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芸術鑑賞の備忘録

映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』

映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のイギリス映画。
95分。
監督は、ロジャー・ミッシェル(Roger Michell)。
脚本は、リチャード・ビーン(Richard Bean)とクライブ・コールマン(Clive Coleman)。
撮影は、マイク・エリー(Mike Eley)。
美術は、クリスチャン・ミルステッド(Kristian Milsted)。
衣装は、ディナ・コリン(Dinah Collin)。
音楽は、ジョージ・フェントン(George Fenton)。
編集は、クリスティーナ・ヘザーリントン(Kristina Hetherington)。
原題は、"The Duke"。

 

ロンドン。イングランド及びウェールズの中央刑事裁判所「オールドベイリー」。アーヴォゥド判事(James Wilby)の法廷。書記官(Heather Craney)が被告人に起立を求め、ケンプトン・バントン(Jim Broadbent)が立ち上がる。あなたは1961年3月21日、ナショナル・ギャラリーから、フランシスコ・デ・ゴヤ作のウェリントン公爵肖像画を窃取した罪で起訴されます。
半年前。ニューカッスル。タイプライターで脚本を完成させたケンプトン・バントンは、BBCに送付するため、郵便局に向かう。局員(Sarah Annett)相手に、キリストが女性だったらという企画を得意気に語って聞かせる。そんなケンプトンに局員は書留にしておきましょうかと尋ね、さっと料金を請求する。ケンプトンが自宅前に戻ると、テレビの鑑札を確認しにやってきた役人(Charlie Richmond, Matt Sutton)の姿があった。ケンプトンは慌てて公衆電話ボックスに身を潜める。
ドロシー・バントン(Helen Mirren)が暖炉の内部の清掃をしていると、ガウリング夫人(Anna Maxwell Martin)が現れ、ゴルフクラブを磨くよう指示を受ける。暖炉の清掃が終わってからで良いか尋ねると、午後に使用するゴルフクラブが急ぎだと言われる。ガウリング夫人は倉庫管理の仕事があるがご主人にどうかとドロシーに持ちかける。
隙を突いて自宅に入ったケンプトンは、ちょうど帰宅した息子のジャッキー(Fionn Whitehead)に、玄関で役人を相手に5分稼げと言いつける。ジャッキーが役人たちを出迎える。ブラウン管が発する高周波が感知されましてね。テレビの鑑札は持っていらっしゃるかな。テレビはありますけど…あ、大きなキツネがっ! 役人たちはジャッキーを相手にせず玄関を抜ける。ケンプトンはいつの間にか老齢年金受給者にテレビ視聴の権利をと記した張り紙を用意してテレビに貼り付けていた。このテレビはBBCは映らないんだ。部品を抜き取ってあるからな。だから鑑札は必要ない。テレビ所有者には鑑札を受けることが法で義務づけられていると、役人たちは引かない。そこへドロシーが帰宅する。妻は鑑札の料金を支払うため、部屋のあちこちから懸命に小銭をかき集める。ケンプトンは見ないテレビの鑑札を強制するのは不当だと我を通し、結果、13日間、ダーラム刑務所に収監されることになった。
ケンプトンの釈放をジャッキーが出迎えた。マリオンのところへ行きたいという父の希望で、ジャッキーはバイクを高台にある墓地に走らせた。18歳で亡くなった娘の墓があった。また叱られるようなことをしてしまったと、ケンプトンは娘に報告する。
ケンプトンが息子とともに夕食をとっていると、テレビでフランシスコ・デ・ゴヤが描いたウェリントン公爵肖像画が国外に流出するのを防ぐために国が14万ポンドで買い戻したとのニュースが流れた。

 

脚本を書いてはテレビ局に投稿しているケンプトン・バントン(Jim Broadbent)は、脚本家としての成功を夢見ている。演劇や文学に精通し、社会の問題に対して鋭い批評眼を持つが、その一方で社会生活を成り立たせる感覚を欠いている。テレビ視聴のための鑑札を得るよう役人から要求されたケンプトンは、老齢年金受給者の孤独に寄与する悪法には従えないと支払いを拒み、収監される始末。変わり者の夫に代わり、妻のドロシー(Helen Mirren)がガウリング夫人(Anna Maxwell Martin)の家政婦として働くことで、何とか家計を支えていた。ある日、フランシスコ・デ・ゴヤが描いたウェリントン公爵肖像画アメリカに流出するのを防ぐため、国家が14万ポンドで買い戻したとのニュースがテレビで流れた。14万ポンドを預金すれば、その利息で多くの人の鑑札料を賄えるとケンプトンの算盤がはじき出す。

ナショナル・ギャラリーから持ち去られたフランシスコ・デ・ゴヤ作のウェリントン公爵肖像画を所持するという人物――ケンプトン・バントン――からの声明が新聞に掲載される。退役軍人や老齢年金受給者の孤独を紛らわせるものとしてテレビは有効だが、鑑札制度がテレビへのアクセスを妨げている。国家が1枚の絵画の流出を阻止するために支払った14万ポンドを預金すれば、その利子だけで多くの孤独な老人たちのテレビ視聴が可能になる。2018年にメイ政権が孤独の問題を国務大臣に所管させているが、個人主義の徹底しているお国柄もあって、イギリスにおける(とりわけ老人の)孤独の問題は、社会問題として早くから認知されていたのだろう。
ケンプトン・バントン(Jim Broadbent)とドロシー(Helen Mirren)との掛け合いが素晴らしい。型破りな夫と常識的な妻との間には、亡くした娘への向かい合い方をめぐって反目している。それでも、ときに2人の間での愛情あるやり取りによって、ドロシーが変わり者のケンプトンを支える理由が分かる。Helen Mirrenが夫とダンスをしながら足を跳ね上げてみせるキュートな仕草など見事。
ドロシーは言葉遣いに厳しい。言葉遣いには階級の壁があり、それを子供たちに取り払わせたいという願いがドロシーにはある。子供たちは、それを面倒だと思いながらも、母親の配慮であることは分かっている。家族で食事に出かける際、息子二人が母親を女王のお通りだと担ぎ上げるシーンにその関係性が示されている。
ケンプトン・バントンを被告人とする法廷シーンは、ケンプトンのショーになっている見せ場。彼を支持する傍聴人の盛り上がりや、彼に密かに共感する書記官(Heather Craney)の僅かな表情の変化も印象に残る。
ケンプトン・バントン曰く、王のことばかり描くシェイクスピアよりチェーホフがいい。チェーホフの『桜の園』は悲劇か喜劇か判じがたい。息子を逮捕しに来た警察官に対して、ヘイビアスコーパスに言及していることから、文学以外の分野にも詳しいようだ。
政府がフランシスコ・デ・ゴヤ作のウェリントン公爵肖像画を買い戻した記者会見で、女性記者(Sarah Beck Mather)が小さな肖像画に14万ポンドもの大金を払う価値があるのかと問うと、その場の男性記者らがどっと笑う。女性記者は絵画を前にして、その絵画にどれほどの価値があるのか判断が付かないから質問を発した。だが、彼女を笑った男性記者たちは、絵画の価値について自ら評価しようとはせず、ゴヤという巨匠の作品だからとか、ウェリントン公爵を描いているからといった理由で「疑いなく」価値があるものだと決めつけている。絵画自体に向き合い、自ら評価しようとはしていない。彼らをもって他山の石とすべきだ。