可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 村田文佳個展『お月見』

展覧会『村田文佳「お月見」』を鑑賞しての備忘録
Ohshima Fine Artにて、2021年9月18日~10月9日。

村田文佳の絵画5点を展観。

《月見風呂》は円形の画面(直径800mm)に銭湯の大浴場を描いている。画面の手前には苔の生えた岩のような物に、ドミニク・アングルの《グランド・オダリスク》に描かれた女性よろしく、背を見せて横たわる短髪の少年(?)が大きく表されている。日焼けなのか逆上せたのか、その身体は他の人たちに比べて赤い。その隣(画面の奥側)には左脚を伸ばし、立てた右膝に両腕を乗せた女性が、手ぬぐいを載せた頭を右側に向けて鑑賞者の方を見ている。女性の腕(手)の辺りから奥に向かって湯が下る。苔生した岩に腰掛けて左脚を湯につけて右膝を抱える長い髪の女性、腰掛けて本を読む女性、壁に設置された円形の幽霊蛸(のレリーフ?)から酒を汲み出している女性の姿がある。湯船の先に続く畳の座敷の手前には、天使やアマビエの姿も見える。畳の間には、ネッシー(?)の影を映し出す丸窓の手前に陣取って、花札に興じる柿、竹輪、海老の天麩羅の姿がある。その脇にある入口にはちょうど狸と狐が姿を現したところで、番台の魚に代金を支払っている。その手前には着物を脱いでいる女性がいて、さらに手前の湯船に向かって、将棋に興じるダルマと少女、瓶の牛乳を呷る天使、畳の上で横になる人が描き込まれている。湯船の中ではチーターとトムソンガゼルが並んで方まで湯に浸かっている。上を向いた魚の頭も見える。人間や動物、天使や妖怪が、思い思いの過ごし方で、銭湯という場を共有している。チーターとトムソンガゼルという捕食者と獲物とが共存する一種の理想郷は、湯気により朦朧として描かれるのみならず、香炉(?)から立ち上る煙や、入口の狐や狸の存在によって幻想であることが示されている。遠景のネッシー(?)の映る丸窓、中景の幽霊蛸の円形レリーフ(?)に、本作品自体の円形を連ねる構成も、幻視の系譜として機能する。

展示室の奥の壁面に《月見風呂》が展示され、それに対して左の壁面の中央には、天井に近い位置に《大お月様》(直径280mm)が、右の壁面には奥側の、《大お月様》より低い位置に《お月さま》(直径230mm)が、それぞれ掛けられている。両者ともに朱に近い橙と黄色とで月を表す円形画面の作品で、南中した月として《大お月様》が、西に沈みゆく月として《お月さま》が表されているのだろうか。《月見風呂》は「西方浄土」かもしれない。それならば《月見風呂》に描かれる鑑賞者に眼差しを送る女性は、月の女神ディアーナに擬せられよう。本展の英題が"moon viewing"(月を意味上の主語としたviewの動名詞)である通り、お月様が見ているのだ。鑑賞者は月によって三方を囲まれている。常に月に見守られているのである。その意識が、月を鏡に変える。「お月見」とは、月=鏡を覗く自分の姿を見ることなのだ。

《おいでおいで》(257mm×182mm)は、黄土色に近いクリーム色の背景に、裸で腰掛ける女性が描かれる。右手を床に付けて身体を支え、右膝を立て、左手で手招きをする。顔、そして視線は、右腕の側すなわち画面左下方向に向けられている。画面の下部はわずかに白味が強く湯気を表していると考えられることから、湯船に浸かっている連れに対して合図を送っている図ということになる。女性が月であるなら、手招きをする女性は月の引力の寓意となろう。

草枕》(158mm×227mm)は、頭に手ぬぐいを載せて、壁に背をもたせかけて湯船に浸かる女性を描いた作品。画面の左下の隅を黄土色の壁を、そこにもたれかかるとともに腕をかけている。そして、湯の中に脚を伸ばす姿を、女性の右側上方から描き出している。湯によって火照った赤みを帯びた身体が緑青の湯に映える。面白いのは、本作品と対とされている果物を載せた皿を描いた絵画(103mm×117mm)が、向かい側の壁面に展示されていることである。蜜柑3つ、柿2つ、葡萄2種が盛られた白い皿が、緑青の湯に浮いている図である。湯が宇宙であるなら、女性は地球(=Mother Earth)で、果物皿は月であろう。お互いに引き寄せ合っているのである。