可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 長谷川愛個展『4th Annunciation』

展覧会『長谷川愛展「4th Annunciation」』を鑑賞しての備忘録
TERRADA ART COMPLEXⅡにて、2021年4月23日~5月6日。

これまで不可能だった生き方を可能にするであろうテクノロジーをいかに使いこなすかの思考実験として、異なる大気構成下での人間の性行動を扱う《極限環境ラボホテル》、同性カップル間に子供を遺伝情報をもとにシミュレートした《(不)可能な子供:朝子とモリガの場合》、3者以上で親となる状況を考える《シェアード・ベイビー》、富士山が噴火したとの想定で催した茶会《富士山噴火茶席》、ヒトが絶滅危惧種代理出産する社会を構想する《私はイルカを産みたい…》、死者のイメージ利用を考える《供養絵額2.0》、これからを生きるための技術としての能を起ち上げる《技術死生学:思索能試作》の7作品で構成される、長谷川愛の個展。

《極限環境ラボホテル》(2012, 2021)は、グレート・アクセラレーションにヒトの性行動が適合していないとの問題意識をもとに、現在とは異なる環境下における人間の性行動等を観測・研究することを目的として、ジュラ紀二酸化炭素濃度0.14%(現在は0.04%)が再現されている「ジュラ紀の部屋」、木星の重力2.35gが体験できる「木星の部屋」、及び酸素濃度35%(現在は21%)の石炭紀の大気をカップルが共有できるマスク「石炭紀の部屋ポータブル版」を擁したラブホテルを構想したもの。写真や映像に加え、ベッド、機器や植物とともに煌びやかで怪しい雰囲気を持つインテリアや照明を配した空間を設置して、施設のイメージを具体的に把握できるインスタレーションを展開。異なる雰囲気(atmosphere)を求めてラブホテルへ向かったら、大気(atmosphere)が異なっているとは洒落が効いている。
《(不)可能な子供:朝子とモリガの場合》(2015)は、同性カップルの間に生まれる子供のデータを、両者の遺伝情報をもとに、2人の娘の誕生をシミュレートした結果について、身体的特徴、性格的特徴などの解説や、写真によるイメージで紹介。実際にシミュレーションに関わったカップルや、性転換した人(男性から女性、女性から男性)、法律や医学の専門家などに対するインタヴューと併せて紹介する。
《シェアード・ベイビー》(2011, 2019)は、カップルではなく3人以上で遺伝子を引き継ぐ子を持つことについての話し合いの映像作品を中心に構成。血縁の無い養子では「子は鎹」にならない懸念か、遺伝情報を共有している子にはないであろうとか、人口抑制の見地からの優位の指摘。
《富士山噴火茶席》(2017, 2021)は、富士山が噴火したとの想定の下で開かれた茶会の様子を紹介する映像と、その茶会で用いられた茶室「灰犀庵」、噴火口予測を反映した富士山型茶器、降灰予測に基づいた高さの毛氈などを展示。「灰犀庵」は、将来深刻な問題を引き起こす蓋然性が高いにも拘わらず軽視されてしまうリスクを「灰色のサイ」と称することに因む。災厄の渦中における茶の湯は、武士の嗜んだそれに通じるとの指摘。作家の、天災と天災の掛け算をいかに楽しくサヴァイヴするかとのコメントが印象に残る。
《私はイルカを産みたい…》(2011, 2013)は、絶滅危惧種のマウイイルカをヒトが代理出産することを想定して、医学的なメカニズム(胎盤など)の解説と、イルカを水中出産し授乳する状況をシミュレートした映像作品などで構成される。イルカと人間というモティーフでは舞台『変半身』(2019)を、食べる動物を産む「畜産」の可能性の指摘からは映画『クラウド アトラス』(2012)のクローン人間が連想される。
《供養絵額2.0》(2021)は、幕末から大正にかけて岩手県中央部で行われていた死者供養のための奉納絵馬を、現在提供するサーヴィスが存在するとしたら、どのようなイメージとなるかをシミュレートする映像作品。死者に肖像権はないが、有名な歌手をCGで再現したプロジェクトを引き合いに、死後労働やアイデンティティ搾取の危険性の指摘。
《技術死生学:思索能試作》(2021)は、これからを生きるための技術として有効であると再構成された能の『八島』、『伯母捨』、『花筐』、『卒都婆小町』、『善知鳥』の上演を記録した映像作品。隣で上映されている生死をめぐる作品では、橋懸りが幽明の境とは近代的な発想で、霊は遍在しているとの指摘が興味深い。

展覧会タイトルに「受胎告知(annunciation)」を冠している。作家が「テクノロジーの行方や私たちの暮らしたい未来像について前向きな投石を」することで、鑑賞者に考えるべきテーマについての認識ないし構想(coneption)が生まれる、ラブホテルの部屋や茶室は、(代理)出産の子宮(womb)のアナロジーとなり、さらに子宮(womb)が死者眠る墓(tomb)に共鳴することでと、展示作品全てに受胎(conception)のイメージが通底している。『伯母捨』の老女が石のようにいつまでも残されるのは、作者が放った礫が鑑賞者の中に宿ることを暗示していよう。