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芸術鑑賞の備忘録

映画『茜色に焼かれる』

映画『茜色に焼かれる』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。144分。
監督・脚本は、石井裕也
撮影は、鎌苅洋一。
編集は、石井裕也と岡崎正弥。

 

残暑の日射しが照りつける郊外の道路。鼻歌交じりに自転車を漕ぐ男(オダギリジョー)が坂道を上り、交差点で信号が変わるのを待つ。信号が青に変わり横断歩道を渡っていたところ、彼は、見通しの良い直線を猛スピードで侵入してきた自動車に跳ね上げられ、別の車のボンネットに叩きつけられるように落下した。
7年後、事故現場には、マスクを付け、喪服を着た田中良子尾野真千子)の姿があった。良子は、その足で、95歳で天寿を全うした、夫を轢いた人物の通夜の行われる葬儀場に向かった。良子は加害者の息子(鶴見辰吾)ら数人の男に追い立てられて会場外へと追い出された。何をなさるおつもりですか。あちらにはうちの顧問弁護士(嶋田久作)も控えています。お引き取りください。良子を追い払った加害者の息子は、弁護士の成原に愚痴る。父は長年国家のために身を粉にして働いたんだ、7年も経っているっていうのに、あの女は……。
営団地にある自宅の台所で、良子は夕食の準備をしている。純平(和田庵)が母に尋ねる。なんであんな奴の葬式に行ったの、ひどい対応だったでしょ? 何で分かるの? そりゃ、分かるよ。お父さんを轢いた人物の顔を忘れないように。まともに生きてたら、死ぬか、気が触れるか、宗教に縋るか、この3つしかないって、漱石も書いてるわ。良子は壁際の本棚にびっしりと並んだ本を示す。お父さんがこれだけ沢山遺してくれたんだから、本を読みなさいよ。まあ、頑張りましょう。
コンクリート打ちっぱなしの空間に、絵画やオブジェが点在するカフェ。ここのコーヒーは不味いんです。見てくればっかりでね。カップをソーサーに置きながら弁護士の成原が、テーブルに設置されたアクリル板越しに良子に告げる。賠償金を受け取りませんでしたよね。謝罪が無かったからです。保険会社から支払われるものですから、あなたが受け取ろうが受け取るまいが意味は無いんです。それに、損害賠償を放棄する念書も既に取っていますから。葬儀の際のような行動をとられては困るということをお伝えしたいだけです。良子が立ち去ると、成原は電話を入れる。事故のショックでまだ精神をやられているんでしょう。大丈夫ですよ、単なる頭の弱い主婦ですから。

 

7年前にミュージシャンの夫(オダギリジョー)を交通事故で失った田中良子尾野真千子)は、謝罪の言葉が無かったことから加害者からの賠償金を受け取らなかった。中学生になった息子の純平(和田庵)を育てながら、義父の入所している介護施設の入所費用や、義理の娘(夫の愛人の子)の養育費まで負担し、なおかつ自らのカフェの再開資金を捻出しようと、理不尽な仕打ちを受けながらも懸命に働く。
良子は、降りかかるストレスを「まあ、頑張りましょう」という言葉で遣り過ごす。「でも、いい人なんで」と自らを食い物にしてきた男たちを受け容れてきた同僚のケイ(片山友希)には、良子が一杯一杯になっていることが分かる。この2人の交感が胸に迫る。
中学の純平の先輩たちは、ネット民のメタファーかもしれない。例えば、税の使途は多様であり、その膨大な無駄や流用は問題にされるべきではあるが、批判の矛先はより弱い立場の者に向かってしまいがちだ。
尾野真千子田中良子の存在を生々しいものにしていた。その周囲の片山友希や和田庵も魅力的であった。そして、彼女らを苛む憎たらしい「敵役」の面々の好演があって、彼女たちの存在が引き立った。
映画であろうとその他のジャンルの作品であろうと、鑑賞するのに決まった時期などない。ある作品が鑑賞者の琴線に触れるかどうかは、個々の鑑賞者の経験や心境などと作品のテーマや内容との噛み合わせにかかっている。本作品もまた、いつ見られても良い作品ではある。だが、今見ることを強く推奨したい。現在との取っ組み合いで上がった血飛沫で、それこそ茜色に染まってしまうだろう。