展覧会『ボイス+パレルモ』を鑑賞しての備忘録
埼玉県立近代美術館にて、2021年7月10日~9月5日。
ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)と、彼の教え子の1人であるブリンキー・パレルモ(1943-1977)とを取り上げる企画。
「ヨーゼフ・ボイス:拡張する彫刻」、「パレルモ:絵画と物体のあわい」、「フェルトと布」、「循環と再生」、「霊媒的:ボイスのアクション」、「再生するイメージ:ボイスのドローイング」、「蝶番的:パレルモの壁画」、「流転するイメージ:パレルモの金属絵画」の8章で構成。但し、出展リストやカタログと、会場での作品の展示順序とは異なっている。Bの付された番号はヨーゼフ・ボイスの、Pの付された番号はブリンキー・パレルモの作品を表わす。
【プロローグ ヨーゼフ・ボイスとブリンキー・パレルモ】
フランクフルトのクンストフェラインで開催された、ボイスの教え子たちが集った展覧会「mit...neben...gegen」において撮影された、右手で口を覆うヨーゼフ・ボイズと、その隣でマイクを握るブリンキー・パレルモとを捉えた写真《ブリンキーのために》[B01]が、展示室の入口の壁面に掲げられている。
【ヨーゼフ・ボイス:拡張する彫刻】
《20世紀製、華奢な人のための背中用コルセット(うさぎタイプ)》[B15]、《そり》[B12]、「直観」シリーズ[B05-09]、《ヴィトリーヌ:チンギス・ハーンの玉座》[B16]などの立体作品、《シベリア横断鉄道》[B13]と《ユーラシアの杖:82分のフルクソルム・オルガヌム》[B11]の2つの記録映像などを展示。ユーラシア(ヨーロッパ+アジア)における移動(橇、遠征する騎馬民族、シベリアへ敷設された鉄路と鉄道)をなぞる線が作品に現れる。
ヨーゼフ・ボイスは、「完成か、未完か」という古典的な図式を乗り越えるために完成をいつまでも先延ばしにしようとし、「あれも、これも」と対立する二項を措定しながら曖昧な態度に終始することで、形式と内容の両面において変化を提示しようとする。芸術の概念をいったん壊し、拡張することがその狙いである(福元崇志「ヨーゼフ・ボイス:拡張する彫刻」鈴木俊晴他編『ボイス+パレルモ』マイブックサービス/2021年/p.53参照)。
(略)ボイスは人間のあらゆる行為、それこそ会話や思考さえも含む日々の活動の全てを彫刻的営為だとみなしていた、「人は誰もが芸術家」という言葉や、「社会彫塑」という発想は、その典型だと言えよう。特別な技能をまったく前提としない、誰にでも実践可能な造形。こうした理念ゆえに、ボイスは造形の重点を、結果ではなく過程に置いた。社会の造形が、1つの人生を超えてなお継続される営みであり、終わりがないものである以上、自作において可視化すべきは、つねに道半ばであるような状態にほかならない。生成変化を繰り返す完成なき制作、それこそがボイスの目指すものだった。(福元崇志「ヨーゼフ・ボイス:拡張する彫刻」鈴木俊晴他編『ボイス+パレルモ』マイブックサービス/2021年/p.53-54)
【パレルモ:絵画と物体のあわい】
幅の異なる3つの帯を平行に描き、水平線に向けて広がるイメージを表わした《海辺にて》[P07]、画面最下部に傾斜した帯を配して幾何学的図形のように男女を描いた《男と女》[P01]、壁面に色を配して空間の印象を変えていく後の作品を予兆する、壁の隅をまたぐ黄色い帯を描いたような無題作品[P03]など、パレルモの絵画を紹介。3本の角材によって囲まれる部分が鈍角三角形になるように組み合わされた彫刻的な無題作品[P09]や、T字に組み合わされた木材の横棒の右端から下にやや離れた位置に三角形が設置された、力のモーメントを表わすような無題作品[014]など、鑑賞者に視点を変える動きを要求し、あるいは作品自体に動きを表現したような作品もある。ヨーゼフ・ボイスがフェルトで包んだL字型の木材4本(うち1本には銅の棒が添えてある)を60度くらいの傾斜で壁に立てかけた《ユーラシアの杖》[B10]も同じ空間に展示されている。
こういったパレルモの実践は、具象/抽象といった主題の問題というより、絵画を基底で支えてきた約束事の解消に関わる。すなわち、矩形という形状、いわゆる絵画的な寸法、壁掛という設置方法、描かれた画面といった、それまでの絵画の前提条件を解消してしまったのである。絵画の約束事を無自覚に受け入れてしまうことを遮断し、絵画を諸条件から解放された物体として捉え直すことを可能にしたといえる。その結果、現実空間に開かれたパレルモの作品には、設置される場所との関係が否応なしに浮上する。次第にパレルモは、展示空間やウォールドローイングへと意識を向けていくが、それは必然的な道程であったといえるであろう。(平野到「パレルモ:絵画と物体のあわい」鈴木俊晴他編『ボイス+パレルモ』マイブックサービス/2021年/p.77-78)
【フェルトと布】
フェルトでできた黒板消し[B25]やスーツ[B24]、フェルトで覆ったオーティオテープ[B23]、防音材として展覧会会場の壁面を覆ったフェルトのロール《プライトエレメント》[B29]などのボイスの作品と、緑・青・青[P15]、ベージュ・茶・黒[P16]・クリーム・クリーム・ライトグレー[P17]など、染色された布を縫い合わせて作ったパレルモの「布絵画」を展示。物を包み、人を包み、環境を包むボイスのフェルトのシリーズと併せて見ると、バーネット・ニューマンやマーク・ロスコーなどの絵画を連想させるパレルモの「布絵画」、ひいてはおよそ絵画というものが環境を包むものであることに気付かされる。
1950年代末から60年代の初頭にかけて、ボイスの作品に、そしてアクションに、脂肪とフェルトが現れる。この2つの日常的にありふれた物質をそれおぞれ彫刻の素材へと――人肌ほどの温度で形を柔らかく変える脂肪を熱エネルギーの塊として、フェルトはそれを保持する「絶縁体」として、そしてまた、それを緩やかに伝える「浸透剤」として――読み替えたのはいかにも独創的だった。のみならず、ボイスは1970年前後にようやくこの素材に自伝的要素があったことを語りはじめる。1944年3月、通信士として搭乗していた急降下爆撃機JU87がクリミア半島上空でソヴィエト軍に撃墜されてしまい生死の境を彷徨っていたところ、現地のタタール人によって傷口に脂肪を塗り込まれ、フェルトで包まれることで命拾いした、と。
この自己伝説化的な物語の錯綜する真偽よろしく、動物の体毛に由来する繊維に熱を加えて圧縮してできるフェルトは解き難く複雑に絡み合い、全方向的なネットワークを形成する。ボイスがそのフェルト=カオスに「反対像」の景気を見いだしていたことは本質的に重要である。(略)
(略)
同じころパレルモは街の百貨店で布を買い求めていた。(略)
布絵画は素材の布のしきさいがそのまま絵画の色彩になっているという点で従来の「カンヴァスに油彩」という絵画の形態とは一線を画している。しかもパレルモは布絵画を手がけるにあたって、布を選び出し、その組み合わせと配置の比率を決めるところまでしか担っていない。裁縫が不得手なパレルモに変わって作品を実現したのは友人たちだった。(略)複数の色のバランスを調整し、複数の手によって制作される、その取り合わせから生まれる「響き」にこそパレルモは引きつけられていた。
こうした成り立ちはまた作品の特質にも関わっている。素材の布をそのままに用いている点において物質的であり、かつすいへいに組み合わされた布は抽象画のようでありながらどこか風景画をも思わせ、そしてジャンルとしては描いていないにもかかわらず絵画であろうとする。布絵画はこのように「もの」「イメージ」「ジャンル」、そして制作の「主体」といった絵画にまつわるカテゴリーのそれぞれを流動化する。(鈴木俊晴「フェルトと布」鈴木俊晴他編『ボイス+パレルモ』マイブックサービス/2021年/p.103-104)
【循環と再生】
サイズ、形の異なる銅製の3つの箱を銅線がつなぐ《小さな発電所》[B36]、スーツケースの中にソースの小瓶とレクラム文庫を取り付けた《私はウィークエンドなんて知らない》[B34]、バラを挿した500mlのメスシリンダー《直接民主制の為のバラ》[B78]などのボイスの立体作品と、「田」を形づくる線でデジタル数字のような図形を表わしている《12のオリジナルリトグラフ》[P21]、白と赤の市松模様の《フリッパー》[P20]、青の三角形・黒い四角形・ライトグレーの楕円・緑の三角形を並べた《4つのプロトタイプ》[P19]などのパレルモの絵画作品を紹介。
【蝶番的:パレルモの壁画】
1968から1973年にかけて、パレルモは、画廊や美術館をはじめとした空間の壁面に線や幾何学的な図形を描く「壁画」を断続的に制作した。そのプランや記録写真などを展示している。もともと窓や扉を強調する線であったり、色の付いた幾何学図形を付け加えたり、空間を顔に見立てて化粧を施すような作品群。
かくしてパレルモは、最小限の手続きによって「図と地」「現実とイメージ」あるいは「オリジナルと複製」の境界を揺るがす。本来通り過ぎられるべき場所の選択にせよ、その場にある形を写し再現する平凡な方法にせよ、またそれらが例外なく一定期間の後に取り壊されるものであったことも含め、パレルモの壁画はこれらの対立項をいずれにも確定させることなく、むしろそのあわいで流動的に入れ替わり続ける状態であることを目指して、空間に働きかけたものといえるだろう。相反するものを番い、反転しうるもの、交換可能なものとして開くこと。いわば、切り替わりをつなぐ蝶番のように、そのただなかで鑑賞者の意識の覚醒を促す彼の狙いは、アクションを通して他者に働きかけ、認識を変えることを目指したボイスの身振りと響き合う。ただしそれは、秘儀めいた喚起力をもって能動的に働きかけるボイスとは対照的に、かろうじてそこにあるかのごときささやかさを選び、気づきを鑑賞者に委ねる潜在的な可能性に賭されたものであった。(大浦周「蝶番的:パレルモの壁画」鈴木俊晴他編『ボイス+パレルモ』マイブックサービス/2021年/p.197-198)
【再生するイメージ:ボイスのドローイング】
ボイスが主に1950年代に制作したドローイングを展示。《原橇、橇型の椅子、肝臓、ジャイロスコープ》[B02]や『西洋人プロジェクト』より4冊の本[B76]などの作品も紹介されている。
まずはその主題に着目しよう。曖昧な手つきでボイスは、ウサギをはじめ、ミツバチや白鳥などの動物を繰り返し描いていた。さらには妊婦や女優や巫女といった、さまざまな女性像も。主として1940年代から50年代におかけて、まだ無名で頃に描かれた大量のドローイングは、しばしば後のボイスの芸術理念を読み解くための、図説であるとみなされる。あるべき社会のあり方を示唆するミツバチ。知性を象徴する白鳥。また運動やエネルギーそれ自体をほのめかす女性像、といった具合に。
これら初期のドローイングを、当のボイス本人は「貯蔵庫」、つまり「つねに何かをしつづけるための基礎材料」とみなしている。もちろん、おれは後付けの論理にすぎない。もっぱらドローイングを手がけていた時期、とりわけ1950年代後半のボイスは、ある「危機」に直面していたからだ。従軍時代の古傷、なかなか日の目を見ない制作、婚約破棄の衝撃……いくつもの要員が重なり鬱病を患ったボイスは、当時、少なからず療養のために絵を描いていた。誰に見せるでおない私秘的な仕事が、後から公共的な理念へ鋳なおされるという転換ないし反転。その断絶含みのダイナミズムこそが、ここでは問われなければならない。(福元崇志「再生するイメージ:ボイスのドローイング」鈴木俊晴他編『ボイス+パレルモ』マイブックサービス/2021年/p.173)
【霊媒的:ボイスのアクション】
《死んだウサギに絵を説明するには》[B74]、《クーカイ、アコペー、―ナイン! ブラウンクロイツ、脂肪コーナー、モデル脂肪コーナー》[B39]、《ティートゥス/イフィゲーニエ》[B40]、《私はアメリカが好き、アメリカも私が好き》[B45]などのボイスの映像作品、《ジョッキー帽》[B18]、《あるヒロインのためのバスタブ》[B75]などボイスの立体作品、《芸術=資本》[B49]や《負けない男》[B48]などの平面作品を紹介。
《死んだウサギに絵を説明するには》[B74]における、死んだウサギを抱いて絵を見せて回るボイスの振る舞いは、文楽の動作で能を演じるようにも見えるが、空想へ耽溺する姿を客観的にシニカルに描いると端的に捉えれば、テリー・ギリアム監督の映画『ローズ・イン・タイドランド(Tideland)』(2005)を連想させよう。「シャーマン」としての役割は、口伝でなければ教えられないことの存在を訴えるものと解すれば、新型コロナウィルス感染症が猖獗を極める中でのコミュニケーションの変容に対して示唆的である。マンモスの骨格標本の前に立つボイスを捉えた写真の上に"Kunst=KAPITAL"と記した《芸術=資本》[B49]もまた、例えばバンクシーのオークションにおける「振る舞い」が賑わす美術市場が存在する現状では、巨大な資本を背にした美術(作家)の揶揄とも解されうる。
(略)脂肪やフェルトやウサギ等々を小道具として用いるその儀式めいた作品群は、どれもいわくありげで深読みを誘うが、何より重要なのは、ヨーゼフ・ボイスその人の身体が現前することにほかならない。釣り用ベストにフェルト帽姿のボイス、この男の動きを介してはじめて、日常の事物に特異な意味が付与される。今なおその「アウラ」が云々されるのも、こうした媒介性ゆえのことであろう。ボイス本人もそのことには自覚的で、だからこそ彼は自分の姿を写真や映像におさめさせ、マルチプルの作品として拡散していた。
それにしてもなぜ「アクション」なのか。パフォーマンスでも、ハプニングでもなく。おそらく、何かを表現することや、出来事を生気させることそれ自体が目的ではなかったからだろう。ボイスは言う。「すべてのアクションは、古くなった芸術概念を拡張するうえで重要でした。人間のあらゆる営みを包摂するくらい、できるだけ広く、大きくするために」と。ボイスのねらいは、あくまでも他者に働きかけ、認識を変えることにあった。(略)
(略)
そもそもボイスはよく話すが、あまり書かない。芸術概念の拡張をもくろみ、来るべき新しい制作のあり方を模索したにもかかわらず、自らの造形理論を体系化して伝えようとする意志には乏しかった。繰り返されるよく似た主張は、途中に散りばめられた断片的な比喩や引用や体験談ゆえにかえって難しく、文化的背景を異にする聴衆にとってはなおのこと、その言葉が捉えがたいはずである。だがボイスが語るのは、必ずしも理解を促すため、補完するためではなかった。むしろ挑発すること、聴衆各人に考えさせることこそが、その非体系的な語りに託された機能であったと言えるだろう。
アクションについて、ボイスはしばしば「シャーマン」なる比喩をもちだす。霊魂を身体から遊離させ、天井と現世と冥府とのあいだを自由に往来できる存在。異質なるもの、対極的なるものを引き受けるその異能は、ボイスのアクションが何でありえるのかを端的に示してくれるだろう。シャーマンはつなぐ。人間と自然とを、精神と物質とを、通俗性と神聖性とを、あるいは生と死とを。アクションにおいて、ボイスはシャーマンよろしく誰か/何かになり、「たえず立ち位置と関係とを変転させることで、ある臨界的な状況を生み出そうとした」。それは人々の観念を解きほぐす1つの治療、あるいは教育として機能している。(福元崇志「霊媒的:ボイスのアクション」鈴木俊晴他編『ボイス+パレルモ』マイブックサービス/2021年/p.151-152)
【流転するイメージ:パレルモの金属絵画】
水色の画面に茶の上端・下端の帯を配したりした2色ずつの色の組み合わせによる4点組の《コニーアイランドⅡ》[P46]、左右の端、あるいは上下の端を黒く縁取り、その中に黄を配した4点組の《無題》[P48]、「解放された形。自由」、「鏡、認識、理路、法」、「純粋な色、変容、絶えざる可能性、自由? 拡張、洞察」をそれぞれ割り当てられた可能性のある3枚組の未完作品《ヨーゼフ・ボイスのために》[P47]という、パレルモがアルミニウムを支持体に描いた3作品を紹介。
【エピローグ 声と息】
黄色い電球に黄色いレモンを組み合わせたボイスの作品[B81]と、パレルモの8枚組の黄色いアルミニウム絵画[P52]で展覧会を締めくくった先では、ボイスの声[B77]が響いている。ボイスによれば、美術は「1つの人生を超えてなお継続される営みであり、終わりがないものであ」る。展覧会もまた「つねに道半ばであるような状態に」することで、その考え方を示している。
ヨーゼフ・ボイスについては、コヨーテと過ごすパフォーマンス(正しくは「アクション」?)を行った美術家という認識がある程度だった。2018年、会田誠が個展「GROUND NO PLAN」を開催した際(なお、膝から崩れ落ちるように倒れ込み手をついた人物をピクトグラムで表わした、2020年に開催予定だった国際的スポーツイヴェントのエンブレムも展示されていた)、ボイスに扮し、ボイスが活躍した時代が羨ましいという主旨の替え歌をカラオケで熱唱する姿が印象に残った。また、日本では2020年に公開された、ゲルハルト・リヒターをモデルにした映画『ある画家の数奇な運命(Werk ohne Autor)』(2018)では、『帰ってきたヒトラー(Er ist wieder da)』(2015)の主演Oliver Masucciがアントニウス・ファン・フェルテン教授というヨーゼフ・ボイスをモデルにした役を演じて印象的であった。今回、『ボイス+パレルモ』展を見て、ようやくボイス(Beuys)とヴォイス(Voice)との「掛詞」にようやく気が付き、会田誠が「声」に出した(=歌った)理由が今更ながら腑に落ちた。