可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 木村萌個展『生地の庭』

展覧会『木村萌個展「生地の庭」』を鑑賞しての備忘録
LOKO GALLERYで2021年6月4日~27日。

ペインティング6点、ドローイング5点に加え、掌サイズの木材に描画した「悪庭」シリーズ15点で構成される、木村萌の作品展。

展示室手前の空間には、縦2m弱×横1m弱の板の枠に描画した絹を貼った画面4枚を、電話ボックスのように底面が正方形になるように組み合わせた作品《景》(2017)が設置されている。各面の下部には山並みあるいは波打つ海面が表され、上部には楕円や線など断片的なイメージが散らされている。絹は薄く、画面の奥を見通すことが可能である。ところで、漢字の「庭」とは、「屋前の、あるいは建物で囲まれた人工空間」を指す(進士五十八『日本の庭園 造形の技と心』中央公論新社中公新書〕/2005年/p.5)。《景》も「囲まれた人工空間」であり、一種の庭と言える。

 J.アップルトンは『景観の体験』という本で、われわれ人間がある風景を見て、美しいとか、好ましいとか感じる場合、それはその風景に描かれている環境が、人間にとって生存しやすい条件を整えていることを見抜いてのことだという。
 その好例が、中国の山水画の構図である。なかに描かれた人物は、絵を鑑賞する者の代理自我である。したがって、自分の代理である画中の人物が生きられる条件に置かれているかどうかが、好ましい風景かどうかの決め手になる。
 多くの山水画は、山あいの里を描いている。代理自我は、たいてい下から眺めても見えない崖の上の庵にいる。庵を一歩出て崖下を見下ろすと、川が流れ、外部からここに入るには橋を渡って入ってこなければならない。崖上からはその姿を一望でき、何者が入ってくるかただちに見える。しかし、自分の姿はもちろん、その庵さえ橋を渡って入ってくる者からは見えない。そういう構図になっている。守りやすく、攻めにくい場所に、代理自我の居場所が描かれているのが、風景画の構図になっているということである。(進士五十八『日本の庭園 造形の技と心』中央公論新社中公新書〕/2005年/p.8-9)

《景》には、山水画と異なり、アヴァターとなるべき人物は描き込まれていない。もっとも、その絹でできた画面の透過性が高いため、電話ボックスのような作品の内部空間の存在を、鑑賞者は容易に認識する。否、認識せずにいられない。そのため、鑑賞者は《景》という作品の内部にいることを想像するだろう。作家が展示室に先立って《景》を設置したのは、その「装置」によって、鑑賞者に作品すなわち作家の創造した世界の内部へと入り込ませるためであった。

1階展示室には、《ドウ(伝令)》(2021)、《ドウ(遣い)》(2021)、《ドウ(天使)》(2021)の大画面(F60号)の3点と、小画面(F3号)の《月の夜》(2021)、さらに「悪庭」シリーズ2点が展示されている。2階には、《やぐら》と、鉛筆によるドローイング5点、そして「悪庭」シリーズ13点が展示されている。

「ドウ」シリーズの3点の名称は、英語で「生地」を表す"dough"と「仮名」として用いられる"John Doe"の音写である。木枠が透けて見えるほど透過性の高い綿布に水彩と水干絵具で、木材・石・紙などを組み合わせた、人形にも見える立体物が、一体ずつ画面に表されている。《ドウ(伝令)》には、鉋で削った木屑のようなものを4枚貼り付けた、面取りした角柱の上に、削って丸みを出した白木を置き、それに赤い帽子のようなのようなものが被されている。《ドウ(遣い)》には、針金を曲げて作った上向きの矢印のようなものを取り付けた白木の柱に、石とオレンジ色のピンピン玉のような球体を縦に積み重ねたものが描かれている。白い紙が球体から柱に向かって垂らされている。《ドウ(天使)》には、スカートのような白い紙が緩やかに覆う柱の上に、肩を表すような形と頭を表すような白い球体が載せられている。

 住居も世界の中心(聖的空間)となるには、それなりの手順が必要である。たとえば、日本では住宅を建てるさいにいまだに「地鎮祭」をすることが一般的である。現在の地鎮祭の形式は江戸時代後半以降に家相の概念が定着してからのものだと言われている。日本では、「聖的なものが現れる」場合、むしろ「呼び寄せる=降神」ということが多く行われる。紙(紙と神とは音が同じなのでしばしば紙はシンボルとなる)でつくられた「御幣」は、紙を呼び寄せ、そこに現れる「依代」とされる。地鎮祭は、段取りとしては、まずは、土地の中心を4本の青竹に注連縄をつけて囲む(しきる)。そこが祭場(聖的空間)とされるである。さらにその中心に榊に紙垂を付けた神籬と呼ばれる神の「依代」を置く。そして、祭場を祓い清め(修祓)、神を神籬に呼び寄せる(降神させる)。そして神饌を神々に奉り(献饌)、さらに祝詞をあげる。その後に鍬を使った儀式などが続いていく。(柏木博『「しきり」の文化論』講談社講談社現代新書〕/2004年/p.93-94)

「ドウ」シリーズ3点にはそれぞれ「伝令」、「遣い」、「天使」と、神のメッセージの媒介(者)を表す言葉が付されており、各モティーフを一種の依代と捉えることは十分可能だろう(そもそもそれらは代替可能性を有する"John Doe"なのだ)。木枠がはっきりと姿を見せているのは、周囲から「仕切り」、聖化するためかもしれない。そして、イメージが表されている画面が透過性を有することは、聖と俗、彼岸と此岸との境界として機能させるためではなかろうか。

 平等院の敷地は、平安時代には現在の7倍もの面積を占めたと考えられているが、その中心をなす阿弥陀堂と園池は、現在までおおむね良好に保存されてきた。その園池の発掘調査が、宇治市教育委員会により平成2年(1990)から約10年にわたって行われ、その結果、平安時代の園池や阿弥陀堂一帯は大きく2度の改修があることが明らかになった。
 ゆったりとした出入りを持つ州浜仕上げの園池の西端近くに同じく州浜護岸の大きな島を配し、そこに檜皮葺の阿弥陀堂を東向きに建て、阿弥陀堂対岸は一面の小石で覆われて宇治川の川原へと連続していく。造営当初は、そういった様子であったようだ。『扶桑略記』康平4年(1061)10月25日条は、平等院を「水石幽奇。風流勝絶」と賞賛したうえで、「前に一葦の長河を渡す有り。あたかも群類を彼岸に導くが如し」と記す。この記述は「一葦の長河」すなわち宇治川を境に西の平等院全体を彼岸(極楽浄土)、東を此岸(現世)と見る構想を裏付けるものである。(小野健吉『日本庭園 空間の美の歴史』岩波書店岩波新書〕/2009年/p.99-100)

平等院の庭園(園池)が宇治川を取り込み、それを境に平等院全体を浄土と見立てたように、作家は画面を境に此岸と彼岸とを示してみせる。すなわち、展示空間を現世としつつ、画面を境にその奥に「浄土」を展開するのだ。そして、その際、《景》という「装置」によって可能になった、画面の向こうへと入り込む経験が活かされることになる。