可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『村田沙耶香のユートピア “正常”の構造と暴力』

展覧会『村田沙耶香ユートピア “正常”の構造と暴力』を鑑賞しての備忘録
GYRE GALLERYにて、2020年8月20日~10月17日。

村田沙耶香の3点の小説『消滅世界』・『コンビニ人間』・『生命式』に表された「ユートピア」を、村田沙耶香の小説から引用された言葉(展覧会場内に8点。エントランス吹き抜けにも6点設置)・創作のための覚え書き・学生時代に描いた絵画(6点)、デヴィッド・シュリグリーの絵画(15点)、金氏徹平の立体作品(11点)・平面作品(11点)やステッカー・映像作品(1点)、池田謙の音楽によって、展示空間に現出させる試み。

コンビニ人間』では、主人公・古倉恵子の抱える「フレーム問題」がテーマの1つとなっている。

 赤ん坊が泣き始めている。妹が慌ててあやして静かにさせようとしている。
 テーブルの上の、ケーキを半分にする時に使った小さなナイフを見ながら、静かにさせるだけでいいならとても簡単なのに。大変だなあと思った。(村田沙耶香コンビニ人間文藝春秋〔文春文庫〕/2018年/p.61)

幼い頃から恵子は「フレーム問題」のために「普通」が分からない。

 「お姉ちゃんは、いつになったら治るの……?」
 妹が口を開いて、私を叱ることもせず、顔を伏せた。
 「もう限界だよ……どうすれば普通になるの? いつまで我慢すればいいの?」
 「え、我慢してるの? それなら無理に私に会いに来なくてもいいんじゃない?」
 素直に妹に言うと、妹は涙を流しながら立ち上がった。
 「お姉ちゃん、お願いだから、私と一緒にカウンセリングに行こう? 治してもらおうよ、もうそれしかないよ」
 「小さい頃行ったけど、だめだったじゃない。それに、私、何を治せばいいのかわからないんだ」
 「お姉ちゃんは、コンビニ始めてからますますおかしかったよ。喋り方も、家でもコンビニみたいに声を張り上げたりするし、表情も変だよ。お願いだから、普通になってよ」(村田沙耶香コンビニ人間文藝春秋〔文春文庫〕/2018年/p.130-131)

恵子は、コンビニという「透明の水槽」の中で制服に袖を通して店員になれば、「完璧なマニュアル」に従って「世界の正常な部品」になることができる。だが「あの透き通ったガラスの箱」の外では「どうすれば普通の人間になれるのか、さっぱりわからない」。

会場の白い壁面と、天井から均一に注がれる白い光。絵画の白い画面や白い石膏を満たした立体作品。「光に満ちた箱」ないし「透明の水槽」は、コンビニの売り場であり、ホワイト・キューブの展示空間である。白く塗りつぶされることで会場はその抽象の度を高める。ところが、金氏徹平のステッカー作品が、白い壁面に黒い穴を穿つ。それぞれの「穴」からは様々なものが姿を覗かせている。穴は均質な世界に開けられた風穴であり、異なる「普通」が通用するパラレル・ワールドへのワームホールである。

『消滅世界』の世界では、子供を持つときは人工授精が行なわれ、夫婦間のセックスは「近親相姦」として忌避されている。主人公・坂口雨音は、幼い頃から、母が激しい恋愛の末、父とのセックスで雨音を懐胎したことを繰り返し語られていた。

 映画の中のような古いドレスに身を包んだ人が、恋愛をして、結婚して家族と交尾をしていても、それほどの嫌悪感はない。昔はそれしか方法がなかったのだし、今とは時代が違うのだから、古い人類の資料を見ているような、冷静な気持ちになれる。けれど、それを現代になって未だに私に肉体に押しつけようとする母のことはおぞましくて吐き気がする。あなたが信じている「正しい」世界だって、この世界へのグラデーションの「途中」だったんだと叫びたくなる。
 私たちはいつだって途中なのだ。どの世界に自分が洗脳されていようと、その洗脳で誰かを裁く権利などない。
 荷物を抱えて部屋を出ようとすると、母がぽつりと言った。
 「……私があんたを産んだのは、恋をしたからだったわ。でも誰も理解していくれなかった。生まれたときから世界は狂ってた。私だけは正常でいたかったの」
 「お母さん。原始時代、人間は、多夫多妻制の乱婚制度が当たり前だったんだってセックスは儀式で、儀式の日に若者が集まって集団で乱交して子供を孕んだんだって、何かで読んだわ。
 でも、それを今やっている人がいたらその人は狂人でしょう? お母さんのやってることはそれと同じ。時代は変化してるの。正常も変化してるの。昔の正常を引きずることは、発狂なのよ」(村田沙耶香『消滅世界』河出書房新社河出文庫〕/2018年/p.154-155)

正常は変容する。正常が狂気になるなら、狂気もまた正常になるだろうか。
『消滅世界』では、実験都市・千葉において、毎年クリスマスに一斉に人工授精を行ない(男性も人工子宮で妊娠可能)、生まれた「子供ちゃん」に対しては皆が「おかあさん」として世話をする試みが続けられている。家族が存在せず社会が養育する「子供ちゃん」は、皆同じ表情・仕草をする。白い建物、水色のコンクリートや砂利によって空のような都市空間は、清潔でありながら均質な社会を象徴する。

金氏徹平の立体作品を覆う白い石膏は、雪景色を思わせる。降り積もる雪は、あらゆるものを白で包み込むことで均質化する。垂らされた白い石膏はまた、精液を連想させる。受精を目的としない精液は、「外」へ射出される。男性(精子)を必要としない社会がその先に広がっている。