可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 池崎一世・佐藤麻優子・染井冴香三人展『whereissheus』

展覧会『The Second Stage at GG #52 池崎一世・佐藤麻優子・染井冴香「whereissheus」』を鑑賞しての備忘録
ガーディアン・ガーデンにて、2022年2月8日~3月19日。

池崎一世・佐藤麻優子・染井冴香の3名の写真家が、主にお互いや自らを被写体に撮影した35点(池崎一世10点、佐藤麻優子12点、染井冴香13点)の写真を展観。

分譲住宅が左右に軒を連ねる道を背景に佇む染井と池崎を被写体とした《my family_1》(佐藤)が冒頭を飾る。青いスカートの染井に対し、池崎はパンツを着用し、腕にはおくるみのようなものを抱えている。2人の女性と「赤子」とで構成される「私の家族」。太陽が2人の右側(画面左側)から射し、長い影が真っ直ぐ右へと伸びるのが、ドイツ語と見紛うような長い綴りの展覧会タイトル「whereissheus」と呼応するとともに、右に並べられている作品へ視線を誘導する。電子オルガンの椅子に置かれたお絵描きボードを写した写真《スミニイル カタチ》(染井)の光源が、(見えないものの)左側にある窓であることでこれを受け、続く《the house》(染井)の横に連なる分譲住宅とフェンス(?)、雨樋、ベランダの手摺が右方向への視線の動きを促す。《the house》のベランダに佇む染井が、《one of the dead》(染井)の首にべったりと血糊の付いた自画像へと変転する。飴を手にした少年風の佐藤と日傘を差した母親風の池崎が(右に向かって上がる)階段に並ぶ《by the side》(染井)には、波形の日除けが映り込み、公園の木立を前に染井が倒れ、布を被り鎌を手にした池崎と悪魔の格好をした佐藤が近付く、より大きな画面の《one of the dead》(染井)へ接続させる。シーツを被った染井が手にしたナイフで切り裂いて顔を見せる2枚組《free my skin》(染井)は、内破によって幻想が溢れ出すことを示すのかもしれない。《be the side》(染井)において池の噴水を背景に石に腰掛けた佐藤が忽然と姿を消す。同じ噴水を背景にした《my family_2》(佐藤)では、池崎が青いスカートを穿き、染井がパンツルックで「おくるみ」を抱え、《my family_1》とそれぞれの役割が反転する。体操着姿の人物がエメラルド・グリーンの門扉の間をすり抜ける(《what is reality》(池崎))と、教室(《untitled》(佐藤))やプール(《untitled》(佐藤))に佇む佐藤の姿がある。寝間着なのは夢の中であることを表わすのだろう。都市の直中のバラ園(《Untitled》(池崎))で鼻に囲まれて大きなクマのぬいぐるみを手にした池崎もまた幻想の中にいる。水面に映ったマンションと街路樹を写した2枚組《Untitled》(池崎)の存在は、それが鏡の国の出来事であることを示唆するようでもある。角や付け鼻を付けた3人を被写体とした《ミンナ普通じゃ無い》(染井)や《君の形を知りたい》(染井)は、サバト(魔女の集会)だろう。サバトは道標や絞首台の傍で行なわれたというが、廃材置き場に電子ピアノとボウルを持って集まった池崎と佐藤の背後には、鉄塔が見える(《family》(染井))。夜、木立の中、ドレスを運ぶ染井と池崎を写した《our party》(佐藤)は、サバトへの移動だろう。花束を写したピンボケの写真《not belladonna》(佐藤)(植物のベラドンナ(belladonna)ではなく、美しい女性(bella donna)の否定であろう)に寄せた作家のコメントに「魔女になることができれば幸福になれるという宗教」とあるのが証左である。黒い衣装に身を包んだ池崎と染井が裸足で手を繋いで立ち(《land》(佐藤))あるいは手を取り合って踊る(《sea》(佐藤))のもサバトの表現と解される。

展示タイトル「whereissheus」の"she"とは、「魔女」と捉えることができる。そして、「魔女」とは、社会秩序を脅かす、既成の価値観を揺るがす、社会的弱者(に与する者)である。

 魔女は、魔女狩り以前にもいた。しかし、それはまだ魔女というより、呪術使いの女といったほうがよいだろうが。彼女たちは、神秘的な直観に加えて、しばしば医学的な知識をもって病人や怪我人をなおし、さらに、女性の多産をたすけたり逆に堕胎をたすけたりしていた。
 このような病気癒しや呪術使いの女性は、大昔からたえることなく、人々の日常要求に応えて存在していた。したがって、魔女あるいは魔女的存在の起源は、太鼓にまでさかのぼるとさえいえる。
 しかし、魔女が「魔女」としてとらえられるようになる大きなステップのひとつは、14世紀に越えられている。それは、魔女が正当なキリスト教会から異端の烙印を押されること、つまり指導者をいただき、誤てる教義や儀式やヒエラルキーをもつセクトであるとされるようになった段階である。
 (略)
 魔女にしたてあげられた女たちは、社会的に貧窮したアウトサイダーであった。都市民はすくなく、大半が農村の貧しい女性であった。
 彼女らは、どん底の人々とつきあった。人々は秘密の力、予言の力をもつ彼女を頼った。畏怖の念をいたきつつ、彼女に家畜の病を癒してもらい、呪いをかけてもらい、愛を助けてもらった。彼女は薬草の知識があり、産婆術に通暁し、毒物の調合方法を知っており、恋愛を助ける、または損なう薬の調合を知っていた。
 つまり、魔女と呼ばれた人々は、不思議な超自然力の持ち主であることはおなじでも、「魔女」の悪事とちょうど反対の善行を、住民たちの要求に応えておこなっていたのである。それなのに、なぜ、彼女たちは「魔女」として告発されることになったのであろうか。
 それは、都市のエリートである司法官や教会改革者の目に、彼女らが道徳意識も政治的意識もない厄介者にうつったからであった。彼女の存在が、住民をあいかわらず異教の迷蒙に染まらせ、また、あるべき秩序をおびやかすと思われたのである。
 だから彼女たちを根こそぎ共同体から排除するために、権力を握るエリートは、機械あるごとに住民を駆りたててこれらの「不穏分子」を駆り出だそうとした。
 布教活動により罪悪感を植えつけられ、また経済的変容をうまく乗りきった中・上層農民を使って、社会秩序を守るのはよういんであった。危機にある共同台にわだかまる憎悪や復讐の抑圧された本能を、裁判が社会的抑圧の道具としてもちい、もてる民衆ともたざる民衆を対立させればよかったからである。
 (略)
 しかし、もうひとつの「魔女」誕生の指標はサバト、すなわち「魔女集会」の存在である。古いバラバラに孤立した魔女にかわって、悪魔を真ん中にした集会に、何百・何千という魔女(魔女のセクト)が集まるようになる、その一定の集合場所の正立が、本来の「魔女」と魔女狩りの誕生に符号しているのである。
 もうすこし詳しくサバトについて説明してみよう。魔女たちがサバトに赴くのは、日が暮れてからであった。ときに箒にのって空を飛んで、ときに動物にまたがったり自ら動物に変身してである。この「夜間飛行」と変身は、民俗的要素の影響であろう。
 そしてその民俗的要素のもとには、非常に古くから農村社会に存在するシャーマニスティックな豊穣儀礼があるようである。動物にのって、または動物に変身して死者の国に旅立つ魔女(の前身)たちには、小麦の生命力を回復するために、また畑の豊饒を確保するために、その死者や精霊の神秘的な行列に参加するという目標がある。また逆に、それによって、彼女たちは予言や幻視の能力を手にいれることができたのだろう。
 そのような民族的イメージ、およびそれを現実化した儀式などの存在に、エリートたつ、つまり判事・異端審問官・悪魔学者らの洗練された妄想が合体して、サバトができたのではないかといわれている。
 そのエリートの妄想というのは、キリスト教社会に敵対する悪魔の霊感を受けたセクトがあり、彼女たちはそのセクトキリスト教を捨てて十字架と秘蹟を冒涜してから入り、定期的に集会をもよおすというものである。
 (略)
 もともと数も少なくバラバラに分散していた魔女たちがセクトをなし、1ヵ所(サバト)に集合するという考え方は、同時期の他のアウトサイダーのグループ、つまり娼婦、ユダヤ人、同性愛者、ライ病者、貧者らを隔離・迫害したことと呼応している。社会の安寧をおびやかす諸々のグループは不断にたくらみをねり、毒をまき、おぞましい業をなしていると考えられたのである。
 14世紀半ばから後半にかけてヨーロッパを襲ったペストをはじめとする疫病の数々が、その恐怖と憎悪のテンションを高揚させたことは疑いない。こうした時期に、反社会グループが結集して社会転覆を画策していると妄想し、その結果かれらをひとからげにして裁断しようとしたのであろう。(池上俊一『魔女と聖女 ヨーロッパ中・近世の女たち』講談社講談社現代新書〕/1992年/p.14, p.17-18, p.23-26, p.31)

また、「whereissheus」における"she"とは他者と解することもできる。他者(she)が私たち(us)であるのは、いかなる場においてか、との問いと解することも可能である。 

 独我論的な前提においては、個人は自己完結的である。このとき、次のようなイメージが描かれている。〈私〉は〈私〉自身に対しては透明である。というか、意識にとって透明であるような範囲こそが、〈私〉の定義である。ところで、コミュニケーションは、〈他者〉がその透明性の範囲の中に入るということである。そんなことは絶対に不可能なことに思える。せいぜい、コミュニケーションは、独我論的な世界の中での幻想としてのみ可能だ、という結論にならざるをえないわけだが、その場合でも、どうしてそんな幻想をもつのか、もつことができるのか、という疑問があらたに生じてしまう。
 しかし、コミュニケーションの不可能性を導くときの独我論的な前提に根本的な誤りがあるということをわれわれは示してきたはずだ。〈私〉は自己完結的ではなく、本質的に開かれている。ということは、言い換えれば、〈私〉が〈私〉にとって透明であるという前提は成り立たないということである。不透明な壁は、〈他者〉のところにあるのではなく、〈私〉の側にある。〈私〉であることにおいて、すでに、〈他者〉が入るべき場所は用意されているのである。そうであればこそ、コミュニケーションは可能なのだ。あえて逆説を誇張したレトリカルな表現を用いるならば、次のようになるだろう。コミュニケーションの不可能性は、〈私〉の自己自身に対する関係にこそある。そして、この〈私〉におけるコミュニケーションの不可能性が、一般の(〈他者〉との)コミュニケーションの可能性の条件になっているのだ。
 さて、同意においても、いや同意においてこそとりわけ、自己と他者の間の分裂が強調され、両者の間に斥力が作用するのはなぜなのか? この問いに対する答えは、〈私〉がすでに〈他者〉だからだ、というものになるだろう。(略)
 〈私〉は他者に開かれている、と述べた。ただし、このとき、〈他者〉はまずは、消極的・未規定的に現れる。言い換えれば、このときの〈他者〉は、〈私〉の意識が覆っている領域に対して、これが「すべてではない」という形式で与えられる。〈私〉の意識が及ぶ範囲を「すべてではない」ものとして性格づけるところの「それ」(〈他者〉)が何であるかは、積極的に規定はされていない。
 現実の〈他者〉の発話は、未規定だった「それ」を具体化する。これによって、言わば、空白のマスが埋められるのだ。だから、〈私〉は衝撃を受けるのである。〈私〉は、〈私〉自身の存在に関して、自らがすべてを知り尽くしていない、ということを知っている。〈私〉は、自分自身の存在の真理に関して、確信をもてずにいる。〈私〉は、〈他者〉の発話から、その真理を受け取るのだ。〈私〉が、ほんとうは何を欲していたのか、ほんとうは何を信じていたのか、何を信じたいと欲していたのか。そうしたことは、〈他者〉の語りを通してでなくては、明示されない。しかし、〈他者〉の口から明示されたとき、〈私〉はしばしば反発を感じる。〈私〉は、自分自身についての真理を受け止めることができないからだ。(大澤真幸『〈世界史の哲学〉 近代篇2 資本主義の父殺し』講談社/2021年/p.109-111)

写真に現れる他者(she)を目にしたとき、「〈私〉の意識が覆っている領域に対して、これが『すべてではない』」という空白が埋められる感覚を持ったとき、私自身において、他者(she)が私たち(us)となりうる。