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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)』

展覧会『第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)』を鑑賞しての備忘録
川崎市岡本太郎美術館にて、2021年2月20日~4月11日。

「自由な視点と発想で、現代社会に鋭いメッセージを突きつける作家を顕彰する」岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)。第24回の応募作品616点から入選作家24名の作品を展示。

さとうくみ子《家中ピクニック装置》
展示区画の中央に、籠のような目の粗い屋根を持つ狭小だが高さのある東屋。3本ある柱のうち2本には何かを抽出している(様子を表す)装置が取り付けられている。「東屋」の脇には、ガラスの器物がご神体のように収められた祭壇然としたものが鎮座し、その台座から茣蓙のような敷物が手前に向かって広げられている。手を伸ばす子供の人形が取り付けられた装置、米粒を模した装飾が取り囲む台座付の装置、何かを祀る小祠のようなもの。茶色と白を基調とした落ち着いた色味で統一されている、得体の知れないオブジェの群れ。これらはタイトルにある通り、屋内でピクニックを行うための装置らしい。「自然、食事、遊びなどのセットが積み込んであり、自由に展開させ、ピクニックを楽しむことができる」と作者は謳っているが、「のほほ~ん」とピクニックを楽しむどころか、奇怪な装置を前に「なんだ、これは!」と途方に暮れるしかない。装置を取り囲む三方の壁には、方眼用紙に描かれた装置の「設計図や取扱説明書のようなモノ」が7列3段ずつ貼られている。おにぎりなど食事を制作する装置や、屋内に自然を導入するシステムなどの図解には矢印が描き込まれ、仕様書や説明書らしさを演出している。もっとも、力士など人物と建材のようなものを組み合わせたコラージュなど、マックス・エルンストヤン・シュヴァンクマイエルの系譜に連なるような、設計や使用法の説明になっていない図面がほとんどだ。《家中ピクニック装置》の名宛人は、必ずしも人間ではないのかもしれない。人類無き世界におけるピクニックを幻視させる装置として、より良く機能する作品に見えて仕方がないのだ。ところで、本作品には、屋内でピクニックを実現する実益に基づいた合理主義と、材料の選択と接合の脈絡の無さに見られる非合理主義とが、世阿弥の「有文を極め過ぎたる無文」のように、重ね合わされている。両者の重ね合わせにより生まれるスパークを作品に見るなら、岡本太郎の主張した対極主義との親和性も高いと言えよう。

小野環《再編街》(特別賞受賞作品)
「高度経済成長期、中流家庭のステータスシンボル」であった百科事典や美術全集などを利用して作られた団地、美術館、書棚(?)の模型が、3つの展示台に分けて展示されている。上から見るとY字型の「スターハウス」3棟を含めた7棟で構成される団地は、屋上の給水塔とベランダが印象的で、書割のように建物の表側だけ作られている。美術館は、ピロティや中庭のイサム・ノグチの彫刻から「カマキン」を再現したものと分かる。美術館の隣には、井の頭自然文化園のアトリエ館の内部を思わせるような彫刻作品の展示スペースが広がっている。書棚の展示台には、高く積み上げた書棚を始め、様々な本が棚やテーブルに乱雑に置かれている。左手にある本が右手に向かって本や本棚のミニチュアへと形を変じていくような構成となっている。否、団地から彫刻のアトリエへ、アトリエから美術館へ、美術館から書棚へ、書棚から本へと、時間を遡るが如く反時計回りに規模を次第に小さくすることで、元の書籍の姿へと戻る過程を見せる構成なのであった。

唐仁原希《虹のふもとには宝物があるの》(特別賞受賞作品)
4枚の絵画で構成。左の壁面の左側に金髪の少年を抱えるシロクマ、その右側に白いドレスを着た少女、中央の壁面にはマトリョーシカが並ぶ森の中の群像、右の壁面には黒い髪の少年と一角獣。巨大なマトリョーシカが7体並ぶ森の中。2人の少年や半人半獣の姉妹、妖精やシロクマ、仔ヤギが集まる。赤い絨毯の敷かれた上に置かれた1体のマトリョーシカが割れ、中から魔法使いが姿を現す。人の上半身と鹿の下半身を持つ少女は、鹿の下半身を忌み嫌って捨て去ることを魔法使いに願った。彼女は下半身を無くす代わりに蝶の力を手に入れた。彼女の纏うドレスのスカートは、クリノリンを身につけることで大きく広がっているが、中には闇があるだけだ。脚の悪い少年は松葉杖を忌み嫌って捨て去ることを魔法使いに願った。彼は松葉杖を突く代わりに、虹に捕まって歩くことになった。寝間着姿の少年。全ては彼が見る夢なのだ。彼が寝ている間に家は火に包まれた。彼は夢の中で大きな熊に救われる。大熊は巨大な柄杓(北斗七星)を持っているからだ。だが、彼は沢山の蝶によって空へと連れ去られた。今は星となって輝いている。