展覧会『野口哲志「silent blessing」』を鑑賞しての備忘録
Bambinart Galleryにて、2021年5月15日~30日。
白い雲のかかる青空を背景に表した絵画15点で構成される、野口哲志の個展。
モティーフはギターを掛けた2人の男だったり(《man on man》)、住宅だったり(《green house》、《neighbor's house》)と様々だが、15点のいずれの作品にも筆やエアブラシなどを用いて白い雲のかかる青空が表されている。壁に連なる青い画面によって、会場は清涼な雰囲気に包まれている。
《smoking》の、見上げる角度で捉えられた、シガレットを吸う男は、上半身のみが描かれ、なおかつ顔や体の一部は空を映すかの如く画面の地(すなわち「空」)が塗り残されているため、白い雲に包まれて空に寝そべるように見える。「空に浮かぶ雲のような私自身の曖昧で実態の軽いリアリティを描きたい」という作家の自画像であろう。煙草を口に運んでいる左手の辺りに添えられた、空色の補色である明るいオレンジ色は何の表すのであろうか、不思議な「自画像」の差し色として魅力を放っている。
《cyclying》では、画面下部に茶色の線を横方向に入れ、地面を表現している。画面左側には「地」から前輪を45度離した茶色い自転車が描かれ、そこにフードを被った全身黄土色(黄色)の服(スウェット?)の人物が跨がっている。画面左端の中央から45度の角度で画面の上端と接するまでの長さを半径とする弧が、画面の上辺から下辺へと赤でさっと描き入れられている。この弧が効果線として回転運動を生じさせ、自転車を大地から空へと押し上げる。そして、エアブラシで表された地面は濛々たる土埃から、自転車を打ち上げるためために放出された水蒸気へと変化する。
《landing》には、草叢(?)の脇に広がる右奥へ延びる道に、曲げた肱を上方に持ち上げた人物が描かれている。男の足元から右方向に伸びる影が地にあることを表すとともに、画面上部の空に描き入れられた"Landing"の文字によって、男が着地した場面であることが分かる。
上記3作品のサイズはいずれも異なるが、同じ壁面に並べて展示されており、「三幅対」とも解される。《cyclying》で空へ舞い上がり、《smoking》で上空で一服し、《landing》で大地へ帰還するのだ。
《sleeping》の画面下部には、コンスタンティン・ブランクーシの彫刻作品《眠れるミューズ》(英語:Sleeping Muse)らしき、横倒しになった頭像が描かれている。ブランクーシのブロンズ像における「女神」の性格は薄められ、その分男性的(ないし中性的)な表情が強められている。青と白の画面には、黄と茶とで表された像がよく映える。像の下に入れられた線は影であろうが、それにしては長く延びており、「台座」の面も表すのであろう。像を強調するためのアンダーラインにも見える。画面上部には、ブランクーシの言葉"Muncește ca un sclav, poruncește ca un rege, creează ca un zeu."の英訳を元に、文の順序を入れ替え、かつ疑問文に変更した"command like a king? create like a god? work like a slave?"が記されている。そして、《眠れるミューズ》を挟んで下には、"I mean, he is nice."と書き入れられている。
《clean up》は、柄が斜めに走るデッキブラシを中心に雑多なモティーフが描き込まれた作品。画面上部の並んだ横線やモヤモヤとした形、複数の点、画面右手の上昇をイメージさせる縦に連続する形、さらには最下部の"She moves with a purpose."という書き込みは、「ブランクーシ」の横に展示されていることと相俟って、マルセル・デュシャンの《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》を連想させる。
In 1912 Léger, who had a studio on Avenue du Maine, joined Brancusi and mutual friend Marcel Duchamp for a visit to the Paris Air Show. "Now that's what I call a sculpture!" Brancusi suddenly exclamed, coming to a dead halt in fron of a propeller. "From now on sculpture must be nothing less than that!" Thirty years later he would still bring up this meeting with "perfectform". According to Léger, Ducahamp reacted in exactly the same way: "It's all over for painting. Who could better that propeller? Tell me, can you do that?"(Pierre Cabanne, Constantin Brancusi, Terrail, Paris, 2002, p.73)(なお、同書p.72には、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》のモティーフの1つでもある、デュシャンのチョコレート摩砕機の絵が掲げられている。)
《standing》は、街路樹や庭木の緑も豊かな住宅地に立つ、デニムのパンツに白の半袖Tシャツ姿の人物像。両腕を垂らしている点からも、松本竣介の《立てる像》の向こうを張った作品と見て間違いない。
本当の話
薄汚い白痴の少年が、五十年、六十年とながい年月、美の女神に仕へて来た先生や、大家でも、中々見せては貰へない女神のハンドバッグを持ち歩き、中身をごそつとひけらかしてみせたといふとんでもない本当の話。
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大家の壺氏と瓶氏は、あれはどうも僞物らしい、われらの女神が自分達を差置いて、あれを白痴の薄汚い少年の自由にさせるなんて信じられないといつた
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そこで、女神のハンドバッグをちょいと盗見したことのある先生のピンとキリ氏は、かういつて窘めた。『いや、たしかに本物ですぞ。白痴でも、薄汚くとも、少年の純真は宝ぢや。そこを女神様はよとこばれたのぢや。』
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堂宇に満ちてゐる大家、小家達は、白髪童顔、思做し白痴の少年と似た俤のあるピンとキリ氏を眺めて、『ウム、さうぢや。』と、感にうたれた。
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その時、堂宇に出入も許されない青年が、外で、『ハンドバッグがなんだい。俺は女神を手に入れるためにこの国にやつて来たんだ。』と、大声でいつたので。大家、小屋達は唖つとして赤面した。そして考へるやう『ウム、私達の中道がやつぱり正しいわい』と。
彼らは、この不埒な青年が堂宇に入るを一生許さぬ、といふ決議をした。
松本竣介「黒い花」『生誕100年松本竣介展図録』NHKプラネット東北・NHKプロモーション/2012年/p.331〔杉山悦子編「松本竣介・論稿 採録〕)
ブランクーシの《眠れるミューズ》や、思春期にさしかかる頃に聴覚を失っていた松本竣介の自画像《立てる像》を媒介に、"silent blessing"が引き寄せられている。
青空を背景に自画像を描く作家は、自らを主演俳優とした『トゥルーマン・ショー』(1998)を絵画の中に立ち上げているとも言える。そして、それは、作家のみならず、多かれ少なかれネット上に人生を費やす現代人の似姿でもある。