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芸術鑑賞の備忘録

映画『白い牛のバラッド』

映画『白い牛のバラッド』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のイラン・フランス合作映画。
105分。
監督は、マリヤム・モガッダム(مریم مقدم,/Maryam Moghaddam) とベタシュ・サナイハ(بهتاش صناعی ها/Behtash Sanaeeha)。
脚本は、メアダッド・コウラシュニア(مهرداد کوروش‌نیا/Mehrdad Kouroshniya)、マリヤム・モガッダム(مریم مقدم,/Maryam Moghaddam) 、ベタシュ・サナイハ(بهتاش صناعی ها/Behtash Sanaeeha)
撮影は、アミン・ジャファリ(امین جعفری/Amin Jafari)。
原題は、"قصیده گاو سفید"。フランス語題は、"Le Pardon"。

 

最上部に鉄条網が張られた高い白い塀に囲まれた処刑場。左右の壁際には黒い人影の列。中央に1頭の白い牛が佇む。
モーセが彼の民に「神はあなたに牛を1頭屠るように命じます」と告げた時を思い起こせ。彼らは「あなたは私たちを愚弄するのか?」と答えた。(『クルアーン』「雄牛」第67節)
ミナ(مریم مقدم,/Maryam Moghaddam)が自動車に揺られ、郊外の刑務所に向かう。ミナが入口で守衛に告げる。面会に来ました。時間外だ。間もなく刑が執行されるんです。守衛はミナを連れて誰もいない廊下を進んでいく。看守が覗くための小さな穴の空いた扉の前に立つと、守衛は鍵を開ける。夫のババクが静かに座っている。ミナを中へ入れると、守衛は鍵を再び掛けてその場を離れる。扉の向こうから、ミナの嗚咽が漏れる。
次から次へと牛乳パックが流れてくるベルトコンベア。その脇でミナが清掃の作業をしている。
学校の玄関で1人迎えを待つビタ(آوین پوررئوفی/Avin Poor Raoufi)。ミナが現れ、娘を連れて帰宅の途につく。ミナはビタとともに地下鉄のロングシートに座っている。ビタが母親に手話で尋ねる。〈映画につれてってくれる?〉 〈家でやらなければならないことがあるの。〉とミナが手話で答える。〈家で一緒に映画を見ましょうね。〉
自宅でテーブルに座るビタ。ビタが母親に尋ねる。〈なぜ眉を寄せてるの?〉 〈眉を寄せてるんじゃないの。疲れているだけ。〉 〈学校行かない。〉 〈何故?〉 〈好きじゃないから。〉 〈何かされたの?〉 ビタは答えない。〈学校に行かなくてもいいと思う? 文字を読めるようにしないの? 働かないの?〉 〈働きたくない。〉 〈先生に会って話すわ。〉 〈先生はいじわる。学校やだ。〉 〈大きくなっていい仕事をしたくないの?〉 〈働きたくない。〉 〈私が年を取ったらどうやって面倒見るの?〉
ババクの弟(پوریا رحیمی‌سام/Pouria Rahimi)が訪ねて来た。アパートの入口にある階段でミナが対応する。何度も電話したのに出なかったろ。工場では電話は切ってるの。もう部屋には上がらせてもらえないんだな。ビタが眠っているし、もう11時で朝の仕事があるから。冗談だよ。義弟はにやつく。親父がビタに会いたがってる。訪ねるように伝えろって。親父はあんたがババクの蓄えを隠してるんじゃないかって睨んでる。休暇がとれないって伝えてちょうだい。喪服はやめなよ。自分を大切にしてさ。ババクが死んで1年だ。人生をちょっとは楽しみなよ。
社会保障機構の事務所。ミナがビタに廊下のベンチに座って待つよう手話で伝える。ご主人の退職年金は? ありません。いつ処刑されたんですか? 1年前です。もう全てお伝えしました。いつですか? 数ヶ月前に申請したときです。約束は致しかねますが、何らかの給付はあるはずです。どれくらいか教えて頂けませんか? 特別児童扶養手当と同額です。月額20万トマン。但し、理事会の決定まで数週間かかります。娘さんはおいくつですか? 7歳です。難聴は遺伝性ですか? いいえ。何があったんです? ストレスの多い妊娠で。そのとき申請しなかったのは何故です? 当時は収入が安定していましたから。
アパートの階段を昇っていると、大家の奥さんから声がかかる。ミナ、随分と遅いのね。福祉事務所に行っていたので。何て言ってた? 理事会の決定を待たなければならないって。何にでも決定が必要なんだからね。余分に夕食を作ったの。必要はありません、何か用意しますから。余分に作ったの、あなたたちの分よ。ありがとうございます、ビタを部屋に上げたら伺います。大家の部屋の玄関でミナが食事を受け取る。家賃の滞納は気にすることないわ、夫に話しておいたから。数週間でお支払いします。分かったわ。空き瓶も取ってあるわ。いただきます。
夕食を取りながらミナが娘に尋ねる。〈学校はどうだった?〉 〈だめ。〉 〈何故?〉 〈先生に辞めるって言った。〉 〈なんでそんなこと言ったの?〉 〈先生が私を規則違反で落第にしたから。〉 〈なぜ落第なの?〉 〈体操服がないから。〉 〈なぜ買ってって言わなかったの?〉 〈お金あるの?〉 〈あるわ。心配しないで。〉 〈パパにお願いしないの?〉 〈パパはすごく遠くへ行ってしまったの。〉 〈別の刑務所?〉 〈パパは囚人じゃなかったわ。私たちのためにお金を稼ぐためにそこにいたの。今は別の場所にいるの。〉

 

夫のババクが殺人の罪で処刑され、ミナ(مریم مقدم,/Maryam Moghaddam)は、耳の不自由な7歳の娘ビタ(آوین پوررئوفی/Avin Poor Raoufi)を女手一つで支えなくてはならなくなった。娘の送り迎えをしながら牛乳工場に勤める傍ら、少しでも収入を増やそうと内職もしている。それでも家賃も滞納せざるを得ない状況だ。社会保障給付の申請も、いつ決済されるか分からない。そんな中、義弟(پوریا رحیمی‌سام/Pouria Rahimi)はミナに色目を使い度々連絡をよこし、義父はババクの蓄えを掠め取っているとミナを疑う。夫の処刑から1年ほど経過した頃、ミナは裁判所から呼び出しを受ける。義弟とともに赴くと、証人の偽証が明らかになり、真犯人はババクとは別人であったので、刑事補償を給付したいと事もなげに告げられた。悲憤慷慨したミナは、冤罪で夫を死に追いやった判事に謝罪させようと裁判所を訪れるが、面会すら叶わない。そんな中、ミナのもとにババクの友人で金を借りていたというレザ(علیرضا ثانی‌فر/Alireza Sani Far)という男が訪ねてくる。

以下、全篇に触れる。
ババクの冤罪が判明した後、被害者の妻がミナのもとを謝罪に訪れる。自らも新たに判明した真犯人を赦したから、私のことも赦して欲しいとの願いをミナは聞き入れなかった。無実の夫の命を奪った判事に謝罪させ、責任を取らせたいという怒りにミナが支配されていたからだ。
判事に対して、毒を混入した牛乳を飲ませる。それは、判事を生贄としての「牛」へ変身させることを意味しよう。もっとも、解雇されたとは言え、かつて自らが製造に関わった牛乳を毒殺の手段に用いる点には、ミナが常軌を逸している様が表わされているとは言えまいか。夫を死に追いやった判事に恋慕してしまった自らの失態を罰すべきとの激しい悔悟が、ミナを狂わせたのだろう。
判事は証人の偽証に加え、ババクの自白によって有罪の判決を下した。証人の噓の証言(そして事情はあろうがババク本人の虚偽の自白)が、ババクを死に追いやったと言える。ところで、ミナは娘のビタに対して、ババクに関する噓をついている。噓も方便であるかもしれないが、そこにはミナの正しさを相対化させる仕掛けが仕込まれている。鑑賞者はたいてい主人公ミナの身になって作品を鑑賞しているから、鑑賞者に「復讐」の是非を問いかけてもいる。