展覧会『羽藤ゆうゆ「祈る場所」』を鑑賞しての備忘録
Gallery美の舎にて、2021年8月17日~22日。
絵画と陶器とを中心とした、羽藤ゆうゆの個展。
白とオレンジの2種類の花が、茎の部分を透明のテープで留められて、白い壁面に間隔を開けて不規則に飾られている。花々に取り囲まれているのは、墨で描いた鳩の死骸の絵《祈る場所》である。右の羽を下にして腹を見せて横たわる鳩は、目を閉じた頭が画面下に傾き、投げ出されるような足と相俟って、その死が印象づけられる。骸の上下には金色の絵具が散らされている。鳩の絵の手前には、白く塗られた木の台座の上に、水を汲むように丸めて組み合わせた両手の形をした陶器《祈る場所》が置かれ、その中にピンクを帯びた水晶がいくつか置かれている。鳩の軀から抜け落ちた「命」を「手」が掬い取っているのかもしれない。「祈る場所」すなわち祭壇のインスタレーションである。
《kiss》は、裸の女性像。顔の鼻から上の部分、太腿の途中から下は画面から切れている。身体が正面に対してわずかに右側にずれているのは、右後ろに立つもう1人の(やはり裸の)女性と口付けを交わすため、顔を後ろに向かって寄せているからである。手前の女性の右手が後ろ側の女性の右手をつかみ、また左手を絡めている。暗い背景の中に金色の絵具が散らされている。《kiss》の両側には、どちらも《prayer》と題された、ヴェールを被った白い装束の女性像が配されている。向かって左側には合掌する姿が、向かって右側には、フラ・アンジェリコの《受胎告知》のマリアのように、両手を胸の前で交差させる姿が描かれている。このようなモティーフとタイトルから、単なる三幅対ではなく、三連祭壇画と解される。《kiss》に金色の絵具が散らされているのは、横たわる鳩を描いた《祈る場所》のように、死を表現しているのだろう。
《untitled》は裸の女性の胸像。モノクローム調の画面で、灰色っぽく暗く見える肌は胡粉のためか輝いている。顔からは水晶が突き出していて、唇のみが見える。長い黒髪は左胸を隠すように垂らされている。黒い背景には銀色の絵の具が散らされている。絵画の手前に設置された白塗りの木の台座の上には、割れた顔面から水晶がはみ出している陶製の頭像「Sternenkind」2点が載せられている。《Sternenkind #2》は青灰の頭部に白い水晶が、《Sternenkind #1》は白の頭部にピンクがかった水晶が、それぞれ組み合わされている。2つの水晶を持つ人物から、鉱物好きの作家・宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に登場する「双子のお星さまのお宮」を想起させるだろう。
「あれきっと双子のお星さまのお宮だよ。」男の子がいきなり窓の外をさして叫びました。
右手の低い丘の上に小さな水晶ででもこさえたような二つのお宮がならんで立っていました。
「双子のお星さまのお宮って何だい。」
「あたし前になんべんもお母さんから聴いたわ。ちゃんと小さな水晶のお宮で二つならんでいるからきっとそうだわ。」
「はなしてごらん。双子のお星さまが何したっての。」
「ぼくも知ってらい。双子のお星さまが野原へ遊びにでてからすと喧嘩したんだろう。」
「そうじゃないわよ。あのね、天の川の岸にね、おっかさんお話なすったわ、……」
「それから彗星がギーギーフーギーギーフーて云って来たねえ。」
「いやだわたあちゃんそうじゃないわよ。それはべつの方だわ。」
「するとあすこにいま笛を吹ふいて居るんだろうか。」
(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」同『新編 銀河鉄道の夜』新潮社〔新潮文庫〕/1989年/p.209)
もっとも、「双子のお星さま」は双子座とは異なり、さそり座のλとυであるという(宮沢賢治の先行作品「双子の星」を踏まえている。宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』新潮社〔新潮文庫〕/1989年/p.327〔天沢退二郎による注解85〕参照)。それでも、《Sternenkind #1》と《Sternenkind #2》とが双児宮の2つの星キャスターとポラックスである可能性は十分にある。両者は冥界との関連が強く、また、バビロニアの疫病の神に由来しており、コロナ禍にある今、時宜を得ている。「祈る場所」をテーマとした展示にふさわしいからだ。
本展のメインヴィジュアルに採用されているのは、正方形の画面に頭部から下腹部辺りまでを描いた銀色の肌を持つ人物の像《Sternenkind》。紫色の水晶が顔の全面を覆っている。下地に何かが混ぜられていて、画面全体にゴツゴツとした表情を作っているのは、鉱物的な世界を表現するためであろうか。黒っぽい背景には金が散らされ、星空を連想させる。「星の子」を意味するドイツ語"Sternenkind"がタイトルに採用されているが、オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)の童話「星の子(The Star-Child)」との関係は判然としない。
《Mary》は、女性の陰部からチャームが吊り下がっている写真作品。ギュスターヴ・クールベよろしく《世界の起源》≒宇宙から、星≒"Sternenkind"が落下する様を表現するのであろうか。
《leuchten》2点は、女性の顔を画面いっぱいに描いた作品。遠目にはモノクロームに見えるが、髪や目などに光沢のある黄、青、赤、緑などが配されている。目を開いたものと、目を閉じたものとが並んでいる。他の作品では顔が描かれていないために、巨大な顔に表わされた目・鼻の表現が頗る強調される。「祈りの場」が祭壇である必要は無く、目を閉じて思いを寄せるとき、そこに「祈りの場」が立ち現れ、神々しい輝きが発される(=leuchten)、というメッセージである。