可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 青野文昭個展『どこから来てどこへ向かうのか』

展覧会『青野文昭「どこから来てどこへ向かうのか」』を鑑賞しての備忘録
上野の森美術館ギャラリーにて、2022年3月11日~30日。

様々な場所で収拾した物を加工し組み合わせた作品10点で構成される、青野文昭の個展。

《なおす・復元・荒浜 1997.3.10-9》は、発泡スチロール製の食品トレーの破損部分を石膏(?)で補った作品。そのあからさまな素材の違いが、土器の復元のように、修復が施されていることを強調する。なおかつ、トレーの底に施された放射状のデザインが、本来の姿と相違することが容易に見て取れる、拙い復元が行なわれている。「復元」によって、決して回復しない本来の姿の喪失が印象付けられる。
《なおす・代用合体・連結 2021-2》は、空き箱を展開したものをいくつか繋ぎ合わせ、それに雑誌記事のわずかな断片を貼り合わせ、揺蕩うような女性の姿を表わした作品。それぞれの空き箱は別々の世界であり、それらが繋ぎ合わされることで世界の接続を、複数の女性像が転生を表わすのだろうか。
表題作と言える《なおす・代用合体・連結・集積・どこから来てどこへ向かうのか》は、乱雑に並べられた箪笥などの家具、無造作に積み上げられた書籍・雑誌や空き箱などに、大小の人の姿が彫り込またり、描かたり、あるいは板に表わさたものが貼り付けられたりして、靴や帽子、マスクなどが添えられた、大規模な立体作品。植物の根、ミニカー、プラスティック製のカップ、空き缶やペットボトルのキャップ、削り屑などがその内部や周囲にあしらわれている。物の雑然とした集積自体が持つ重量感に加え、それらを自由に横断し連絡する、執拗に表わされた多数の顔の無い人形(ひとがた)が、鑑賞者を圧倒する。とりわけ刻み込みや埋め込みの技法が、イメージを怨念のような拭いがたいものにしている。「どこから来てどこへ向かうのか」という言葉の持つ流れるイメージからは、多数の人形(ひとがた)が形代として、汚れを祓う行為が連想される。ところで、例えば服を着たり靴を履いたりすることなく行動することが考え難いように、物はその使用者と一体化する。物と使用者とはお互いの存在を形成し合っている。使用者から離脱した物には、かつての使用者の存在が組み込まれているはずで、それを可視化ないし回復することが作家の「なおす」意味であろうか。作品に組み込まれた上野大仏は、関東大震災に被災して顔面部だけが保存され、大仏殿跡地にはパゴダが建立されている。「なおす」には様々な方途があることを上野大仏は示唆しているようだ。