可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『はるヲうるひと』

映画『はるヲうるひと』を鑑賞しての備忘録
2020年製作の日本映画。113分。
監督・原作・脚本は、佐藤二朗
撮影は、神田創。
編集は、難波智佳子。

 

曇り空の島の船着き場。堤防に座り、得太(山田孝之)が浅瀬にいる蛸に話しかけながら、時折長い棒で突いている。 ボートが到着し、下船した2人の男が得太に近づいてくる。島の人? ショートイチマンハッセン、オールヨンマン、ショートゴジュップンオールヨドオシ、オールダンゼンオトク、シカモウチハニホンジンオンリー。呪文のような文句を立て板に水で返され一瞬たじろぐ2人。何だ、本土と変わらないな。値引きはやってないし、どこも一緒だって、協定があるから。ちょっと他も当たってみるわ。何じゃ、チンカス! 去りゆく男達に罵声を浴びせると、得太は1人旅館「かげろう」へ引き返すが、その足取りは重い。出くわした子供たちにはパシリだと馬鹿にされる始末。気が滅入って思わずへたり込んだ得太に通りがかりの老人が見かねてミカンを手渡す。
「かげろう」で、純子(今藤洋子)が客に跨がって激しく腰を使っている。汗を拭う純子に客が声をかける。鎖骨の汗は拭かないでくれ。もう来ないなどと言って出ていく客を、沢山出しといて何、と明るく送り出した純子は、峯(坂井真紀)とりり(笹野鈴々音)が鏡に向かって身繕いを始めている広間に入る。新入りのさつみ(駒林怜)が暗い面持ちでやって来る。唇の周りにただれなどの症状が出ているが、薬局へ行っても軟膏を買えずに帰ってくることが続いていた。峯が梅毒じゃないと診断して宥める。いぶき(仲里依紗)が顔を出す。ずっと病気にために伏せっているいぶきと、純子とは折り合いが悪い。今日も2人は言い争いになり、濡れないから客がとれないと言った純子を峯がそれは禁句だと叱りつける。得太が戻り、純子がローションがなくなったと訴える。なくなるのが早くないかと愚痴る得太に、りりだけはまだありますよと優しく声をかける。天使だと感動してみせる得太を純子が罵倒する。ローションを買いにひとっ走りした得太が「かげろう」に戻ると、広間では、女たちが凍り付いたように座り、その前には「かげろう」の主人である哲雄(佐藤二朗)が床に倒したさつみの顔を足で踏みつけていた。

 

島の売春宿という二重に閉鎖的な環境で暮らす人たちを描く。

以下、上記に紹介した冒頭の内容以外についても言及する。

旅館「かげろう」の主人である哲雄(佐藤二朗)は、体を売る女たちを虚ろで何にも成ることができないと蔑むことで、自らは妻子を持って「まっとうな」生活をしていると確認しようとする。父が母ではなく愛人と心中したことから、自らもまた愛を欠いた虚ろな存在であるとの認識を拭い去ろうと必死なのだ。
虚ろを象徴するのが、売春という愛の無い(射精させるテクニックだけの)セックスであり、売春宿(≒島)という枠の中は空っぽなのだ。そして、フェラチオ(口淫)は、「口」を用いた「虚」ろな行為であり、「嘘」を象徴するものとされている。峯がどれだけ哲雄に口技を施しても、何も生み出すことはない(峯の何者かに成ろうという望みは叶わない)。得太(山田孝之)が連れてくる客はゼロであり、得太といぶき(仲里依紗)の兄妹の間の恋愛はタブーであり成就することはない。掴めるものは何も無い。
哲雄の父が心中した愛人というのは、得太(山田孝之)といぶき(仲里依紗)の兄妹の母であった。彼女は息子と娘に無理でも笑えと笑いの大切さを伝えていた。いぶきは繰り返し「歯」という字を書く。歯、歯、歯。文字はゲシュタルト崩壊し、その音「ハ」だけが残る。ハ、ハ、ハ。たとえ嘘であっても、笑いになる。その音を摑むことは決してできない。だが、摑むことができなければ、意味が無いと言えるだろうか。芝居もまた何も無い空間(≒虚ろ)に役者が言葉を発すること(≒口)で成り立つという意味では「嘘」であるが、そこから生まれる実もある。映画(=芝居)を作る監督は、「嘘」が人生に果たす効用に賭けているのだ。