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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 鈴木弥栄子個展『リリスの庭』

展覧会『鈴木弥栄子「リリスの庭」』を鑑賞しての備忘録
FUMA CONTEMPORARY TOKYO|文京アートにて、2021年5月22日~6月5日。

2枚組の表題作《リリスの庭》を中心とした油彩作品に下絵(ドローイング)を合わせ、21点で構成される、鈴木弥栄子の個展。

《主のいない部屋》には、暗闇の中に浮かび上がる、メリーゴーランドを模したテーブルランプが描かれている。画面の中心は、ユニコーンを模した「木馬」。それを上下に動かし、かつ乗り手が捕まる金色の棒が、ランプの支柱となっている。刺繍の施されたランプシェードは、スカートの裾のように軽やかに広がる(少女のスカートの下で、彼女の両脚を中心に回転する木馬を描いた《not yet》を見れば、そう解したくなる)。ユニコーンの角からは焔が上がり、ランプシェードに引火している。ピンヒールの赤い靴の片方だけが、ランプの光がつくる輪から闇にはみ出すように置かれている。「主」である少女はユニコーンの傍を離れ、新たな世界へ歩み出したようだ。乙女に対して従順なユニコーンを憤怒させる自体の出来の暗示でもあろう。

《道標》には、緑の地に金の植物模様が表されたバロック様式の壁を背景に、黒に近い濃緑のレースの袖の先に右手が大きく表されている。人差し指からは立ち上る炎は、行く手を探るようにカクカクとした動きをしながら右上に向かって延びている。
リリスの部屋》には、茶色の地に金の文様が入ったバロック調の壁際の木製の台の上に、植物を模ったアールヌーヴォー様式のフレームを持つ鏡が描かれている。鏡に映るのは、緩やかにカールした豊かな髪を垂らした少女が左手の小指の先で下唇に紅を差している様子。彼女の挑むような目つきは、そのまま絵画の鑑賞者に向けられることになる。鏡の脇には、白い百合の花が2輪置かれている。

《About The Girls》は、楕円の画面に、2輪の黄色い薔薇が描かれている。小さな葉の縁は赤く、未だ若いことが窺える。2つの薔薇は、赤い棘を持つ茎を交差させ、お互いが反対側に向かって開いている。「友情」と「嫉妬」という花言葉を反映した、2人の少女の寓意画である。

リリスの庭》は、百合の左画面と薔薇の右画面の2枚組の作品。「百合」は、白いドレスを纏った女性が、左手で膨らんだ腹を押さえ、右手で百合(カサブランカ?)の花を摑んでいる様子を、右側面から捉えている。三つ編みにされた長い長い髪は、右側から右肩へ垂れた落ち、背中を回って膨らんだ腹部の方へ、さらに右手を超えて腰に回って彼女の左前方の地面へと、彼女を取り巻くように流れていく。足元には6輪の百合の花が落ち、数種類の草花が咲いている。くすんだ青空には雲がかかり、女性の周囲には赤茶色の靄がかかっている。微かに笑みを含むようにも見える落ち着き払った顔の女性の眼差しの先には、「薔薇」の画面の少女の姿がある。「百合」の女性を見据える少女は、白詰草(?)の冠を被り、黒い衣装を身につけ、左手で鍵束を持ち、右手で鍵を1つ構えている。豊かな髪を靡かせる風は、少女の周囲に8輪のピンクの薔薇を舞わせている。足元には「百合」の女性の三つ編みが取り巻くように延びてきている。
展示解説によれば、「百合」の女性は、「謎めいた庭の女主人リリス」である。リリスは「イヴよりも先に神が創造した最初の女」であり、「アダムの支配を拒みエデンの園を去った」という。

 アダムがエデンの園を追放された後、地上で結婚した最初の女といわれる。しかし、夫に服従せず、アダムを捨てたという。彼女は古代オリエントの女悪魔リリトがキリスト教世界に入ってきて、夢の中にあらわれて男を誘惑する魔女とされるようになった。真夜中にあらわれて男たちを悩ませ、その精力を吸い取り、やつれさせて死にいたらしめる魔性の女であった。
 女吸血鬼として、ラミアと重ねられ、ドイツでは、ニーベルンゲン伝説のブリュンヒルデリリスの化身とされた。嵐の夜にあらわれるといわれ、風にのって空を飛ぶ魔女でもあるらしい。おそろしい母として、子どもをさらっていくという民間信仰があり、幸せな妻や赤ん坊に激しい憎悪を抱いている。おそらくは彼女は、妻や母となれなかったことを怨んでいる魔女なのだろう。(海野弘『魔女の世界史 女神信仰からアニメまで』朝日新聞出版〔朝日新書〕/2014年/p.82-83)

画中のリリスは妊娠して充足しているように見える。手にした百合に雄蘂が存在しないのは、男性から「精力を吸い取」ったことを表している。彼女の三つ編みが取り巻く姿は、裸身に大蛇を巻き付けたジョン・コリアの《リリス》に、白いドレス姿は、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの《レディ・リリス》に、それぞれ範を求めたのだろう。リリスに対峙する少女の眼差しの強さは、鍵束が象徴するように、いくつもの関門をくぐり抜けた経験と自負が生み出すものである。

《甘き死よ、来たれ》は、膨らんだ白い袖の女性の手が、別の女性の顔を右頬と顎の辺りを囲うように伸ばしている。恍惚とした表情を浮かべる女性は、左手を白い袖の女性の左手へと絡める。3輪の薔薇が画面下部に描き込まれる他は闇が覆う。女性の表情と、切断された(かのような)首というモティーフは、グスタフ・クリムトの《ユディト Ⅰ》を想起せずにいられない。もっとも、肌の艶を強調するように、背景の闇と袖の白とを基調としている点からは、マン・レイが撮影した女性の肖像写真も連想させる。

《紡ぐもの》は、白いドレスの女性が、腰掛けて、自らの髪を三つ編みにしている様子を描く。胸の辺りから腿の辺りまでを切り取った構図と、手元近くの花によって、紡ぐ手が強調されている。。髪を編む作業はまだまだ続きそうで、腿の先へ3つに分かれた髪が流れ落ちていく。白い衣装を纏った身体と、黒い髪とを反転させれば、崖を流れ落ちる水の流れのようであり、2片の花びらが散らされていることと相俟って、時間の経過をも象徴する。

《風の音が聞こえる》は、数多のタンポポの綿毛が揺れる草原に置かれた椅子に座る、透けるように薄い白いシンプルな衣装をまとった女性が、左手で顎を支え、遠くを見るともなく物思いに耽っている姿を描く。右膝の上に載せ、右手で抑える八角形の鏡は、なぜか女性の背後と連なるような草原と奥の森とを映し出し、恰も女性の身体に穴が開いているように見える。髪が風に靡く様子よりも、この「穴」の表現によって、風が吹き抜けるイメージが立ち上がる。