展覧会『大久保如彌「From Here to Somewhere, From Somewhere to Here」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY MoMo Projectsにて、2021年9月25日~10月23日。
絵画9点と、中に10点の絵画を敷き詰めたテントから構成される、大久保如彌の個展。
《From Here to Somewhere》(910mm×1167mm)は、草花が咲き乱れる河原の土手のような場所で寛ぐ2人の女性を描いた作品。画面の下側3分の2は、赤と白の花が入り交じって咲き誇る土手が占める。その手前にある緑青のネット・フェンスが画面の下3分の1を覆う。数箇所に蔦が絡みつく。土手の向こうには沸き立つ雲が大きく広がっている。土手の最上部、やや左の位置に、色取り取りの花柄の布を縫い合わせたワンピースを身につけたショート・ヘアの女性が左向きに素足を伸ばして座る。その女性のすぐ後ろ(画面右側)には、同じ衣装を身につけた瓜二つの女性が足を崩して座る。2人の表情は黒髪に隠されて見えない。左側の女性の右手の小指に結ばれた赤い糸が風に吹かれるように後方(画面右側)に長く延びている。途中恰も雲に隠されるかのように見えない。右側の女性の左手の親指に結わえられた赤い糸も、同様に風に吹き流されている。2人の女性は草花の化身であり、草花もまた女性たちの姿の象徴だろう。積乱雲は不穏な出来事の予兆であり、雲の発達に伴う風が赤い糸を吹き飛ばすのは、彼女たちがその事態に巻き込まれることを示唆するものだ。もっとも、草花の種は、風や雨に運ばれてこそ、新たな場所で花をつけることができる。女性たちが身につけるワンピースがパッチ・ワークによって仕立てられているのは、様々な土壌で花を咲かせ、また今後も咲かせるだろうことを訴える。フェンス(≒境界)を乗り越えていく蔦の姿にも、植物(≒生命)の逞しさが表されている。
《Here we are, aren't we?》(803mm×1303mm)は、ガラス窓越しに様々な植物と数種の蝶とが見える温室に佇む、同じ衣装を身につけた3人の女性を描いた作品。右手前から建物を捉えていて、画面の下端と右端とを外壁と窓枠とが囲み、その中の3枚の窓ガラスそれぞれに女性の姿が描かれている。右側の窓の女性はしゃがんで横を向き、顔や脚が見えない中央の女性は右手を窓ガラスに当てて、外を眺めているようだが、目元は影になって見えない。左の窓の女性は中央の窓の女性とほぼ同じポーズをとる。窓には斜めに針葉樹の影が映り込んでいる。窓のある側と反対側が南向きなのだろう、一面ガラスとフレームとで構成されている。その奥、すなわち建物の裏手には裸木が立ち並ぶ。温室の中は真冬でも熱帯植物も育つ温かな環境が用意されている。植物や蝶はこの環境を奪われたら即座に弱ってしまうだろう。だが女性たちは人工的な閉鎖環境に飽き足らない。冷涼な針葉樹林に飛び出すことを願っている。
《In the birdcage》(455mm×380mm)は、円卓に置いた鳥籠に手を伸ばす女性を描く。画面右手前には2種の百合が4輪咲いている。その奥に鳥籠を開けようと右手を伸ばすショート・ヘアの女性がいる。パッチ・ワークの花柄の衣装は、花柄の壁紙を背景にカムフラージュとなる。鳥籠の背後の壁紙には、射し込む光のためであろう、窓の形が浮き上がっている。開花した百合は成熟した女性を、鳥籠の鳥は部屋に押し込められた女性を、それぞれ象徴する。女性が鳥籠を開け放つことは、自らを(窓が象徴する)外の世界へと解き放つことを意味する。鳥籠の脇に落ちた華やかな羽は、外界が自由の代償となる犠牲を伴う世界であることを暗示するようだ。
《Endless Forest》(1250mm×900mm)は、雪の降り積もった森の中で焚き火を前に空を見上げる少女を描く。円錐状に枝を組んで炎上げる焚き火のオレンジ色の光が、少女や周りに立つ木々を照らし、雪の結晶が青銀に輝く。少女は左手を翳して遠くを見上げている。少女は裸足だが、紫や青、緑を呈する雪は、恰も少女の纏うワンピースのパッチ・ワークのように辺りを覆い、冷たさは感じられない。中景にはそのような雪に包まれた開けた土地が広がり、その奥には樹木がびっしりと立ち並ぶ森が、彼方にある水色の輝きを放つ湖水を遮る。暖を取るための薪を離れ、雪原と森とを抜けて、少女は水辺を目指すのだろう。
《From Here to Somewhere》、《Here we are, aren't we?》、《In the birdcage》、《Endless Forest》の4点に登場する女性が着用するパッチ・ワークのワンピースが会場の隅に置かれている。
会場の一角に五角形の底面を持つパッチ・ワークで作られたテントが張られている。《ある日》と題されたこの作品の中には、パッチ・ワークに縫い付けた10枚の絵画が並べられている。何かを食べる少女や、誕生日の光景、木にしがみつく猫、海水浴場など、それぞれにはスナップ・ショットのような場面が描かれている。パッチ・ワークを構成する布切れとは記憶のことであった(土手の草花を描く《ある日 #2》や河原から街明かりを捉えた夜景《ある日 #1》には刺繍が施すことで作家は日常を言祝いでいる)。ならば本展の絵画に登場する女性が皆パッチ・ワークでできたワンピースを纏っているのは、人が記憶の集合体であることを示すためであろう。そして、パッチ・ワークで作られているこのテント自体が、描かれた女性たちの換喩となっている。ノマドのメタファーとなるテントによって女性を表したのは、ヘスティア(竈、定住)ではなく、ヘルメス(境界、旅人)としての生を選び取ることを訴えるためだと考えられる。
《ある日》と題されたテントの中には、白い小石(実際は石粉粘土製)が散らされている。また、《触る》(280mm×515mm)や《つまむ》(570mm×155mm)においては左手を写実的に描き、布の皺や弛みを表現する絵画を組み合わせた上に、やはり「白い小石」を載せている。1つには、触れること(≒触覚)が禁忌となった社会に対し、その復権を訴えるのであろう。また1つには、路傍の石の背後にある悠久の歴史に、パッチワークとしての人間の姿を重ねようとの意図から、小石を模造したのであろう。