展覧会『江藤玲奈・竹原美也子2人展~それぞれの物語~』を鑑賞しての備忘録
UNPEL GALLERYにて、2021年7月11日~8月1日。
江藤玲奈の絵画9点と立体作品11点、竹原美也子の絵画12点と立体作品3点が展示されている。
竹原美也子の作品について
横長の画面(1740mm×2190mm)の《おひさまのひとりじめ》には、畳の敷かれた部屋とそこにある大きな机に映る電柱の影が、部屋の外の斜め上からの構図で描かれている。机上には食べかけのブドウの載った皿、口の開いた牛乳パックや菓子の袋、牛乳の入ったコップ、畳には開いて伏せられた漫画本、雑誌、脱ぎ捨てられた服、枕や座布団が散らばっている。汚れて傷んだ机や畳、角に吊された洗濯物などが生活の生々しさを伝える。それにも拘わらず、人の姿がない。その「静けさ」が、何気ない日常の儚さを画面内に響かせて、愛惜の念を催させるようだ。画面下にある朝顔の巻き付いた手摺り、画面左端や上、右側に覗く戸、画面の中央を覆う畳が、長方形の画面に対し斜めに配され、カメラの絞りの羽根が開いた形を成している。その構成が右に回転する渦として働き、絵画の求心力を生んでいる。左隣に展示されている、朝食が準備されているダイニングキッチンを描く縦長の画面(1940mm×1303mm)の《良いスタートのために》では、画面右下のクリーム色の丸いテーブルに対し、その背後にある画面中段のエメラルド・グリーンの流し台と雪景色が見える窓とがそれぞれ扇形状にデフォルメされて、3つのモティーフそれぞれの重心が下段右・中段左・上段中央となり、流し台と窓枠のつくる曲線と相俟って、右下から中段左を経由して右上へと向かう時計の針先の動きを表すような回転運動を生じさせている。
正方形の画面(1000mm×1000mm)の《ひみつの話》では、斜め上から見下ろす構図で炬燵を描く。天板の上にはピーナッツやミカンの皮の乗った皿、網掛けのセーターと毛糸などが置かれ、ピンクとグリーンの配色を中心としたパッチワーク状の炬燵布団からはクマのぬいぐるみが覗いている。人物は描かれず、母娘あるいは祖母と孫娘の存在が暗示されている。画面の正方形に対し、それとほぼ合同の天板の正方形が左下の角を中心にして右下の角が約20度上向きに回転するように描かれている。《ひみつの話》と同じサイズの《みんなを起こすまでに》は、台所の様子をほぼ真上から描いている。正方形の画面と相似を成す木の板の床が画面左上の角を中心に画面右上から約30度下向きに回転した形で描かれている。L字型の台の上には、目玉焼きのフライパン、味噌汁の鍋が画面下部に、画面上部に3つの弁当箱とランチクロス、俎板と包丁などが画面上部に配されている。床に散乱した色とりどりの爪楊枝や溢れた牛乳のカオスは、弁当箱に整然と並べられていくおかずのコスモスと対照を成す。毎朝限られた時間の中で奮闘する「母」の姿を、弁当に透かし見せようとしている。
横長の画面(1740mm×2190mm)の《お母さんをお手本に》には、餃子の皮に餡を包む作業の行われるテーブルがほぼ真上からの構図で描かれている。画面に対して45度を成す市松模様の床を背景に、中央にやや右側に傾いだ形でレモン色の天板のテーブルを描き、その右、下、左に置かれた椅子が囲んでいる。天板の中央には餡の丸皿、その周囲には丸い餃子の皮、水を入れた丸い小皿、作った餃子を並べたトレーなどが置かれている。左側の「お母さん」のトレーに整然と並ぶ餃子に対し、子供たち二人の餃子は歪で雑然と並び、数も少ない。椅子や床に餃子の皮が落ち、あるいは床に水がこぼれている。同じサイズの《まってましたの時間》は、畳を背景にクリーム色の丸いテーブルが描かれる。甘エビ、イクラ、大葉、キュウリ、ウィンナー、卵焼き、カイワレなどの丸い大皿、寿司飯の丸い皿、海苔の皿、5人分の取り皿などが置かれ、手巻き寿司を楽しむ家族の情景を描いている。新聞と缶ビール、(座布団でなく)小さな椅子、ハンカチ、急須や湯飲みを乗せた盆、携帯ゲーム機などをアトリビュートとして、人物を表すことはない。テーブル、皿、座布団の柄の円が画面にリズムを作っている。
これらの作品に共通するのは、何より、家の中の日常的な光景を、卑近なモティーフを数多く描きこみながら、人物を描くことなく表している点である。それは、不在の「空間」に鑑賞者を招き入れるための仕掛けでもあるかもしれない。また、幾何学的なモティーフや明快な構図によって、一見乱雑な世界の中に秩序をもたらしているところも魅力である。