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芸術鑑賞の備忘録

映画『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』

映画『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のアメリカ映画。120分。
監督は、ダリウス・マーダー(Darius Marder)。
原案は、ダリウス・マーダー(Darius Marder)とデレク・シアンフランス(Derek Cianfrance)。
脚本は、ダリウス・マーダー(Darius Marder)とエイブラハム・マーダー(Abraham Marder)。
撮影は、ダニエル・バウケット(Daniël Bouquet)。
編集は、ミッケル・E・G・ニルソン(Mikkel E. G. Nielsen)。
原題は、"Sound of Metal"。

 

暗闇の中、シンバルとタム、そしてドラムセットを前に座るルーベン・ストーン(Riz Ahmed)の金髪が照明によって浮かび上がる。ルーベンの胸や腕にはタトゥーが入れられている。俯いていたルーベンが顔を上げ、視線を脇に向けて頷く。エレキギターの音が鳴り、ステージの中央に立つルイーズ・バーガー(Olivia Cooke)が呟くように歌い出す。ルーベンがドラムを叩くと、ルイーズがシャウトする。ルイーズの叫びに応答するルーベンのドラム。そのペースが次第に上がり、曲はクライマックスへ。ルーベンがドラム・スティックを会場に投げ捨てて、ステージを終える。
トレーラーハウスのベッド。ルーベンが起き上がる。隣のルイーズはまだ寝ている。ミキサーでスムージーを作り、コーヒーや簡単な朝食を用意する。ルーベンはルイーズをドラム・スティックで突いて起こそうとするが、ルイーズはなかなか目を覚まさない。ルイーズの癖になっている、左腕を引っ掻くのを止めさせる。ルーベンは不味いけど体にいいからとスムージーを勧める。昨晩のライブ会場の駐車場には、2人が生活するトレーラーハウスだけが停まっている。ルーベンの運転で2人は次のライブ会場へ向かう。
ライブ会場のロビーで、2人は物販の準備を相談しながら進めていた。このTシャツは私の唾付きだから特別価格にするというスタッフに、もっと高く売れると軽口を叩くルーベン。突然耳鳴りがして、ルーベンはスタッフの話している声がほとんど聞き取れなくなる。
翌朝目覚めると、ルーベンは耳が詰まったように音が聞こえないのに気が付く。耳の穴に指を入れてみたり、声を出したりしても、体を叩く振動音しか聞こえない。コーヒー・メーカーもミキサーも音を立てていない。ルーベンは1人で薬局に向かう。筆談で対応してくれた薬剤師(Michael Tow)が、今すぐに診てくれる医師を紹介してくれた。医師のペイシンガー(Tom Kemp)は来院したルーベンにすぐさま聴覚検査を行う。聴き取った単語を繰り返すよう伝えるが、ルーベンはほとんど聴き取れていない。医師は、両耳とも7割程度の聴力を失っていると告げる。大音量に長時間晒されたことによるものか薬物などの影響かは分からんがね、と説明する医師に、ルーベンは原因ではなく治療法を教えて欲しいと訴える。人工内耳インプラントという方法があるにはあるがね、手術は簡単ではない上に保険の効かない高額医療でね…。それより聴力が急速に減退しているだろう? 失われた聴力は決して回復しやせん。今は、これ以上聴力が減退しないよう努めなさい。
その夜もルーベンはステージに立った。しかし、ドラムを叩くうちに全く音が聞こえなくなってしまう。演奏が聞こえない現実に打ちのめされたルーベンは、突然ドラムを叩くのを止め、ふらふらとステージを降りて、ライブハウスの外へ。驚いて慌てて後を追ってきたルイーズに、耳が聞こえなくなったとルーベンが狼狽えながら告白する。

 

薬物中毒だったルーベン・ストーン(Riz Ahmed)は、4年前に出会ったルイーズ・バーガー(Olivia Cooke)とヘヴィメタル・デュオ「ブラックギャモン」を組んで公私にわたるパートナーとなって以来、薬に手を出さず幸せな日々を過ごしていた。ところが、ある日突然、耳鳴りが始まり、間もなくほとんどの音が聞き取れなくなってしまう。ルーベンは合図をくれればパフォーマンスは継続できると、これまで通りの音楽活動と2人での生活を続けようと主張する。しかし、ルイーズは事態の深刻さを悟り、全ての予定をキャンセルして、ジョー(Paul Raci)が運営する、聴覚障害者のための薬物依存症リハビリ施設にルーベンを連れていくことにする。

以下、全篇について触れる。

ルーベンが聴覚を失っていく過程と、彼の聴覚に障碍のある生活とが、よく伝わる演出。音楽を愛し、恋人と組むヘヴィメタルデュオでドラマーとして活動していた最中に、聴力を奪われることの衝撃は、想像に余りある。
聴力をメタファーとして、何かを失い、それを二度と取り戻せなくなってしまった状況に、いかに折り合いを付けるかという問題を描いているとも言える。
ルイーズは、母親を自殺で失っていることが、彼女の(フランス人の)父リシャール・ベルジェ(Mathieu Amalric)によって明かされる。冒頭で歌われるのは、「向こう岸」にいる母親に対するメッセージであった。ルイーズは、ルーベンと出会って、ヘヴィメタルのパフォーマンスを行なううち、魂が「浄化」され、母親の喪失との折り合いを付けることができた。
ルーベンは、看護師の母親とともに幼い頃から各地を転々としてきた。放浪生活のスタイルはルイーズとの生活においても続いた。父親が不明であることと相俟って、根無し草として生きなくてはならないという桎梏が彼の中にあったのだ。ジョーと出会って、常に戻ることの出来る場所を獲得する訓練を受けた。その訓練の成果は、リハビリ施設に残って欲しいというジョーの希望と相俟って、ルーベンのの中にあった定着できないという固定観念を揺るがせることになった。