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芸術鑑賞の備忘録

映画『逃げた女』

映画『逃げた女』を鑑賞しての備忘録
2020年製作の韓国映画。77分。
監督・脚本・編集は、ホン・サンス(홍상수)。
撮影は、キム・スミン(김수민)。
原題は、"도망친 여자"。英題は、"The Woman Who Ran"。

 

数羽の鶏が餌を突いている鶏舎。
菜園で草を引いているヨンスン(서영화)。菜園の先は傾斜地になっていて、上に鶏舎がある。スーツを着た若い女性が現れ、ヨンスンに声をかける。顔がむくんでないですか。少し、ね。お酒を飲んでしまって、今日、面接で、緊張してしまって。それでスーツなのね。自信がないです。大丈夫よ。朝に会えて良かったです。
住宅に挟まれた狭い路。奥から自動車がやって来る。住居に附属する屋根つきの駐車スペースに車が入れられ、ガミ(김민희)がビニール袋を下げて車から出てくる。路地を歩き始めると、ガミ、とヨンスンから声がかかる。先輩! 本当に来たのね。お久しぶりです。どうして分かったんです? カメラが付いてるから。そうなんですか。迷わなかった? ええ、1度通り過ぎてしまったけど、すぐ分かりました。良かった。髪、短くしたのね。切ったばっかりなんですけど、変ですか? 随分思い切ったのね、長かったのに。飽きちゃって、自分で切りました。え? 風呂場で、その後美容室で整えてもらいましたけど。チャラい高校生みたい。そうですか? 可愛いわ。チャラいかしら。若く見えるってこと。お肉を買ってきました。いいものらしいです。食べたがってたものね。マッコリもあります。お酒を持ってきたの? ガミはヨンスンに家の中へ案内される。

 

ガミ(김민희)は結婚して5年になる夫と1日たりとも離れたことがなかったが、夫の出張をきっかけに、久しぶりに親しくしていた先輩たちを訪ねて回る。ガミと彼女たちとの会話劇。
ヨンスンと近所の若い女性との「むくみ」をめぐる会話、あるいはガミとヨンスンとのガミの髪型をめぐる会話など、冒頭のシーンから、思いを投げ掛ける言葉が、相手の思いと一々齟齬を来していて、その隔たりを埋め合わせようとする言葉が重ねられていく。思いをぶつけられた人にとっての違和感と、その違和感を察知して軌道修正の言葉を発する人の違和感とが、次々と表されていく様を見ることになる。コミュニケーションにおける不可避の事態ではあるけれど、ボディーブローとなって関係を修復不能にまで追いやる可能性も否定できない。そして、5年間、1日たりとも離れたことのなかったというガミとその(画面に登場することのない)夫との関係に対し、鑑賞者は思いを馳せずにはいられなくなる。果たして、毎日の夫婦間のコミュニケーションはどうなっているのだろう、と。そのスイッチを入れるのは、離婚した夫とは1日でも一緒に居られなかったとのヨンスンのセリフであり、また、ヨンスンを例外に自分の親しい人に対しての夫の評価の低さについてのガミの吐露である。

以下では、冒頭だけでなく全篇に渡り言及する。

鶏の鳴き声をめぐる話題から、鶏舎では雄鶏が年中突くので雌鶏の首の後ろが禿げてしまっているとヨンスンの同居人ヨンジ(이은미)が指摘する。作品が鶏舎の映像から始まることも相俟って、鶏舎は付き合いのある人々との間の諸関係であり、ヨンジの発言はマウントをとろうとする男に対するミサンドリー(男性嫌悪)の表明と解される。男性一般に対する不満は、スヨン(송선미)からも表明されるが、他方で上階に住む既婚の建築家に対する恋心や、若い「ストーカー」詩人(하성국)に対する対応からは、裏腹の感情が窺える。
引いた映像で会話する人物と周囲の光景を捉えていたカメラが、不意に急にズームする。会話する人物だけ、あるいは一方だけを捉える。それはキャラクターの本心を覗こうとするよう促すための演出なのだろうか。ヨンスンやスヨンの玄関に設置されたカメラが捉えた映像がモニターに映し出されている(あるいはガミに見せている?)のも、関係を切断しつつ接続するアンビヴァレントな状況の提示である。それは、ウジン(김새벽) の夫である小説家チョン先生(권해효)がテレビ(映像越し)で同じ言葉を繰り返し表明することに対し、ウジンが抱く不信へと連なる。そしえ、夫とは結婚以来5年間1度も離れたことがなったと同じ言葉を繰り返すガミに対して疑いの目を向けるよう、鑑賞者は挑発されるのである。そのとき、「逃げた女」の意味が浮上することになる。