映画『Arc アーク』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。127分。
監督は、石川慶。
原作は、ケン・リュウの短編小説「円弧(アーク)」。
脚本は、石川慶と澤井香織。
撮影監督は、ピオトル・ニエミイスキ。
編集は、石川慶と太田義則。
暗い病院の一室。生まれたばかりの息子が掌を動かしているのを見つめる、17歳のリナ(芳根京子)。彼女は静かに部屋を出て行く。
ディスコテークを、黒いコスチュームで身を固めたエマ(寺島しのぶ)が訪れ、ステージを見下ろせる席に通される。4人組のダンスチームのパフォーマンスが終わると、下袖からつんのめって1人のダンサーが飛び出して来た。音楽はかからず照明も点かない。彼女はステージを降りると客のごった返すフロアをふらふらと歩き出す。踊らないのか? 踊れよ! 彼女は客の一人が手にしていたグラスを奪うと一気に飲み干す。そして客たちを押しのけるようにしてパフォーマンスを始める。二度と来るな。ディスコテークの裏口からスタッフに叩き出された彼女は、19歳になったリナ。行く当てもなく、人気のない通りに座り込む。彼女の傍を通り過ぎた車が停まり、エマ(寺島しのぶ)が降りて来て、リナに近づく。あなたの若さが必要なの。気が向いたら顔を出して。リナに名刺を渡したエマは車に乗って去って行く。
リナがエタニティ社を訪れる。ディスプレイされていた口紅を拝借して唇に塗ると、ガラス張りの無機質な社屋を抜け、モダニズム建築を髣髴とさせる別棟へ。そこにエマの統括する「ボディワークス」部門が入居していた。吹き抜けの空間に点在する、ワイヤーで固定された人体を覗いていると、いつの間にか現れたエマがリナに「本物なのよ」と声をかける。リナは思わず指先でつついてみると、その肌は柔らかかった。エマは可南子(清水くるみ)に社内を案内させる。人間や動物の遺体をプラスティネーションで保存するのが「ボディワークス」の業務内容だった。そして、エマは、ワイヤーを巧みに操り、遺体を生き生きとした形に整える最終工程を担っていた。やる気があるなら明日から来なさい。エマの言葉に、リナの気持ちは固まっていた。
以下、冒頭以外の内容についても触れる。
エタニティ社の「ボディワークス」部門は、プラスティネーションによる遺体保存サーヴィスを提供していた。その成功は、エマ(寺島しのぶ)の美的感覚と技術による貢献が大きかった。エマの弟・アマネ(岡田将生)の率いる同社の研究チームは、老化を抑止する技術を完成させることで、死をほとんど過去のものとすることに成功する。アマネと袂を分かったエマはリナ(芳根京子)に後事を託して引退する。リナはアマネと結ばれ、ともに不老の人生を手に入れる。
老化抑止技術により生き存えることは、変化=時間を止めることである。その不自然さ、あるいはグロテスクさは、やはり変化=時間を止めることによって得られるものと評しうる、プラスティネーションによって保存された遺体と並べられることで明らかにされる。
アーク(電弧)、燈台、(リナの息子の名前)リヒト(Licht)と、光のイメージで貫かれている。リナは息子(=燈台)を離れることで漂流する舟となるのであろうか。母が息子(=光)を追い抜くように若さを保つのは一種の「ワープ」であり、映画『インターステラー』(2014)の父娘関係に比せられる状況を生むことになる。