映画『偽りの隣人 ある諜報員の告白』を鑑賞しての備忘録
2020年製作の韓国映画。130分。
監督は、イ・ファンギョン(이환경)。
脚本は、ユン・ピルチュン(윤필준)、イ・ファンギョン(이환경)、キム・ヨンソク(김영석)。
撮影は、ホン・ジェシク(홍재식)。
編集は、キム・ソンミン김선민とチェ・ヂェグン(최재근)。
原題は、"이웃사촌"。
1985年の「韓国」。キンポ国際空港。野党の総裁イ・ウィシク(오달수)が、近々に予定されている大統領選挙に出馬するため、約3年ぶりにアメリカから帰国した。手荷物受取場で荷物を引き取るわずかな間に、ウィシクは大統領直属の情報機関・国家安全企画「室」の職員によって強制的に連行されてしまう。キム「室」長(김희원)は、世論の反発を抑えるべく収監を避けて自宅軟禁にすべきだとの側近のドンヒョク(지승현)の献策を採用する。自宅軟禁中にウィシクの「罪状」を収集するため、やはりドンヒョクの意見で、当時プサンに左遷されていたユ・デグォン(정우)に諜報チームを率いさせることにする。デグォンは大学の汲み取り式便所の便槽に入り込んでまで、学生運動の議長の所在把握に成功する「愛国心」に溢れた人物だった。キム「室」長はデグォンと会食し、君のような愛国の士が借家住まいとはと嘆いて見せ、札束を積み上げる。その上で、アカのウィシクの大統領選出馬を防ぎ、「青瓦台」で働いて欲しいとデグォンに自ら諜報活動を依頼する。
デグォンは帰宅して家族で食卓を囲む。会社で昇進して米国出張が決まったとの報告に母(민경옥)も喜んでいる。テレビでウィシクのニュースが流れる。妻のジヨン(심이영)がテレビを消すと、デグォンが見ていたのにと溢す。ジヨンは夫が政治に関心があるとはと意外に思う。ウィシクはスパイだって噂よね。それはないよ。デグォンの弟・チュングァン(김동규)が否定する。お前、学生運動に関わってるのかとデグォンが咎めれば、折角ソウル大に入ったのにそれだけはやめておくれよと母も沈痛な面持ちで訴える。デグォンの息子ミンソン(한승주)は、テコンドーを習いたいという。チンピラにでもなるつもりか、勉強しろ。泣き出すミンソン。泣かすことはないじゃないとジヨンが夫を非難する。
ウィシクの住まいの周辺は警察官が封鎖している。テレビ局の報道局長(황병국)が報道の自由や国民の知る権利を侵害していると訴えるが、警察の現場指揮官(김기천)は聞く耳を持たない。ところがデグォンだけは軽く会釈して通行を認められた。足止めをされていた記者らは、何故あの男だけ通すのかと怒り、一斉にバリケードを突破する。一部の記者がウィシクの家の塀を攀じ登り、イ・ウィシク一家を撮影する。ウィシクと妻のヨンヂャ(김선경)、娘のウンジン(이유비)、息子のイェヂュン(정현준)。そして、家政婦のヨ・ステ(염혜란)も、家族の手前で自由を訴える横断幕を必死で広げ、一緒に写った。ウィシクの隣の家の庭では、ドンシク(김병철)とヨンチョル(조현철)が肉を焼きながら酒を飲んでいた。ドンシクが酒を注ぐようヨンチョルに言うと、見知らぬ男が現れてグラスに酒を注ぎ始めた。このたび着任された班長殿でありますか? ドンシクが恐る恐る尋ねる。国家のためにアカの監視をしているんじゃないのか。デグォンは食事が済んだら帰宅して良い。静かに言い捨ててデグォンが室内に入っていく。ドンシクとヨンチョルは情況を飲み込み、慌てて後を追う。盗聴・録音機材が置かれた室内は散らかっていて、2人が片付け始める。あれは何だ? …そ、倉庫です。「倉庫」の中には酒瓶や花札が転がっていた。何故黒い厚手のカーテンを引いている。盗聴しているのを宣伝しているようなもんだ。近所を見て回ってよくある色のカーテンに取り替えろ。内装はここにある写真の通りにするんだ。これからは食べるのも寝るのも、行動は全てウィシクに合わせる。ヨンチョルは、家政婦が外部と接触していないか、行動を見張るんだ。
軍事独裁政権は、近々予定されている大統領選に、野党党首イ・ウィシク(오달수)が出馬することを何としても阻止したい。国家安全企画「室」のキム「室」長(김희원)は、世論の手前、いったんは逮捕したウィシクを釈放して自宅軟禁措置に切り替え、他方、ユ・デグォン(정우)に盗聴させて「アカ」の証拠を摑むことを狙っていた。
以下、全篇に触れる。
フィクションであることが冒頭で示される。現代史(独裁に対する抵抗)を描きつつ、特定の政治家(例えば、キム・デジュン)のイメージに縛られることを避ける狙いがある。
国家のために盗聴に携わっていた人物が、盗聴相手の人柄に影響を受けて変容してくというプロットは、東ドイツを舞台にした映画『善き人のためのソナタ(Das Leben der Anderen)』(2006)の影響を色濃く受けている。同作のヴィースラー大尉(Ulrich Mühe)が所帯を持たず極めて孤独な人物として造形されていたのに対し、本作では、妻子持ちで、母や弟も同居しているという点が何よりも異なっている。
前半はコメディ要素を盛り込み(好みが別れそうな笑いの取り方では? 笑いは本当に難しい)、後半はシリアスな展開。高潔でありながら親しみやすいイ・ウィシクに感化されてユ・デグォンもまた変化する。その中で、キム「室」長の終始一貫した態度が浮き上がる。
原題"이웃사촌"は「隣人」を意味し、ユ・デグォンとイ・ウィシクとの間に生まれる友情をテーマに据えながら、日本語タイトルは、ユ・デグォンに焦点を当てている。また、日本のポスター(やチラシ、公式サイト)において、主役の정우と오달수とを対等併記しながら、정우に比べ오달수のイメージが小さい。これらは#MeTooに絡んでのことだろう。