可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 林千歩個展『DREAM-POOL』

展覧会『林千歩作品展「DREAM-POOL」』を鑑賞しての備忘録
銀座蔦屋書店アートウォール・ギャラリーにて、2021年11月6日~26日。

彫刻3点、写真3点、短時間の映像作品「Video-Drawing」シリーズで構成される、林千歩の個展。

《Venus》は、大きく張った腹部と太く表された乳首、そして恰も分娩台に乗っているかのように脚を広げて仰向けになった姿勢から、産婦と思われる身体をモティーフとした立体作品。但し、頭部と両腕は表されていない。首の位置と性器の前の位置に仮面のような顔が取り付けられている。黄土色は石器あるいは土器をイメージさせるが、石灰岩製のヴィレンドルフのヴィーナスや土偶の「縄文のヴィーナス」よりもはるかに写実的である。また、「ヴィーナス(Venus)」と言えば、海から出現したヴィーナスが貝殻の上に立つ、サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli)の《ヴィーナスの誕生(La Nascita di Venere)》を想起させる。貝が女性器のメタファーであることからすれば、《Venus》の脚の間にある「顔」は、ヴィーナスに相違ない。羊水という海から貝の前に姿を現したのだ。それでは、胴体の上、首の位置にある顔は何を表すのであろうか。それもまたヴィーナスである。ヴィーナスが出産を介して継承されることを示すものだろう。2つの顔が同じ形で表されている点に重点を置けば、クローン技術により同じ遺伝子を持つ存在を生み出す状況を描いているものとも解される。脚の間の顔の上に添えられた産婦のものではない手の存在は、生殖への人為的介入を象徴するものだろう。

立体作品《半神》は、宝誌和尚立像の頭部よろしく、羊の顔が中央で割れて、中から女性の顔が現れる頭像。作家にとって羊は、クローンのイメージと分かちがたく結びついていることは、写真作品《うまく立てない(人工生命:鏡の国のドリーアンドドリー)》からも明らかであり、2つに割れた羊もまたクローンのイメージを引き寄せる。羊の皮・肉・脂肪が作る襞は、隣にある《Venus》の出産のイメージも相俟って、陰裂に見える。羊を「代理母」とした人間の誕生を表現しているのかもしれない。《半神》というタイトルとモティーフの羊から連想される半獣神(パン)とは、羊と人間との混淆の象徴だからだ。写真作品《うまく立てない(人工生命:鏡の国のドリーアンドドリー)》では、産道を連想させる洞穴の中に、女性の陰部の前に羊の頭部が配されており、人間が羊を出産するという、《半神》とは反転した世界―鏡像―が表現されている。

Queen》は、百合の花の中に表された顔と、茎から連なる腸ないし脳から成る立体作品。暗い背景の中、植物の茎からぶら下がる人間の顔が花として輝く、オディロン・ルドン(Odilon Redon)の《沼の花、悲しげな人間の顔(La Fleur du marécage, une tête humaine et triste)》を連想しないわけにはいかない。写真作品《わからない(神話:タカサゴユリ女王の花占い)》から、百合はタカサゴユリであると考えられる。タカサゴユリイースター・リリーとしてイエスの受難と復活とに結びつけられていることからすれば、出産の苦しみやリプロダクションの表現と考えられよう。

写真作品《時間がない、時間がない。とても重要な日なのに(妊娠:ミズ螺髪の生殖)》は、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres)の《グランド・オダリスク(La Grande Odalisque)》を連想させる、ベッドに寝そべる裸の女性が、自らが顔に付けている仮面と同じ仮面を左手に持ち眺めている光景を捉えている。作家は、立体作品《Venus》でヴィーナスと出産とを結びつけていたが、本作では、寝台に青い布を敷いて、聖母マリアアトリビュートである青いヴェールないしマントを表している。女性の身体やシーツに赤い血が付いているのは、出産を象徴するのだろう。後景には左右に1枚ずつ鏡が掲げられているが、左の鏡には正面の女性が映り込んでいるのに対し、右の鏡には仮面を外し右手で乳房を覆う別のイメージが映し出され、異なる時間が表現されている。このような鏡のイメージは、写真作品《うまく立てない(人工生命:鏡の国のドリーアンドドリー)》のタイトルとともに、ルイス・キャロル(Lewis Carroll)の『鏡の国のアリス(Through the Looking-Glass, and What Alice Found There)』を引き寄せる。タイトルの「時間がない、時間がない」は『不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland)』の白ウサギのセリフの引用であろう。本作や写真作品《わからない(神話:タカサゴユリ女王の花占い)》にも見られる魚眼レンズによる歪みは、パラレル・ワールドを覗き見る効果を生んでいる。

展示タイトルの「DREAM-POOL」は、北宋の沈括の『夢渓筆談(梦溪笔谈)』の博物学的関心を踏まえてのものであろうか。