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芸術鑑賞の備忘録

映画『護られなかった者たちへ』

映画『護られなかった者たちへ』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。134分。
監督は、瀬々敬久
原作は、中山七里の小説『護られなかった者たちへ』。
脚本は、林民夫と瀬々敬久
撮影は、鍋島淳裕。
編集は、早野亮。

 

大規模な津波に飲み込まれた街。高台に位置する小学校は、周辺住民の避難所になっていた。笘篠誠一郎(阿部寛)が駆け込んで、妻子を探して回るが、姿は無い。失意の笘篠は校舎を出ると、改めて電話に残されたヴォイス・メッセージを聴く。妻の紀子(奥貫薫)は必ず家に戻ると訴えていた。
校舎では、避難した人たちが不安な夜を過ごしていた。黄色いジャンパーを身につけた少女(石井心咲)が、教室の隅で膝を抱えていた。独り身の遠島けい(倍賞美津子)がその姿を見かねて、温かい方に来なさいと言う。少女は身動ぎもしない。遠島は目の前に座っていた青年(佐藤健)に、自分の纏っていた毛布を渡す。いらないという男に、窓辺の少女に渡してと言うと、彼は少女に向かって放り投げる。遠島は立上がって少女のもとに行き、黙って毛布を掛けてやる。遠島が窓の外に広がる星空を見詰める。少女も青年も夜空に瞬く星を見上げる。
9年後。笘篠は1人、付近で土木工事が進む更地を歩いている。ふと立ち止ると、手にしていた花束を置く。
利根泰久(佐藤健)は保護司の櫛谷貞三(三宅裕司)に伴われて金属部品加工場を訪れた。出迎えた社長に、櫛谷は、利根が機械の資格を持つ即戦力だと売り込む。社長は利根に途中で変色している窓ガラスを示す。あの位置まで津波が来たんだ。で、何やったんだ? 櫛谷さんから聞いてないですか? ああいう人だからね。ウチはいろんな人がいるけど。…言わないと駄目ですか。利根から放火だと告げられた社長は櫛谷に難色を示す。火付けと殺しはねえ…。櫛谷は利根を雇ってもらえるよう社長を拝み倒す。
笘篠が初動捜査が行なわれている仙台市内のアパートに駆け付ける。ちょうど蓮田智彦(林遣都)も到着し、遺体の発見された部屋にともに向かう。アパートが無人だと知って監禁場所に選んでますから、犯人は土地勘がありますよ。遺体は拘束され、口はガムテープで塞がれていたが、頭部や頸部に損傷は見られなかった。遺体を目にした蓮田は気分が悪くなり外へ出る。嘔吐する蓮田に、現場を荒らすなと笘篠が注意する。建物のの周囲を捜索していた捜査員が声を上げる。被害者のものと思われる名刺と財布が発見された。司法解剖前に、被害者の妻(篠原ゆき子)が遺体に対面するのに笘篠と蓮田が付き添った。彼女によれば、遅くなっても帰宅が10時を過ぎることが無かったという。恨まれるようなことは無かったのかと単刀直入に尋ねる笘篠に、夫は誰もが認めるお人好しで、被災した墓を無縁仏も含めて1人で直すような人だったと妻は訴えた。宮城県警察本部では、刑事部長の東雲(鶴見辰吾)の指揮の下、特捜本部の会議が開かれる。被害者は三雲忠勝(永山瑛太)。仙台市若葉区保健福祉事務所の課長。口を塞いだガムテープに剥がされた形跡は無く、脱水症状で死に至っていた。遺体の発見されたアパート周辺に防犯カメラは設置されておらず、手がかりになる映像はない。被害者の金品はそのままで、怨恨による犯行と思料される。笘篠と蓮田は、被害者の勤務していた保健福祉事務所に向かう。所長の楢崎(岩松了)は三雲が好人物だったと証言し、三雲の直属の部下であった円山幹子(清原果耶)を紹介する。笘篠から質問を受けた円山は、生活保護利用の可否の裁量はそもそも課長にはなく、申請却下の場合も文書には所長名しか載らないので、生活保護の申請者が三雲のことを知る機会はないと答える。仮に恨んだとしても、実際に犯行になんて及びませんよ。生活保護を利用しようという人は生きていくだけでいっぱいいっぱいなんですから。

 

仙台市若葉区保健福祉事務所の課長だった三雲忠勝(永山瑛太)が監禁・遺棄されて殺害される事件が発生した。宮城県警捜査一課の笘篠誠一郎(阿部寛)は蓮田智彦(林遣都)とともに聞き込みに向かった三雲の職場で、彼の直属の部下であった円山幹子(清原果耶)から事情を聴く。その頃、利根泰久(佐藤健)が仮出所していた。

殺人事件の謎解きというミステリーの体裁を採りながら、セーフティーネットのあり方を問う。
新型コロナウィルス感染症が猖獗を極める中、社会において、病者は労りの対象ではなく、白眼視の対象となっていると言える。公的扶助を利用しなければならない者に対して非難の矛先が向けられる風潮と、弱者を虐げるという点ではパラレルである。病気になったり困窮したりしたときに救済の手が差し伸べられるというシステムが整った社会の方が、安心して暮らせることは疑いない。本作は、そのような社会であることを訴える声を上げるものである。
善人・悪人のどちらか一方に振り分けるのではなく、人々を呑み込んでしまうシステムや状況があって、それぞれが自分なりの身の処し方をしている中で生じる善・悪を描こうとしている。
火付けと殺しは雇えないという工場の社長の言葉や、生活保護を利用しようという人は生きていくのに必死で犯行には及ばないという円山幹子の言葉などが、ミステリーを構築する仕掛けとしてうまく機能している。とりわけ「おかえりなさい」というセリフは、印象的に作動することになる。
クロージング・クレジットの「主題歌」は作品にふさわしくなく興醒めであった。よもや作品を破壊することで津波のメタファーとしているわけではあるまい(確かにかつてtsunamiを歌っていた人物の曲ではあったが…)。