可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 木下拓也個展

展覧会『木下拓也展』を鑑賞しての備忘録
十一月画廊にて、2021年4月19日~5月1日。

木下拓也の絵画11点を紹介。

《ケシキ》では、木枠に貼った和紙の中央に波を表す淡墨の線が横切っている。その線より下には同様の線が密から疎へと間隔を空けつつ広がっていき、水面を表す。他方、中央の線より上には波は描かれず、空の表現としているようだ。画面全体に墨で縦の線が十数本引かれ、また数十個の大小の縦長の楕円がシャボン玉のように浮かべられている。中央の大きな「シャボン玉」には、雲、山並、水面が色彩を施されて表されている。大小の「シャボン玉」は、それぞれが十人十色の印象や記憶であり、その背後にぼんやり浮かぶ水面は、印象や記憶の元となるイメージの象徴なのだろう。《dimension》では、墨の縦線を散らした画面中央の、連続するヘアピンカーブのように蛇行を繰り返す描線の上に、2つの顔のイメージを重ねて表している。笑う口元と放心したような目との組みあわせが忘れ難い印象を見る者に与える。《Mess up》では刷毛で段違い状に3つ刷いた淡墨の描線の中に人物の顔を描き込んでいる。笑う口元に対して、左右で異なる形をとる前を見据える目が粘着質なイメージをつくっている。
《ghost》には、くすんだ紫色を背景に、右斜め前を向く、長い黒髪と艶やかな肌を持つ女性の胸像が表されている。1本1本の毛の輝きなど、髪、眉、睫などに細密な描写が施されることで、人物の写実性が強調されている。写実性によって、彼女の右頬から頭頂にかけてかかっている薄い煙の実在感が高められてる。胸像としては人物の位置がやや低く、画面下部で胸の部分がカットされるのに対して頭上の空間が広く感じられるのだが、その感覚が煙が立ち上る印象を生むのに効果を発揮している。また、左目から流れる涙は、逆ベクトルとなって、煙を相殺するかのようである。女性の右肩を、オーラのようなものが輝きながら覆っている。
LOL》は、曇った硝子に映った(あるいはガラス窓の向かい側の)ピエロのような人物の肖像。蒸気で曇るか汚れるかしてはっきりと像を結ばない鏡に、白い顔がぼんやりと浮かび上がる。目元のピンク、鼻の黄色、口元の陰が顔の中に認められる。"Laughing Out Loud"をタイトルに冠しているが、藍鼠の画面に封じ込められたピエロは、トッド・フィリップス監督の映画『ジョーカー』(2019)でホアキン・フェニックスが演じた「ジョーカー」を髣髴とさせ、底知れない怒りと悲しみが綯い交ぜになった感情が画面の奥に封じ込められているようである。
《libel》の画面左側には、右側を刈り上げ、左側をピンクに染めたアシンメトリーのヘアスタイルの人物が、ナイフを持った右手を前に突き出している姿が描かれている。画面右側には、同一人物がモノクロームで表されている。頭部やTシャツの裾にはデジタル・イメージの崩れの表現が施されている。「名誉毀損(libel)」というタイトルから、インターネット上で他者を中傷する書き込みを擬人化したものと解される。彩色で表現されている人物がネットを利用している実際の人物で、モノクロームの人物はインターネット空間の人格、アヴァターである。アヴァターが浴びていない返り血を彩色の人物が浴びているのは、中傷者も現実に無傷ではいられないということだろうか。《libel》の右に並ぶ《Flaming》は、モノクロームで表された人物の立像に、焔のイメージが重ねられている。"flame"にはネット上で攻撃すること、つまり「炎上させる」意味がある。《Flaming》の人物が、《libel》の人物が刃を向けている側に存在することから、炎上している様子が強調される。
作者は、恰も曇った窓硝子を手で拭くことで窓外の景色を見せるかのように、その作品を通じて、鑑賞者が見えていない世界の光景を垣間見せるのだ。