可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 大隅実怜個展『きよく あたらしい まち』

展覧会『大隅実怜展―きよく あたらしい まち―』を鑑賞しての備忘録
GALERIE SOLにて、2021年5月17日~22日。

大隅実怜の絵画14点を展示。

《こども目線》は、夕闇をイメージさせるオレンジの画面の中央の明るい場所に、デフォルメされた恐竜のペーパークラフト5体を描いた作品。小さなデイノニクス(?)を従える大きなティラノサウルス、それと向き合うアロサウルス(?)、その場から離れようとしているトリケラトプス。それらの上方に翼竜のソルデス(?)が浮かんでいる。恐竜以外の全てが雲散霧消する、無我夢中の世界を表すか。
暗めのオレンジを背景とした作品としては他に、《知らず知らず》がある。中央に置かれたガラスのドーム(記された文字らしきものが消されている)の中にコガネムシ(?)3匹と蝶1頭を、その周囲に2匹の甲虫と7頭の蝶とを描く。ドーム内の白い蝶は、羽がガラスにべったりと接しており、閉ざされた世界から出ようと藻搔くようだ。近縁種の昆虫たちが透明のガラスの壁によって隔てられている様子は、無意識(「知らず知らず」)の差別のメタファーであろうか。また、「キンポウゲ」をタイトルに冠した《Ranunculus Ⅰ》では、3つの石を等間隔に並べつつ、右端の1つだけ布に包まれ、《Ranunculus Ⅱ》では、4本の枝を描きつつ1本だけは向きが逆になっている。同じ物の中に違う状況のものが混ざっているという点では《知らず知らず》に通じよう。あるいは、"Ranunculus"は「小さな、カエル(rana)」を意味するラテン語を語源とするらしいから、石によってカエルを、枝によってせせらぎを表しているのかもしれない。

《物象化する風景 Ⅰ》では、画面手前に湖岸(?)の岩場を、そのの先に水面を、対岸に山並を背にした白いチョークのような9つの塔を描いている。画面の上半分を占める空には2つの星が流れ、1つは対岸に接地する寸前で、辺りを光で包んでいる。流れ星が偶然落ちる土地が輝くのは、その土地が光を放つからではなく、星が燃えるからである。それにも拘わらず、ハリボテの塔が特別な力を持つと錯覚してしまう。僥倖のためか、俄に耳目を集めることになった物に対する冷静な吟味を、作家は訴えるのだろうか。
《光を見る人》は、陽の沈んだばかりの頃、丘の緩やかな斜面を行き交う人々の姿を遠景に捉えた作品である。画面左端の下部4分の1の位置から画面右端3分の1の位置にかけて丘が黒く描かれている。人々が松明かランプか手にして歩いている。東の空には満月が昇っているが、灯りに眼を奪われた人々が、煌々と輝く月に眼を向けることはない。満月は、谷間の地に立ち並ぶ木々を描く《群衆》の画面最上部にも描かれている。画面手前の左右には、布を被せた木が1本ずつ立っている。立ち並ぶ木々が群衆を、布を被せられた木はそこから排除された存在を表すのだろうか。画面から外れそうな位置にまで昇った月を、谷間の「人々」が眺めることはなさそうだ。

《内的な風景》には、一面に広がる荒野に立つ1本の木を中央に描いている。幹は細いが真っ直ぐに伸び、樹冠の枝は天に昇るように伸びている。低い地平線は霞み、昏く青い空が広がる。木の脇には裸の女性が立っている。彼女は右側に首を傾げ、その眼を搔き消すように星が通過している。星は樹冠でも、遠くの空でも流れている。天と地と同期するという作家の欲望を描くのかもしれない。絵画の約束事をずらす流れ星の表現には、立石大河亞の《アンデスの汽車》を思わせるような面白みもある。

なお、展覧会タイトルは、「悪魔来た地らしいよ(あくま きた ち らしいよ)」のアナグラムでもある。