を配した作品。劉貫道の《消夏図》は画面に屏風絵を描くことで、画中画による入れ籠を生じさせた作品。作家はこの作品を元にした図像を4枚の襖絵に表し、うち2枚を左右に動かすことで、襖同士が開閉のために別の層に位置することから生じる画面のズレを露悪的に見せている。襖絵の画中画としてダミアン・ハーストのホルマリン漬けの牛を連想させるイメージを挿入し、画面相互の断絶を強調する。襖を開いた先に、畳や天井板などを写実的に表した二間の空間を介在させた後、借景が存在するべき場所には、白い画面を置いている。絵画が、外部など存在しない平面に過ぎないことを鑑賞者に突きつける。
井関悠推薦作家・弓指寛治の《鍬の戦士と鉄の巨人》は、満蒙開拓民をテーマに、リュミエール兄弟による黎明期の映画のような構図で、蒸気機関車が脱線して人々が列車に轢かれる姿を描く。夜空へと続く列車は中村宏の世界を思わせるが、不穏な空気は漂っていない。漫画タッチのキャラクターと、補色を活かした鮮やかな色遣いによって、悲劇をオブラートに包むように表現しているのだ。畑の畝を集中線のように用いているのも印象的。