可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 中野由紀子個展『歩いて行けるところ、自転車で行けるところ、寝ていて行けるところ』

展覧会『中野由紀子「歩いて行けるところ、自転車で行けるところ、寝ていて行けるところ」』を鑑賞しての備忘録
藍画廊にて、2020年6月14日~19日。

壁面に展示された油彩作品10点と、床の台に設置された、水彩紙にアクリル絵具で描いたモティーフを切り抜いた小品群で構成される、中野由紀子の絵画展。

大画面(F100号)の《歩いて行けるところ(温室)》(2021)には、いくつかの鉢、温室のフレーム、壁(?)などが濃い緑色の太い線で表され、モンステラ(?)などの熱帯植物の特徴的な葉の形が重ねられるように随所に描き込まれている。同じサイズで、メイン・ヴィジュアルに採用されている《歩いて行けるところ》(2020)は、温室の中でも高い部分を描いているらしく、鉢の姿はなく、温室のフレームが見え隠れする画面のあちらこちらに、熱帯植物の葉が濃淡の緑や白で重ねて描き込まれている。小画面(F10号)の《歩いて行けるところ(温室)》(2021)は、大画面の2作品に比べると温室のフレームのつくるグリッドがかっちりしているものの、崩れたデジタル・カウンターの表示のようである。やはり熱帯植物のギザギザとした葉のイメージが重ねられている。「歩いて行けるところ」シリーズの3作品は、熱帯植物が茂る温室の様子を、白の画面に濃い緑色の太い線で表現している。温室のフレームが脱臼するかのようにずれたり、部分的に表されるのは、熱帯植物の葉や光に遮られて姿を見せたり見せなかったりといった知覚の表現であるとともに、風景の光学的写像でないことを明示するものでもあろう。また、植物を淡いシルエットのように描いたり、絵具を画面下方に垂れさせているため、油彩でありながら水彩のような印象を生んでいる。とりわけ「歩いて行けるところ」シリーズは温室を描いているため、湿度を感じさせる。シリーズ中、大画面の2作品には、日射しの表現であろうか、蛍光オレンジの点が差されている。画面に占める割合に比して、印象は強い。鑑賞者の視線の動きを誘導するために、作者が用いる「レーザーポインター」なのかもしれない。

大画面(F100号)の《自転車で行けるところ(向こうの川、夕方)》(2021)には、手前の生い茂る緑の草の先に川の流れを表し、対岸には朧気な樹影と夕陽に染まる家並みが描かれる。遠景には山の姿がほぼ稜線のみで示され、そこに太陽を示すオレンジ色のドットが添えられている。小画面(F3号)の《自転車で行けるところ(遠くの山、夕方)》(2021)には、白い画面に山の稜線が黒の太い線3本で描き込まれ、そのうち一番低い線には夕陽を表すオレンジ色が添えられている。画面の上辺附近には明るい青が配されて、爽やかな印象を生んでいる。大画面(F130号)の《自転車で行けるところ(土手、昼)》(2021)には、手前にベージュや白などで草が表され、その先には濃い緑色の土手が横方向に延び、何本か樹木が立っている。画面最上部の青空に接するように、山の稜線が緑の線で表される。山の下の宙空に描き入れられたオレンジ色の半円(三角形に近い)が目を引く。小画面(F4号)の《自転車で行けるところ(土手、夕方)》(2021)には、下がオレンジに染まったグリッドに、ベージュの山の稜線が重ねられている。「自転車で行けるところ」シリーズでは、大小や濃淡に加え、密と疎によって近景と遠景との差異を表す実験を行っているようだ。本シリーズにおいても、描線から絵具が垂らされている。時々刻々の光の変化、あるいは知覚したイメージが記憶の中で変容していく様に形を与えたのだろうか。

大画面(F100号)の《寝ていて行けるところ(屋上にプールと花)》(2021)は、画面上部の6分の1程度を濃い緑などで塗り、白く塗った画面の残りの部分にプールと赤・青・黄の花が描かれる(小さな白い花がそれらの間に描き込まれている)。タイトルには「屋上」とあるが、屋上かどうかは画面からは判然としない。また、プールが比較的写実的に表されているため、花々が簡略化して記号のように描かれているのが不自然である。もっともそれらの曖昧さや不自然さは、「寝ていて行ける」夢の世界を表現するためのものである(なお、小画面(F6号)の《寝ていて行けるところ(屋上と花)》には、本作品のエスキースと考えられる)。大画面(F130号)の《寝ていて行けるところ(白い崖、たぶん青い池)》(2021) には、樹木がところどころに密集する白い高台を表し、そこには周囲から盛り上げられた円形の貯水池が障壁に囲われてある。画面左上の部分が崖下になっていて、そこには同じような貯水池が設けられ、その周囲には家並みが広がっている。「寝ていて行けるところ」シリーズに共通するのは、屋上や高台といった高所と、プールや貯水池といった水場である。屋上や高台が白いのは、白い平面、すなわちキャンヴァスだからである。そして、屋上のプールにせよ、高台の貯水池(障壁を設置して周囲より高く設置)にせよ、それらに水を満たすためには、人工的に水を汲み上げる必要がある。水はアイデアのメタファーであり、それを画面に注ぎ込むためには、作家が汲み上げなくてはならない。すなわち、これらの作品には、作家の姿が暗示されているのである。そして、《寝ていて行けるところ(屋上にプールと花)》では、花が咲くことを期しているのである。

床には高さの異なる正方形の台が2つ設置され、その上に《寝ていて行けるところ》と題された、水彩紙にアクリル絵具で描いた上で画面から切り抜いた壺や花が並べられている。立方体や円柱の台座に彫刻のように立ててあるものと、台の上に寝かせてあるものとがある。立ててある作品は、鮮やかな色彩で塗られているものの、裏側は黒で塗りつぶされている。正方形の4辺のいずれからも見られることを想定して展示されているため、鑑賞者はどこから見ても必ず黒い裏側を目にすることとなる。作品が書割であることが印象づけられるのだ。また、テーブルのように高い台ではなく、地面から数十㎝の低い台に設置されているため、鑑賞者はしゃがんで見ることを余儀なくされる。書割という舞台装置の性格としゃがむ必要性から、この展示手法は、躙り口の代替機能を担わされているものと解される。すなわち、鑑賞者が作品世界に転移するためのシステムが目論まれているのだ。

 茶室建築の完成とともに独特の入口であるにじり口千利休によって考案された。その登場は天正10年(1582)頃につくられた待庵が最初とされている。その後、にじり口は四畳半以下の小間には必ずといってよいほどつけられるようになる。わずか方66センチぐらいの狭いにじり口があればこそ、小間という狭い茶室空間は無限の可能性を持ち得たのである。
 にじり口の発生について、『茶道四祖伝書』が次のように伝えている。
 大坂ひらかたノ舟付ニ、くゞりにて出入りを侘て面白とて、小座シキをくゞりニ易仕始るなり、
という話で、利休が淀川の枚方の舟付場に係留される川舟の入り口が小さくて、乗りおりする人々の姿がいかにもわびた風情であると気に入ってその出入口を茶室に採用したことになっている。単に姿がよいというだけではなく、舟というものが、板子一枚下は水底という運命共同体であり、さればこそ、呉越同舟という世界が成立するように、茶室にいったん入ってしまえば、そのなかは俗世の因縁を離れた運命共同体であるとの考えが、利休の脳裏に働いていたかもしれない。
 これに対して私は、にじり口が発想される有力なヒントは、芝居の木戸口ではなかったかと解している。にじり口が考案されてから普及するまで、さほど時間がかからなかったらしい。ということは、当時、安土桃山時代の人々に、にじり口が容易に理解されるような、類似の構造物がほかにもあったのではないかと考えたからである。近世初期風俗画に描かれる芝居の入り口は、一名鼠木戸と呼ばれたようにごく狭い入り口で、人々はここで大きく足をまたぎ背を丸めて這い入るようにして入場した。往来の日常的空間とは別個の劇的空間に入るためである。日常性が流れ込むのを防ぐ結界が鼠木戸であった。にじり口も古くは「くぐり」と呼ばれていた。非常に狭い口をくぐり抜けることは、洋の東西を問わず、異界への転移を意味していた。『不思議の国のアリス』はウサギの穴に落ちて異界の冒険が始まる。日本でいえば「鼠の浄土」の昔話がそれにあたる。陶淵明の「腿花源記」は洞穴が桃源郷の入口となる。くぐり抜けた向こうは、茶室あるいは芝居という異質の空間であることをくぐりは暗示しているのである。(熊倉功夫・井上治『日本の伝統文化シリーズ5 茶と花』山川出版社/2020年/p.76-78〔熊倉功夫執筆〕)

劇的空間において現れる現実と夢とに区別はない。作家の絵画において、人工物、植物、山川とは等しく太い描線で表されるのであり、「歩いて行けるところ」も「自転車で行けるところ」も「寝ていて行けるところ」もまた同じ世界なのである。