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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『BankART Under 35 2021 第2期』(木下理子個展)

展覧会『BankART Under 35 2021 第2期』(木下理子個展)を鑑賞しての備忘録
BankART KAIKOにて、2021年5月14日~30日。

BankART Under 35 2021」は、7名の作家を個展形式で紹介するシリーズ企画。第2期は木下理子、敷地理、金子未弥の3名を取り上げている。

木下理子の個展は、光の明暗が青色の濃淡となって写るサイアノタイプ(日光写真)による平面作品11点と、アルミホイルや銅線やステンレスなどを用いた立体作品7点(但し、段ボールを用いた「unknown」シリーズ2点は平面的な作品)で構成される。

作家によれば、サイアノタイプの「青と白のモノクロームの像は、宇宙から私の手元まで降りてきた光の痕跡で」、「果てしない距離を移動してきた光が画面上で化学反応を起こし、像を作り出し」たものであるから、「画面は二次元平面でありながら、捉えきれない距離と時間を内包している」という。そして、「カーテンに草木の影が揺れている」とき、「影の実態」が「不思議と近くに感じられる」ように、サイアノタイプをカーテン(=スクリーン)として、宇宙のスケールで「世界の実像」を捉ようとしている。宇宙空間を連想させる青い画面に、光の粒子性(白い点)とともに波動性(白い線ないし波線)を表している「curtain」シリーズ(《curtain #22》・《curtain #23》・《curtain #24》は、作家の企図の継続的実践である。
また、サイアノタイプが光(光子)を受け取っているという点に着目し、なおかつ遺伝情報の忠実な複製という生命の中核的な能力を連想させるサイアノタイプの「mirror」シリーズやアルミホイルによる立体作品《mapping》などのタイトルを援用すれば、作品を生命に擬えることは十分可能である。

 この小著〔引用者註:『生命とは何か――物理的にみた生細胞』〕の中でシュレーディンガーは、「生命をもっているものは崩壊して平衡状態になることを免れている」と、「生きる」という生命現象そのものが「宇宙のエントロピーはつねに極大に向かって増加する」という熱力学第二法則に矛盾することを指摘しました。生物は死んでバラバラに分解するときだけ、第二法則に合致するというのです。
 そして、この矛盾を、「生物体は“負エントロピー”を食べて生きている」と、解き明かしました。動物は他の生物(またはその一部、生物体なのでエントロピーは小さい)を摂取して、エントロピーの大きな排泄物に変えて排出し、その差額で自分自身のエントロピーを小さく保ち、生命を維持している、と解釈したわけです。生物は「エントロピー代謝」によって生きているのです。そして「成長」はエントロピーの蓄積です。
 植物は太陽の光エネルギー(超高温で生成した光=“ミクロな世界”では光子、のエントロピーはきわめて小さい)を摂取して生育し、アミノ酸や糖を秩序化した余剰の“小さなエントロピー”を実や葉に蓄えて、動物の餌に供しています。したがって、生物はみんなエントロピーの小さなものを摂取して、大きなものに変えて排出しますから、小から大を差し引いた「負エントロピーを食べる」とシュレーディンガーは表現したのです。
 動物であれ植物であれ、“負エントロピー”を摂取できなくなるときが“死”です。分解してエントロピーの極大の無秩序状態にになります。ほとんどは、水、二酸化炭素、メタン、アンモニアなどの気体で、無常の“徒野の煙”となり、残りは若干の灰(金属酸化物)になって土に還ります。植物(他の生物またはその一部)の摂取と排泄を繰り返すことによって自分自身のエントロピーを小さく保つのが「生きる」ことなのです。“不殺生戒”、人は他の生物の命をいただいて生きていることの明快な物理的解釈でした。(中沢弘基『生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像』講談社講談社現代新書〕/2014年/p.71-73)

サイアノタイプに「電子」と題したシリーズがある。繭や点などの影にアルミテープの曲線を配した《電子 #3》、数本の波のような線が絡んで画面を覆う《電子 #1》、画面上部中央からの波線が画面下部に向かって広がっていく《電子 #2》の3点がセットで展示されている。他方、会場には、銅・アルミ・ステンレスといった導電性の素材を用いた立体作品が点在している。銅線を重なったりズレたり交差したりするよう歪な円ないし楕円状に4回ほど巻いて柱に掛けた《debris》、アルミホイルを平板な線状にしたものを徐々に分岐させて接続し、10本のツリー状にして床に置いた《mapping》、ステンレス製の輪を十字の先端となる4箇所に立てて、その中心に向かって弧を描く線でつないだ《nonempty》、2本の糸の間をアルミホイルの平板な線が繫ぐことで弧状となった《ripple》、段ボールに銅箔テープをXX状に貼り付けた《unknown #2》である。「電子」シリーズのサイアノタイプと導電性素材の立体作品を合わせて見ると、サイアノタイプは、光のエネルギーを受けることで電子を放出する、いわゆる外部光電効果の表象と考えられる(そのとき、寒冷紗に粘土を貼り付けた《Touch the Earth》は電流を逃すための装置となろうか)。そして、放出された電子が伝導性素材の立体作品へと次々と流れていく様をイメージする。それは、呼吸のプロセスにおける電子のやり取りにも比せられよう。

 呼吸において量子力学が果たしている役割を突き止めるには、呼吸のしくみを単純化してとらえる必要がある。それでも呼吸には、驚異の生物ナノマシンがおこなう一連の見事なプロセスが関わっている。はじめに、炭素でできた燃料、この場合には食物から得た養分を燃焼させる。たとえば炭水化物は消化器の中で分解されてグルコースなどの糖になり、それが血流に乗って、エネルギーを必要としている細胞へ運ばれる。この糖を燃やすのに必要な酵素は、肺から血液によって同じ細胞へ届けられる。そして石炭を燃やしたときと同じように、分子内の炭素原子の最外殻にある電子が、NADHと呼ばれる分子へ移動する。しかしその電子は、すぐに酸素原子との結合に使われるのではなく、まるでリレー競争でバトンがランナーかランナーへ渡されていくように、細胞のなかにある「呼吸鎖」上を酵素から酵素へと手渡しされていく。電子は移動の各段階ごとにより低いエネルギー状態へ落ち、酵素はそのエネルギー差を使って陽子をミトコンドリアから外へ汲み出す。次に、そうして生じたミトコンドリア内外での陽子の濃度差を使って、ATPアーゼと呼ばれる別の酵素が駆動し、ATPという生体分子を合成する。ATPはあらゆる細胞によってきわめて重要な分子で、いわば絵ネルゴーの電池のように細胞のなかを簡単に運ぶことができ、身体を動かしたり作ったりするなど、大量のエネルギーを必要とする活動にパワーを供給する。(ジム・アル=カリーリ&ジョンジョー・マクファデン〔水谷淳〕『量子力学で生命の謎を解く』SBクリエイティブ/2015年/p.95-97)

作品から作品へと電子が移動して、会場に磁界が発生する。