可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 土屋裕央個展『Landscape』

展覧会『土屋裕央個展「Landscape」』を鑑賞しての備忘録
KOKI ARTSにて、2022年2月5日~3月5日。

7点の絵画で構成される、土屋裕央の個展。

《海への視点》(910mm×1400mm)の画面は、外側から灰青、少し間を空けて、それよりも薄い灰青で、額縁のように囲われている。その内部のややくすんだ白の面は、26列ある焦茶の短い斜線で埋められている。さらに左右を横断する薄い灰青の線が30本ほど引かれている。ほぼ横方向に引かれた線は、やや揺れたり、波打ったり、うねったりしている。中央上部には、背鰭・腹鰭・臀鰭・尾鰭を持つ、丸い目の小さな魚1匹、鱗まで表現されて描かれている。その画面中央下には、濃い灰青によって円が描き入れられている。周囲の枠は閉じた系としての海洋を表わすものではなかろうか。円が表わす太陽によりエネルギーがもたらされる。熱による気圧の差が風を起こし、風が波を立てる。灰青の横線は波である。それでは無数の焦茶の斜線は何であるか。雨である。蒸発と降雨による水の循環であり、ひいては水に支えられる生命を象徴する。灰青の「波」は生命を繋ぐ鎖でもある。他のモティーフと異なり、細部まで描写されている魚は、命の乗り物であろう。鰭が子細に描き入れられているのは、バランスを保ち推進する力を表現しようとしてのことだと解される。

《星について》(335mm×335mm)は全体にモスグリーンが薄く塗られている。正方形の画面の下半分には鉢植えの植物が描かれている。灰白色の鉢は左側が床(地面)であるかのように据えられ、そこから茎を伸ばし葉を茂らせる植物は横倒しになっている。そして、何より目を引くのは、7本の茎の先に付いた9枚の大きな葉の中に描かれた、それぞれ1匹ずつの魚の姿である。90度右に回転させることにより、重力から解放された鉢植えの植物は、1つの株から枝分かれした生命の姿を表わす系統樹のイメージへと転換される。魚を描くのは、水の中から生命が始まったことを、別々の葉に同様の魚を描き込むのは共通する祖先を持つことを、それぞれ示すためではなかろうか。画面上部には紡錘形に近い白い線の中に砂粒のような点が白・灰などで描かれている。「星について」というタイトルから、砂粒が星々と知られる。それらを紡錘形の枠の中に表わすのは、宇宙を閉じた系として捉えるからであろう。紡錘形の右側に円弧が添えられているのは、紡錘形を葉として、その端から繋がる円弧を茎として、提示するためと解される。宇宙と鉢植えの葉とのアナロジーである。すると、鉢植えの植物の1枚ずつの葉もまた宇宙となる。個々の生命のミクロコスモスと、宇宙のマクロコスモスとの照応である。
《星と植物の関係》(1500mm×1400mm)は、《星について》と同じモティーフを扱いつつ、かなり異なった内容を含んでいる。画面の左半分はクリーム色、右半分は赤みを帯びたベージュによって塗り分けられている(なお、右下の角はベージュで塗られている)。画面下半分を占める鉢植えの植物は1本の茎から3本に枝分かれし、それぞれ8枚、10枚、8枚の葉を付けている。魚は一部の葉にのみ描き入れられている。茎ごとに2枚の葉に1匹ずつ、計6匹である。魚が生命の象徴であるとすれば、生命の死に絶えた世界の方が多いことを示すものかもしれない。画面の上部には、途切れた楕円状の線で囲われた中に、星を表わす黒や灰青の点が描かれている。点よりも線で描かれるものが多いのは、星々の運行を表わすためらしい。それというのも、太陽を表わすものか、大きな円が2つ描かれ、それには移動(見かけ上の位置?)を示す矢印が付されているからだ。矢印の1つは、「太陽」から鉢植えに向かって伸び、灰白の鉢植えの影には円が潜むように描かれている。太陽のエネルギーが鉢植えへともたらされていることを表わすのだろう。他方、鉢植えの方からは「宇宙」(楕円状の枠)を越えて伸びる太い線が画面の右上の角に向かって引かれている。マクロコスモスとミクロコスモスとの間で交わされるエネルギーのやり取りから逸れていくようだ。それは閉じた系からの離脱であり、消滅(死)を表わすのかも知れない。

《山の構築》(1030mm×730mm)は、画面下部に大きく余白をとって、画面上部に「山」を描いている。二等辺三角形の斜辺を向かい合わせに、わずかな間を置いて描くことで、正方形状に組み合わせ、その内部に頂点を違える形でより小さな二等辺三角形を正方形状に組み合わせる。この繰り返しにより、画面の手前側に頂点を持つピラミッドのイメージを作り上げている。山は主に水に浸食されて形成される。生命を支える水の循環が山を形成しているとも言える。それに対し、「ピラミッド」は、石や土を積み上げることで構築される、墳墓すなわち死の象徴である。ピラミッド状の造形による「山の構築」を放棄するかのように、一番小さな「正方形」に連峰の姿を平面的に描き入れているのは、そのような山の形成と構築とを対比して示すためであろう。

《ライトについて》(592mm×490mm)は、雨を表わす墨色の斜線が描き込まれたくすんだ白い画面に、1本の街路灯が描かれている。植物のように僅かに湾曲しつつ伸びる支柱の先に取り付けられたライトは点灯している。この作品を特徴付けるのは、黄色い光の周囲に照らし出された空間(?)の表現である。光の周囲には白の中に青の斜線が描かれ、光によって照らし出された降雨を表現している。その周囲を、フェルナン・レジェ(Fernand Léger)の作品にでも見られそうな、灰色系統の色の面が組み合わされたイメージがとり囲んでいる。光が、雨以外に見ることのできない空間に、実は潜んでいる存在を炙り出している。光と対になる闇であろうか。
同様のモティーフを描く《ライトについて 2》(1000mm×650mm)では、鈍色の画面に薄鈍色で雨が表わされている。画面が大きくなった分、街路灯の支柱は高くなっているが、その線は細く、より弱々しい。明かりは白くなり、降雨を照らし出すことなく、灰色や茶などで塗られた不定形の面によって覆われている。