可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 三枝愛個展『尺寸の地』

展覧会『三枝愛「尺寸の地」』を鑑賞しての備忘録
Bambinart Galleryにて、2021年6月19日~7月4日。

「尺寸の地」シリーズのサイアノタイプ(日光写真)11点と、「誰かの畑」シリーズ及び「墓予定地」シリーズなどペインティング9点で構成される三枝愛の個展。

会場の隅に、サイアノタイプの感光液を塗布した黄袋に「手」(手袋?)を広げて置くことで得られた、白い掌のイメージが、竹尺を添えて置かれている。親指から中指まで、すなわち黄袋の画面の幅は、約6寸であることが分かる。絵画の「号数」規格は、メートル法のフランスの規格を尺に置き換えたものを、後に尺貫法廃止の際、再度1尺を約303mmに換算し直したものだという。0号は親指から中指までの長さを基準にしており、それが約6寸に相当すること、すなわち絵画のシステムが手(≒人体)の寸法と黄金比という、ル・コルビュジエの提唱した「モデュロール」と同様の理念に基づくことが「絵解き」されているのである。
「尺寸の地」シリーズは、サイアノタイプを用いて、黄袋に木枠の当たっていた部分が感光せず(青くならず)に残った部分を地に、何も無かったために感光して青くなった部分を図として表した作品群である。木枠を浮かび上がらせるのは、木枠が、描画という営為の行われる舞台(土台)であるが故である。そして、作家は「尺寸の地」シリーズを農地とパラレルに捉えている。たとえ狭い面積(=「尺寸」)であっても、注ぎ込まれる労力によって、画面=農地は掛け替えのない存在となること、また、太陽のエネルギーによって図像(サイアノタイプ)=収穫(農作物)が得られるからである。
「誰かの畑」シリーズは、2020年制作の2点と2021年制作の2点の計4点が展示されているが、画面のほぼ中央に配した横に長い矩形の農地をやや高い位置から眺め、画面の上半分程度を空に当てる、ほぼ同様の構図であるため、同一の光景を描いているものと考えられる。《誰かの畑-1》(2020)では、黒い道の走る(?)画面の下から淡い灰青の空が広がる画面の上にかけての明暗のグラデーションに加え、横方向の粗い筆運びの下端から斉一に塗り込めた上端への変化が、遠近の差異を強調している。《誰かの畑-2》(2020)は同シリーズ4作品中、唯一横長の画面。モスグリーンや灰青など灰色系統の色彩で統一された画面の中、白く塗り込めた農地が輝く。同一シリーズ作品中、画面の一番小さい《誰かの畑-3》(2021)では、夕空を映すように、中央の矩形の農地がレモンイエローに輝く。《誰かの畑-2》と《誰かの畑-3》の表現から判断すると、中央の矩形は水田なのかもしれない。《誰かの畑-4》(2021)は画面上下をグレー系統で表し、画面中央をモスグリーン寄りの黄土色でまとめている。作家は「誰かの畑」の広がる土地を描くことで、自らの作品として収穫しているのだ。その営為は、作家と土地との紐帯をより緊密に変じるだろう。
《墓予定地-1》(2020)は、モスグリーンを縦方向に塗った画面の周囲を白で縁取り、《墓予定地-2》(2020)は、《墓予定地-1》に近い構図だが、中央の縦の描線がやや斜めに変更されるとともに、中央の描線と同じ色が配された縁の幅は広げられている。シンプルな作品だけに、土地を区切ることで死者と生者との境界を生じさせる行為が明確で、黄泉ないし黄泉比良坂を連想させる。《墓予定地-4》(2021)は、中心となるモティーフである正方形の区画が、斜め上方から捉えたために、平行四辺形(菱形)で表されている。その背後(画面上部)にはモスグリーンを背景に紫色が壁あるいは山のように立ちはだかっている。あるいは「壁」は、阿弥陀仏を乗せる紫雲であるのかもしれない。
《田園と壁》(2021)は画面手前左手から画面奥右手に向かって壁が立ち、その左手にモスグリーンで表された水田(?)が配される。壁に沿って伸びる道の黒さと、「水田」を仕切るビニールハウス(倉庫?)の白さとのコントラストが、主役の壁(?)よりも目を引く。