可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 佐々木成美個展『●』

展覧会『佐々木成美個展「●」』を鑑賞しての備忘録
LOKO GALLERYにて、2021年4月9日~5月9日。

穴と天体、さらには洞窟やアーキタイプなどの象徴として、黒く塗りつぶされた円「●」をタイトルに冠した、佐々木成美の個展。地上(1階と2階)の展示室では油彩とパステルによるペインティングを中心とした10点を、地下の展示室では水彩によるドローイングを、それぞれ展示。

《その若い職人はついに帰らなかった》は、画面左側の下から3分の1の辺りから右上の頂点方向に引いた線の上側には葉の茂る森を表すように濃い緑を、下側には草葉が萌える斜面を表すように明るい緑を配し、画面全体を緑の方眼(大雑把に縦15マス×横12マス)が覆っている。だが、この作品を印象深いものにしているのは方眼ではない。画面右下のキャンヴァスが不定形に切り取られて1点で辛うじて繋がってぶら下がり、できた穴の中から姿を覗かせている、木枠に乗せられた三角形状の黒い大理石(?)だ。
三角形の大理石(?)の表面には「不思議な血管」が走っている。ファールンの鉱山に眠る「トラップ鉱脈」であろうか。

 「トールベルン――トールベルン!」
 エーリスは絶叫した。叫びが荒寥とした岩壁にひびきわたった。
 「トールベルン! ぼくだ、エーリスだ! おまえの言ったとおりだった。ぼくはもぐらと同然の男だった。この地上にあって、らちもない希望にうつつをぬかしていた!――地の底にこそぼくの宝がある、ぼくのいのちがある、すべてがそこにある!――トールベルン、ぼくと一緒に降りとくれ。トラップ鉱脈のありかを教えておくれ。そいつをぼくが掘ろう。鑿と金槌で掘り出すとも。昼間の明かりなど二度とみたくない!――トールベルン――トールベルン、ぼくと一緒に降りとくれ!」
 ポケットから火打ち石をとり出して坑内ランプに火をともした。昨日と同じ坑道に入っていったが老人はあらわれなかった。ふと目を走らせたはずみに最奥部の岩盤に走るトラップ鉱脈がありありと見えてきた。縦や横や斜めに走るしま模様がくっきりと浮きたってみえたのである。
 岩盤を飾る不思議な血管をまじまじと眺めていると、やにわに閃光が坑道を走り、とたんに岩の壁が透明な水晶のように透けてきた。イェーテボリでみた夢の再来だった。えもいわれず壮麗な広野にきらびやかな金属の木々や植物がぎっしりと並びたち、それぞれに果実や花や花弁さながら宝玉がぎっしりとついている。美しい娘がいた。巨大な女王のおごそかな顔があらわれた。女王がエーリスに手を差しのべる。引き下ろし、ひしと胸に抱きよせた。とたんに白熱の光線が心をつらぬいた。何がどうなのか見当がつかない。ただ自分が青色のチカチカ光る靄のような中に漂っているのがわかるばかりだった。(E.T.A.ホフマン「ファールンの鉱山」池内紀編訳『ホフマン短篇集』岩波書店岩波文庫〕/1984年/p.132-133)

エーリスは東インド会社に雇われた船乗りだった。「父親は人に知られた舵手だった」が「嵐に遭い、息子は奇跡的に助かったというのに父は大波に呑まれ」た。「2人の兄は兵士になって戦場に出てしまい、取り残された可哀想な母親は末の」エーリスが面倒をみることになった。航海を終えて久々に帰郷すると3カ月前に母が亡くなったことを知る。

 (略)胸がはり裂ける思いだった。だれからも見捨てられ、荒寥とした岩場に取り残されたような気がした。これまで一体、何をしていたのだろう。意味もなく、海をさまよっていただけではないのか。母親をろくな看護の手もなしに、ひとりさびしく死なせてしまった。それを思うと、そもそも自分が海に出たこと自体とんでもない間違いであって、国にいて母親のそばにとどまっているべきだったと悔やまれてならなかった。(E.T.A.ホフマン「ファールンの鉱山」池内紀編訳『ホフマン短篇集』岩波書店岩波文庫〕/1984年/p.105)

エーリスが「深い恐ろしい穴にもぐりこ」んで「泥まみれになって汚い稼ぎ」だと毛嫌いしていた鉱夫になったのは、彼がデラシネ(déraciné)となったからだ。
ところで、方眼すなわち「網の目」がインターネットを、人気の無い山中の穴が社会と隔絶した個人の住居をそれぞれ表すとするなら、三角形の石を「だれからも見捨てられ、荒寥とした岩場に取り残されたよう」に感じ、電脳空間に居場所を求めた現代人の肖像と看做せなくもない。

 彼〔引用者註:南方熊楠〕はそれ〔引用者註:人間の生存に不可欠な地盤〕を一種の「実存のテリトリー」の中に、みいだそうとしている。地上の環境の中に生まれ出た人間という生命システムが、みずらの自己への意志を出発点にして、オートポイエーシス的に創出する空間が、この実存のテリトリーというものの原型をかたちづくる。人間の場合、生命システムとしての自己への意志は、まず母親の体に接触することによって、彼のまわりに優しさをもったひとつの空間をつくりだす。それはさらに家族やまわりの共同社会にしだいに拡大しながら、落ちつきをとりもどすことのできるテリトリーをつくる。かつて「家郷」と言われた、民俗的な共同社会がこれにあたる。熊楠は、そこに落ちつきと相互の思いやりと倫理観や謙虚さや、さらには奥ゆかしさをもった、人間にとっての望ましい世界の、ひとつの姿をみいだそうとしている。
 しかし、このことによって、熊楠を土着主義者のように考えてはならない。別に彼は歴史的な過程の中で、民俗社会として実現された共同社会が、唯一可能な望むべき世界であるなどとは、考えてはいなかったからである。それは、たんに実存のテリトリー(これはもともとトポロジーとして、空間かされていないものだ)の、空間化のひとつの可能性をしめしているのにすぎない。熊楠が、探究していたのは、たとえこのような古い形態の土着性が失われていったとしても人間が希望を失ってしまう必要のない、実存のテリトリーの条件そのものであってように、私には思われるのだ。
 熊楠は、都市にだって、土着性をもった豊かな世界の形成が可能であることを、よく知っていた。彼は田舎だけがすばらしいなどと考えたがる人間のタイプの対極にいた男だ。私の考えでは、社会のエコロジーの思想家としての彼はつぎのような主題を、潜在的にかかえていたのだと思う。
 それ故、今や私どもは問うのであります。すなわち、たとえ古い土着性が失われていくとしましても、人間にある新しい根底と地盤とが、すなわち、そこから人間の本質と彼のすべての仕事と作品とが、ある新しい仕方で、しかも原子時代の内においてさお生い立つことのできるところの根底とか地盤とが、くりかえし贈られることは、不可能であろうかと。(マルティン・ハイデッガー『放下』、辻村公一訳、理想社、1963年、24頁)
 その社会の中に生きている人間が本質を失わず、豊かな仕事と作品をつくりだすことのできるような「根拠と地盤」に、くりかえし触れることができることこそ、来るべき共同性のよりどころとなるものであり、そのためには、人間は「来るばき土着性」をもたなければならないのである。そのような土着性をもった、実存のテリトリーを出発点にしたとき、人間ははじめて落ちつきと優雅さをもった、社会をつくりだすことが可能になるだろう。近代の「混雑錯操せる」、本質とのつながりを失って人間関係が貨幣的な原理で媒介されていく社会にたいする批判は、ここからくりかえし出発しなければならない。(中沢新一『森のバロック講談社講談社学術文庫〕/2006年/p.358-360)

出展中最大の作品《無題》は、正方形の画面いっぱいに円を描いたもの。画面は中央で左右に等分されている。左側の半円に、淡い灰緑が中央よりも上に向かって無造作に塗られているのは、月の表面を想起させる。また、白っぽい灰色が円弧附近に塗られている。右側の半円には地塗り以外には色を施されず、円弧の外側は臙脂で塗りつぶされ、円弧の右下は輪郭の外側をなぞるように赤が施されている。本展の中核となる作品であり、タイトル「●」が表す穴と天体をモティーフにしているものと解される。左側が天体(月)であり、右側が穴であろう。鑑賞者が天上世界と地下世界とを融通無碍に往き来することを可能にする装置が、キャンヴァスの右側上方の壁面に設置された、作品の構成要素となっている陶製の「右手」である。親指と人差し指とで円(=●)を作るのは、「境界領域を開く、象徴の蝶番」としての機能を「右手」の「印」が担わされているからだ。

 たとえば、熊楠は、自分が子供の頃によく親たちから聞かされた「日があたりながら雨ふれば狐嫁入りす。これを見るには、石をまくり、その跡の土に唾はくべし、しかるときは唾液に狐の嫁入りがうつり見ゆる」というような、まことに伝承としてはマイナーな、「つまらぬことども」の中にも、深い理性が存在し、その理性はシニフィアンの秩序にだけかかわるのではなく、身体の象徴性に深くつながるエロティシズムにかかわっているはずだ、と直観している。熊楠のこの直観を、構造分析の手法をつかって、敷衍してみよう。
 この伝承は、形態的にはふたつの部分で成り立っている。⑴日があたりながら雨が降れば、狐が嫁入りする。⑵石をまくって、その跡に唾を吐くと、その唾液に狐の嫁入りが映る。
 ⑴では、日が照っているのに、雨が降っているという、ふつうでは両立しないといわれている、ふたつの気象が同時におこってしまっている。そうすると、めったには見られない、動物の人間化がおこる。このときには、狐が花嫁衣装を着て、行列をつくって、嫁入りを果たすのを見ることができる。さて、動物と人間はたがいに深いつながりをもっていて、人間が動物化したり、動物が人間化したりするが、それは特別な状況でないと見られない。それは、ふたつの自然カテゴリーが、玉虫色の混合をおこすときだ。それが、日が照りながら雨が降る、という状況でおこる。このとき、天空の気象は、玉虫色の状態にある。これおを色彩で表現すれば虹であるが、同種の伝承の異聞(ヴァリアント)には、狐の嫁入りとお天気雨と虹が、ひとつに結びつけられている。ここでは気象にあらわれる強度の様態と、生命の存在様態とが、ひとつに結合されているわけである。
 (略)
 しかし、こういう現象を人間が「見る」ことができるためには、特別のやり方が必要だということも、フォークロアは教えている。これが⑵の部分である。熊楠が子供のときに聞いたやり方によると、石をまくって、その跡に唾を吐くと、その唾液の表面に狐の嫁入りが見える。また別のところでは、婦人の毛髪の抜いて、それをのぞくようにすると見える、と言われているし、熊楠自身が妻の松枝から教わった、彼女の祖母のやり方では、指を特別な印に結んでのぞいてみると、そこに狐の嫁入りが見えるのである。
 いっさいが玉虫色に変化をおこす境界の領域が人間の意識に開かれてくるためには、ルイス・キャロルの鏡とか、魔法の扉とか蝶番などが必要だ。その役目を、ここでは唾液や毛髪や密教の印が、果たそうとしている。常民の「精神分析理論」では、唾液や毛髪は、糞とならんで、重要な地位をしめている。糞の排泄では、身体の内部にあったものが、外部に押し出される。このとき、形態的に見れば、人間の体はテニスボールのように、内部がひっくりかえされて、外部になる。そのとき、ため込んでいたものは、いさぎよく外へ捨てられる。つまり、糞は人間の身体のトポロジーに、重大な変化をつくりだす蝶番効果を発揮するのだ。唾液もそうであるし、毛髪もそうだ。これらはいずれも、身体が外部に接する境界領域にあって、唾液はしばしばいきおいよく外へ吐き出されるし、毛髪は不気味な静けさをたたえながら、人の身体から離れていく。
 これらはみな、境界領域を開く、象徴の蝶番だ。その役目を、密教の「印」が果たすというのも、よくわかる。密教の「印」は、民俗の世界では、魔法の力にみちた領域を開く、文字通りの象徴的蝶番と考えられているからだ。(中沢新一『森のバロック講談社講談社学術文庫〕/2006年/p.222-225)

あるいは、「右手」のつくる円(=●)は、望遠鏡となってマクロコスモスに接続し、ときに顕微鏡となってミクロコスモスに連絡する「レンズ」なのかもしれない。

 もうすっかり暮切って、遠くの玉乗りの花瓦斯が、チロチロと美しく輝き出した時分に、兄はハッと目が醒めた様に、突然私の腕を掴んで『アア、いいことを思いついた。お前、お頼みだから、この遠眼鏡をさかさにして、大きなガラス玉の方を目に当てて、そこから私を見ておくれでないか』と、変なことを云い出しました。『何故です』って尋ねても、『まあいいから、そうしてお呉れな』と申して聞かないのでございます。一体私は生れつき眼鏡類を、余り好みませんので、遠眼鏡にしろ、顕微鏡にしろ、遠い所の物が、目の前へ飛びついて来たり、小さな虫けらが、けだものみたいに大きくなる、お化じみた作用が薄気味悪いのですよ。で、兄の秘蔵の遠眼鏡も、余り覗いたことがなく、覗いたことが少い丈けに、余計それが魔性の器械に思われたものです。しかも、日が暮て人顔もさだかに見えぬ、うすら淋しい観音堂の裏で、遠眼鏡をさかさにして、兄を覗くなんて、気違いじみてもいますれば、薄気味悪くもありましたが、兄がたって頼むものですから、仕方なく云われた通りにして覗いたのですよ。さかさに覗くのですから、二三間向うに立っている兄の姿が、二尺位に小さくなって、小さい丈けに、ハッキリと、闇の中に浮出して見えるのです。外の景色は何も映らないで、小さくなった兄の洋服姿丈けが、眼鏡の真中に、チンと立っているのです。それが、多分兄があとじさりに歩いて行ったのでしょう。見る見る小さくなって、とうとう一尺位の、人形みたいな可愛らしい姿になってしまいました。そして、その姿が、ツーッと宙に浮いたかと見ると、アッと思う間に、闇の中へ溶け込んでしまったのでございます。(江戸川乱歩押絵と旅する男江戸川乱歩江戸川乱歩全集第5巻 押絵と旅する男』光文社〔光文社文庫〕/2005年/p.34-35)

また、「右手」のつくる円は、「ブラックホール」(=●)であるかもしれない。

 (略)熊楠の思考においては、生と死も輪廻する世界で「離散多様体」をなすものとして、とらえられいる。彼は、生と死を実体としても概念としても分離できない、と考えていたのである。粘菌の生態研究によって、熊楠はこの確信を強めている。微細なる真実にとって、なめらかに一様均質の生の領域とか、絶対的な死の領域などはない。生の領域には、無数の小さな死のブラックホールがうがたれている。また死の領域では、境界面をこえて、たえまなく生が向こう側の領域に渡河を果たしている。(中沢新一『森のバロック講談社講談社学術文庫〕/2006年/p.372)

《無数の房》において、画面下部から上部へ向けて拡大する(あるいは画面上部から画面下部へと縮小する)螺旋を描くのも、絶え間ない越境を表すものであろう。

キャンヴァスの上にガラスを載せた作品は「出会い」の表現であり、画面から石を吊り下げるようにして取り付けた作品は「力」の表現である。「出会い」や「力」が作品に運動を生み出している。

 南方マンダラの全域で運動がおこっている。この運動には、ふたつの原因がある。ひとつは、それが異質な力同士の混成系としてつくられているためであり、もうひとつの理由は力と力の間に「縁の論理」が働いているからである。
 心不思議は物不思議と出会って、事を生み出していく。心と物とは、このマンダラの中では、大日如来がとるふたつの異なる表現のそれぞれをしめしている。たがいに異質な心と物の間に、接合が成り立つと、そこには第三の質をもった事が発生する。事は、心そのものとも、物自体とも異質なものだから、さらにこれが心や物に作用していくと、そこにまた、新しい質をもった事心や事物心などが生じてくるのだ。熊楠の考える世界は、このようにヘテロな力の混成系としてたえず新しいすがたで生成してくるものである。そしてヘテロな力同士をつなぐ原理こそ、「縁の論理」にほかならない。
 熊楠には、科学が採用している因果論では、このようなヘテロな力の混成でできた多様体は説明できない、と思われた。因果は同一の力の変態は記述する。それをとおして、原因と結果の間のつながりを理解したり、原因から結果を予測したりすることができる。しかし、異質な力同士が、瞬間瞬間に出会い、たがいの間に接合をつくりだし、そこに発生した混成系がさらに新しいヘテロな結合をつくりだしていくようにつくられている、この巨大な不思議の世界を、それによって理解することは不可能だ。そのために、未来の知性は「事法界」の生成を記述できる新しい「縁の論理」の探究にむかう必要がある、と熊楠は主張した。
 このように、南方マンダラの全域は、離散多様体としてつくられていることがわかる。しかも、それはどんな細部にあっても、動きと生成をはらんでいる。心不思議や物不思議や事不思議は、この多様体をつくる素領域をなしている。素領域そのものは同質ではなく、たかいの接続はなめらかな連続をつくらない。ここは、複雑なリーマン空間としてできあがっているのだ。しかも、この宇宙的なリーマン空間は、動きと変化を内蔵している。素領域の接続を実現する「縁の論理」が、いたるところで、新しい接続や結合を推進していく原理となっているからだ。(中沢新一『森のバロック講談社講談社学術文庫〕/2006年/p.379-380)

螺旋を表現した《無数の房》を上昇ないし下降のための装置と捉えれば、吹き抜けとなった会場全体(すなわち展覧会そのもの)が、恰もマルセル・デュシャンが《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》で提示したような構造のインスタレーションとして立ち現れる。すなわち2階の天体(あるいは形而上)の領域と1階の地上(ないし地下)領域である(円の作品は1階で見上げるときに天体として、2階から見下ろすとき大地に穿たれた穴(坑ないし洞窟)として姿を表すことになる)。

今回の展覧会で一番高い位置に掲げられた《手》は輝きを表すような黄色い画面に表された右手のドローイングである。右手が円(=●)を形づくっているのは、「絶対的な『外』を開き、あらわすマンダラ」(=ニルヴァーナ・マンダラ)の表現と解されるのだ。

⑴マンダラには、ふたつの種類がある。ひとつにはニルヴァーナ・マンダラであり、もうひとつはサンサーラ・マンダラと呼ばれている。ニルヴァーナ・マンダラは、私たちやこの地球上に生息している、すべての生命が触れることのできない、絶対的な「外」を開き、あらわすマンダラだ。ここには、生命ということすら存在していない。当然のことながら、そこには死もない。ニルヴァーナ・マンダラに「集合」している力は、いかなる意味でも境界をつくりだすことがない。境界がないから、そこには内部も外部もない。そのため、ニルヴァーナ・マンダラは、自己もなければ、世界もないのだ。
 熊楠は、大日如来を、そういうニルヴァーナ・マンダラとして描いている。彼は、大日如来の大不思議は、人智ではとらえることが不可能だと語っているが、じっさいにそれは、いかなる生命システムによっても、触れられることが不可能な、絶対的な「外」をしめしていることになる。オートポイエーシス論に結晶化された、西欧的な生命論では、生命システムにとっては絶対的な「外」がない、あるいは不可能であるという点が強調されるが、おもしろいことに、仏教のようなアジア思想では、サンサーラ(輪廻)にあるすべての生命システムには、そのシステムの絶対的な「外」であるニルヴァーナ・マンダラに触れることができないと断定しながら、同時に、生命システムにはそのような「外」にむかって、自己を開いていく可能性が閉ざされてはおらず、とくに、人間として実現されている生命システムにはそのような「開け」が、つねに可能性としてたえられ、「開け」にむかったそういう「道」を歩んでいくことが、生命システムに豊かさをもたらす、と語られている。(中沢新一『森のバロック講談社講談社学術文庫〕/2006年/p.306)