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芸術鑑賞の備忘録

映画『クレッシェンド 音楽の架け橋』

映画『クレッシェンド 音楽の架け橋』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のドイツ映画。
112分。
監督は、ドゥロール・ツァハヴィ(Dror Zahavi)。
脚本は、シュテフェン・グランツ(Stephen Glantz)、ヨハネス・ロター(Johannes Rotter)、ドゥロール・ツァハヴィ(Dror Zahavi)。
撮影は、ゲーロ・シュテフェン(Gero Steffen)。
編集は、フリッツ・ブッセ(Fritz Busse)。
美術は、ガブリエレ・ヴォルフ(Gabriele Wolff)。
衣装は、リカーダ・メルテン=アイヒャー(Riccarda Merten-Eicher)とユリア・シェル(Julia Schell)。
音楽は、マルティン・シュトック(Martin Stock)。    
原題は、"Crescendo"。

 

隣にいるのは有望な音楽家のオマル。シーラ(Eyan Pinkovitch)がスマートフォンのレンズに向かって自分の隣にいるオマル(Mehdi Meskar)を紹介している。どこの出身だっけ? カルキリヤ。オマルはシーラを世界で一番美しいと紹介し、心配しないよう訴えている。
夜、2人が暗い道路を歩いていると、目の前に自動車が停まる。ライトで照らし出された2人に対し、自動車から降りた人物が強い調子で何かを求める。だが、2人には言葉の意味が分からない。取り敢えず両手を挙げて立ち止ったが、男たちが近付いて来るのを見て、オマルはシーラに合図を送り、反対方向に駆け出した。
フランクフルト・アム・マイン。音楽・舞台芸術大学をカルラ・デ・フリース(Bibiana Beglau)が訪れた。マエストロ、とエドゥアルド・シュポーク(Peter Simonischek)を呼び止める。音楽家は引退しているんだ。教授でしたね。純利他主義財団のカルラは、イスラエルパレスチナで音楽家志望の若者を集めて楽団を編成し、パレスチナ和平を祈念したコンサートの開催を計画していた。その指揮と指導に適任だとエドゥアルドを口説きに来たのだ。教え子もイスラエルで活躍しているよ。シュポークの名があればこそ話題になって寄付も多く集まろうというものです。金の問題か。問題解決に金は有効ではありませんか? コンサートで注目を集めて音楽学校設立の資金を募りたいんです。利他主義か。ところで君は私の家族について知っているのかね? 
パレスチナ。カルキリヤ。住宅街の通りに椅子を出して座る老人は、黙って遠くを見つめている。レイラ(Sabrina Amali)が自宅でヴァイオリンを弾いている。エドゥアルド・シュポークの行なうオーディションに向けて練習に熱が入る。窓からは群衆のシュプレヒコールが聞こえ、それにサイレンが混じる。爆撃音がした。催涙弾だ! レイラの部屋の窓にも白いガスが流れ込んできた。レイラは慌てて窓を閉めると台所へ向かう。催涙ガスの痛みを和らげるため、タマネギを半分に切って香りを嗅ぐ。
ユセフ(Hitham Omari)がスピーカーを取り付けたトラックを運転して近所を廻りながら、マイクで訴える。サイダの結婚式が行なわれます。皆さん、是非お集まり下さい。オマルの演奏もあります。ユセフは助手席に座る息子オマルに伝える。エドゥアルド・シュポークは「ポルシェ」だ。ユダヤ人のことは気にせず、彼に学ぶべきだ。
台所に立つレイラに、父親がなぜこんなに朝早くに準備しているのか尋ねると、オーディションに遅れるわけにはいかないから、できる限り早く検問所に到着したいからだという。母さんが音楽に反対するのはお前を心配してのことだ。父親は娘にペットボトルの水を手渡す。ヴァイオリンは武器と間違えられるから気をつけるんだぞ。ヴァイオリンは武器よ。誰がこんな娘に育てたのかね。苦笑しつつ娘を抱き締める。
検問所に並んでいたレイラに女性兵士が質問する。これは何? ヴァイオリンです。ヴァイオリン? テルアビブでオーディションがあるんです。レイラはオーディションの参加証を示して女性兵士に読むよう訴える。お前が命令するんじゃない! 女性兵士は脇にあるテントまで着いて来るようレイラに命じる。
オマルはユセフとともに検問所にやって来た。兵士はオマルのオーディションの参加証を確認する。この男だけだ。お前の名前はない。オマルは場所を知らないんで、私が道案内するだけです。身分証を見せて食い下がるが、兵士は拒絶する。どうしたらいいんだ、父さん。神に祈るんだ!

 

世界的に著名な指揮者で現在は現役を引退して音楽大学教授となっているエドゥアルド・シュポーク(Peter Simonischek)は、純利他主義財団のカルラ・デ・フリース(Bibiana Beglau)からの依頼を受け、パレスチナイスラエルの音楽家志望の若者で組織される楽団の指揮者兼指導者に就任した。テルアビブのオークションでは、遮蔽措置を講じた結果、イスラエル人が圧倒的に多く合格することになった。パレスチナ人とイスラエル人とを同数にして欲しいというカルラの依頼に応えるため、エドゥアルドは、イスラエル人ヴァイオリニストのロン(Daniel Donskoy)から紹介されたパレスチナ人らしいイスラエル人の採用を試みる。パレスチナ人のレイラ(Sabrina Amali)は、オーディションにいなかった人たちがステージで演奏しているのを見て憤慨する。危険を賭してオーディションを受けた自分たちに対して、イスラエル人があまりに厚遇されているのではないかと。エドゥアルドは室内楽の編成にすることで団員比率の問題を乗り越えることにする。ところが、コンサートマスターをレイラにした結果、演奏能力が上だと自他共に認めるロンが反発、イスラエル人メンバーもレイラに従おうとしない。エドゥアルドは楽団員の融和を図るため、南チロルへの合宿を敢行する。

冒頭では、検問所を中心に、オークションに参加するためパレスチナ人が乗り越えなければならない事柄が描かれ、瀟洒な住宅で練習に励むイスラエル人の描写を間に僅かに挟むことで、そのコントラストが強調される。
カルラが、パレスチナ人とイスラエル人の若手音楽家で構成される楽団の指導者にエドゥアルドを選んだ理由が、彼の生い立ちにあることが中盤以降で示される。
作中で演奏される名曲の訴える力は圧倒的で、鑑賞者を有無を言わせず引き込んでしまう。音楽の持つ力を恐ろしいまでに体感できる。
パレスチナ問題の解決の困難さを認め、決して安易なハッピーエンドには着地させない。だからといって希望を失わせない、バランスをとった物語となっている。エンディングがその象徴だ。
アルプスの山嶺は優美で、不動に見える。その前を楽団員が自転車で通り過ぎるシーンは、悠久の自然の歴史に比してごく短い人間の歴史を対照させる装置となっている。
世界的な名声を手にしつつも幼い頃から苦杯を嘗めてきた音楽家エドゥアルドを演じたPeter Simonischek、理想の実現のために合理的にかつ根気よく仕事を進めるカルラのBibiana Beglauを初め、俳優陣も魅力的である。