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芸術鑑賞の備忘録

映画『海辺の金魚』

映画『海辺の金魚』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。76分。
監督・脚本・編集は、小川紗良。
撮影は、山崎裕

 

遠浅の海に入って泣き崩れる少女。
棚に置かれたガラスの透明な金魚鉢。底のエアーポンプから酸素の泡が柱のように立ち上がる中を、1匹の金魚が泳いでいる。瀬戸口花(小川未祐)は餌をわずかに摘むと水面に落とす。食べろ。花は金魚の様子を見つめている。階下の玄関で音がする。びしょ濡れだな。児童養護施設を運営している「タカ兄」こと高山勉(芹澤興人)が帰ってきた。幼い少女(花田琉愛)を伴っている。花、荷物を運んでくれ。花が荷物を子ども達が散らかした広間へ運んでいくと、今し方到着した少女が、茶色いウサギのぬいぐるみで顔を隠すようにして、角に座っている。少女の名が晴海であることを名札で知る。ここにいる人は怖くないからね。このウサギさんはママからもらったの? 優しく声をかけるが、少女は口を噤み、頑なな態度を崩さない。
照明を落とした食堂で、蝋燭を点したケーキが花の前に運ばれる。ハッピバースデー、トゥーユー、ハッピバースデー、トゥーユーと皆が歌うと、花が火を吹き消す。花ももう18かと幼い男の子が不相応に感慨深げな言葉を発する。テーブルの上にはご馳走が並び、皆がわいわいと食事を採っている。だが晴海はぬいぐるみを抱いたまま黙りこくっている。食べないの? 晴美は席を立って出ていってしまう。後を追おうとする花をタカ兄が留める。大丈夫、主役は花なんだから座っとけ。バースデー・パーティーが終わり、キッチンで片付けをしていると、タカ兄が花に声をかける。大学は調べたのか? やっぱり高校出たら働こうって。つい最近も参考書読んでたじゃないか。学びたいことも特にないし…。奨学金の申請に保護者のサインが必要なんだ。そんなときの為に俺たちがいるんだろ、心配するな。小さな子どもたちがやって来て、花に風呂が空いたと告げる。入ってこい。花は湯船に浸かり、ショパン夜想曲第2番を鼻歌で歌い、湯の中に沈んでいく。息が切れた花は、湯から顔を出す。寝る準備を整えた子どもたちに、花がアンデルセンの『人魚姫』を読んであげている。晴美が出ていってしまい、花は追いかけようとするが、子どもたちに続きを読んでとせがまれる。

 

18歳の誕生日を迎える瀬戸口花(小川未祐)の暮らす児童養護施設に、8歳の晴美(花田琉愛)がやって来る。最年長の入所者として、施設を運営している高山勉(芹澤興人)をサポートして子どもたちの面倒を見ている花は、10年前、8歳で入所することになった自らの姿を晴美に重ね、殊に目をかける。ある日、花は自らが入所するきっかけとなった事件に関する新聞記事を目にする。

以下では、結末についても触れる。

(金魚鉢の)金魚、アンデルセンの『人魚姫』、ショパンの「夜想曲第2番」がモティーフとして繰り返し表される。とりわけ、金魚鉢の金魚は、児童養護施設に保護された花自身の姿、あるいは10年前に起きたかき氷毒物混入事件の死刑囚・瀬戸口京子の娘であることを象徴する。夏祭りで起きた事件の現場に8歳の花は居合わせており、毒物で苦しむ人々と連行される母親とを目撃している。晴美の金魚すくいに付き合った花は、夏祭りの金魚すくいで金魚を手に入れた光景がフラッシュバックし、倒れてしまう。花の金魚鉢には、晴美がおまけでもらった金魚が入れられる。晴美が虐待を受けていることに気付いている花は、一時帰宅した晴美を救出した後、夕立に遭って舟の中に避難する。船室の丸い硝子越しの花と晴美の姿は、そのまま金魚鉢の中の大小の金魚に重ねられる。花は自らの飼っていた金魚をコップに移し、海に放ちに行く。守られた児童養護施設(=金魚鉢)を出て、社会(=海)の荒波に揉まれる決心をした。それは、晴美に対する人生の道標たらんとする決意であり、同時に、「死刑囚の娘」からの解放(=母との関係の断絶)を企図したものでもあった。
犯罪者である母・京子との母娘関係の呪縛を花は断ち切ろうとしている。花は、母親から虐待を受ける晴美を救出し、晴美との間に疑似的な母娘関係を築くことで、血のつながりに依らない「家族」を構想するのだ。また、花や晴美の父についての言及はなく、タカ兄も「兄」であり「父」ではない(晴美の処遇に対する判断ミスを花に謝るシーンなども「父」的性格を打ち消すよう働いている)。なおかつ花の「ボーイ・フレンド」である貫太の存在も後景に追いやることで、単為生殖的な世界像を表明している。「単為生殖的な世界像」とは、映画『アナと雪の女王』(2013)を始めとする脱・王子(男性)依存型の女性像の亜種である。王子の愛(≒精子≒遺伝子)を得ようとして叶わず「泡」として消えた「人魚姫」を、男性依存型の有性生殖的な世界像を描く作品として作品に導入するのは、血≒遺伝子に縛られない家族(=リプロダクションのシステム)の支持という旗幟を鮮明にするためだろう。
花が愛(唱)するショパンの「夜想曲第2番」の辿々しい調べに誘われて音楽室へ向かうと、ピアノには数人の女子生徒が和気藹々と存在している。中の1人の(「花」ではなく)「瀬戸口"さん"」という一言と、花と彼女たちとの位置関係とで、その場の空気が画面から漂い、花の「特異な立場」を一瞬にして示す。花と交友する貫太の登場シーンも、花の学校における立場を明らかにするものだ。
画面が美しい。独白のナレーションを中心に組み立てたら、テレンス・マリック監督風の作品になるのではないかと思うくらいだ。
子どもたちの言動や、セリフの言い間違いなどをそのまま取り込むことで、リアリティが高められた。
花と晴美が舟へと掛ける差異の海岸の夕立や、花が自転車や徒歩で通りかかる際に見切れる肥薩おれんじ鉄道の車両など、絶妙なタイミングのシーンに、撮影の苦労が偲ばれる。