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芸術鑑賞の備忘録

映画『英雄の証明』

映画『英雄の証明』を緩衝しての備忘録
2021年製作のイラン・フランス合作映画。
127分。
監督・脚本は、アスガー・ファルハディ(اصغر فرهادی)。
撮影は、アリ・ガーズィ(علی قاضی)。
美術は、メーディ・ムサビ(مهدی موسوی)。
衣装は、ネガル・ネマティ(نگارنعمتی)。
編集は、ハイデー・サフィヤリ(هایده صفی‌یاری)。
原題は、"قهرمان"。

 

イラン。ファールス州シーラーズにある刑務所。通路のベンチにラヒム(امیر جدیدی)が1人腰掛けている。ラヒム・ソルタニ。係員から呼ばれ、ラヒムは鞄を持って窓口に向かう。書面の記入を終えたラヒムは建物を出ると金網のフェンスを通り、小走りで車道に出る。間が悪くバスは発車してしまった。タクシーもすぐにはつかまらない。
ラヒムを乗せたタクシーが郊外の道を行く。彼がタクシーを降りたのは、ナクシェ・ロスタム。岩壁に彫られた十字型の墓を前した観光客の姿がちらほら見える。ラヒムはクセルクセス王の墓で修復作業を行うための足場へ向かい、長い階段を昇っていく。作業していたホセイン(علیرضا جهاندیده)が義弟のラヒムに気が付く。電話すりゃよかったのに。それなら降りてたよ。昔の人はどうやって墓に詣でたのかな。お前さんみたいに煙草は吸わなかっただろうな。会えて嬉しいよ。どうして連絡しなかったんだ? 予定に無かったんだ。ホセインの同僚のデガンがラヒムに声をかける。おめでとう、ラヒム。刑期を終えたのか? いや、仮釈放だよ。楽しんでくれ。ラヒムはホセインに連れられて階段を少し降り、納骨堂に移動する。ホセインがラヒムに茶を出して尋ねる。どれくらい出てられるんだ? 明後日まで。たった2日か。2日間のためにどれだけ苦労したか。ジャロミ、砂糖をとってくれないか? お構いなく。茶なら飲んできたよ。刑務所のとクセルクセスの墓のとを一緒にするな。ホセインの同僚のジャロミが砂糖を持ってくる。長く外に出てたいなら節約して使わないと。ホセインがラヒムを諭す。刑務所を出る方法がある。どうやって? 一緒にバーラム(محسن تنابنده)に会いに行って話そう。話し合いで済むなら、奴はお前さんを刑務所送りにしなかっただろうよ。75,000手に入れられる。どうやって? ある人が出してくれることになってるんだ。貸し付けか? 利子なしで手に入るんだ。確実に金が入るまで待った方が良い。それから奴のところへ行けば、奴も文句は言えない。できない約束をしてもな…。午後には金が入る。確かか? 確かだよ。それなら電話しろよ。奴は俺の電話には出ない。金を用意するんだ。午後に会う段取りをつけよう。義兄さんの車はあるかい?
住宅街の道路に停めた車でラヒムが待っている。公営住宅の1室から、チャドルを身に着けたファルコンデ(سحر گلدوست)が出て来る。彼女は階段を下りると広場を横切って真っ直ぐにラヒムのバンに向かう。ファルコンデは助手席に乗り込むと、ここは人通りが多いからとラヒムに車を出させる。すごい髭。気に入った? いいわね。剃らないで。ラヒムがファルコンデを見て尋ねる。大丈夫? おかしくなってた。何で? 待ってる間中ずっとか、あなたに昨晩出所すると言われてからか、分からないけど。チャドル着てるの初めてだね。バッグを隠すためよ、誰にも見られないように。彼女はバッグを取り出して膝の上に置く。バッグを開くと、その中に金貨の入ったビニール袋があった。2人は貴金属店に向かう。店主(مجید شناور)が電卓を取り出す。17枚に4,300だから…。値下がりしました? いつの相場と比べてらっしゃる? 先週ですけど。相場は時々刻々変動するもんですよ。電卓は電池切れで計算できない。畜生。ラヒムが尋ねる。明日上昇ってこともありえるかい? 何でもありですよ。店主は電卓を諦めて手計算しようとするが、今度はボールペンがかすれて書けない。クソ! 2人は店を出る。先週私に売らせておくべきだったわね。他を当たってみない? どこでも同じさ。ならここで売りましょう。何を躊躇してるの? まずは確かめないと。何を? 奴が受け容れるかどうか。なぜ彼は受け容れないの? 全額を一括でって要求するかもしれない。2人はバンに乗り込む。お金はあなたが持っていて。俺のバッグに入れてくれ。ファルコンデは彼のバッグから衣類の入ったビニール袋を取り出すとコインをしまう。汚れ物も入れておいて。2日しか猶予が無いのに選択する暇なんて無いでしょ。
ラヒムの姉マリ(مریم شاهداعی)が庭でトマトソースを作っていると、ベルが鳴る。娘のネガルに応対させる。こんにちは、おじさん! やあ、元気かい? ラヒムがネガルを持ち上げる。大きくなったな。母さん、おじさんが来たよ! 台所に立つマリは弟が痩せたと心配する。姉さんは毎回そう言うよな。シアヴァシュ(صالح کریمایی)はどうしてる? 学校よ。ラヒムはシャワーを浴びるためボイラーに火を点ける。おじさん、学校からママに電話があったんだよ。何で? 何でも無いわよ。カミソリは? 要らない。息子は何をしでかしたんだ? 昨日学校で喧嘩したんだよ。マリは娘を窘める。来たばかりの叔父さんにもうおしゃべりしてるのね。学校の連中は母親を呼ぶべきだろう。何で姉さんを呼び出すんだ? 学校は母親に電話したはずよ。それで父親の家族に電話するよう言ったんでしょ。何があったのか明日学校に行ってみなさいよ。叔父さん、彼のママ、再婚するんだって。誰が言ったの? シアヴァシュ。シアヴァシュは誰かが結婚を申し込んだって言っただけでしょ。ラヒムはシャワーを浴びに風呂場に向かう。
アーケードの中にある印刷店。ナザニン(سارینا فرهادی)が学生の依頼でコピーをとっている。ホセインと彼に続いてラヒムが店に入る。こんにちわ。お父さんはいらっしゃらないかな? 出かけました。ナザニンは学生に尋ねる。他にあります? いいえ。学生は支払いをして出て行く。今日の午後、店にいると言ってたんだよ。お父さんに電話していつ戻るか聞いてくれないかな? 答えること無く、ナザニンは電話をかける。お父さん、どこなの? ラヒムの義兄が来て、会うことになってたって…。話してもいいですか? ホセインがナザニンから受話器を受け取る。こんにちは、バーラム。お元気ですか? 5時にいらっしゃるとのことだったので。私はお会いしたかったんです、3年経ちましたし、問題を解決したいと。…彼は負債の一部をかき集めましてね、70,000ほどです。ホセインが電話をスピーカーに切り替える。話し合いなら何度も重ねてきたんだ。約束だって何回も聞かされた…。70,000についてはお約束します。彼の友人や家族が彼のために捻出してくれたんです。それなら友人や家族に数日後を満期とする債務全額の小切手を書かせて下さい。それなら訴訟は取り下げましょう。待って下さい。彼が出所したら、間違いなく少しずつ返済させますから。あなたあいつの親戚でしょう? でもあいつのような負け犬のために小切手なんて書きませんよね。私にあいつに何を期待しろって言うんです? 家賃でさえなかなか払えないんです。こんな状況じゃなければ、一晩たりとも彼を刑務所にいさせませんでしたよ…。出所したら少額ずつ返済するだって? 手形を振り出せ、そうすればあいつが返済するだろうって? 彼に温情をかけて刑務所から出してやって下さい。あいつは自分の妻子にさえ詫びなかったんだ。温情に値しないさ。彼の価値については心配なさらないで下さい。ご自身のお金が戻ることをお望みではないですか? 負債の半額は準備があるんです、現金で。あなたはあいつに小切手を書くほど信用してない。クズのせいで私の3年間は滅茶苦茶だ。信用の問題では…。それなら何についてだ? 私はあいつを信用しとらん。あいつが昼と言うなら夜だと思うだろう。一度は彼の恥じ入った様子に騙されたが、もうありえん。

 

ラヒム(امیر جدیدی)は別れた妻の兄バーラム(محسن تنابنده)から借りた金を返せず服役している。ラヒムの交際相手ファルコンデ(سحر گلدوست)が拾ったバッグに金貨が入っていたのを奇貨として、自らの借金返済に充てようとするが、金相場が思った以上に低く借金の半額にも満たなかった上、バーラムからは全額一括返済でなければ受け容れないと拒絶されてしまう。ラヒムは姉マリ(مریم شاهداعی)から諭されたこともあり、自らの行動を悔い改め、金貨の落とし主を捜すために張り紙をする。張り紙に記載した刑務所の電話番号に電話があり、ラヒムはマリに落とし主にバッグを引き渡すよう依頼する。刑務所の所長サルプール(محمد عاقبتی)らはこの一件を知るとテレビ局に報道させ、自殺問題で信用の傷ついた刑務所のイメージ改善を企てる。拾った金貨を着服すること無く落とし主を捜して引き渡したというラヒムの美談はテレビ報道を通じて広く知れ渡ることになり、借金で服役中のラヒムに対し義捐金が集まる。しかしラヒムを全く信用しないバーラムは、ラヒムの自作自演を疑う。

ラヒムは、交際相手のファルコンデが拾ったバッグに入っていた金貨を、自らの服役の原因になっている借金の返済に充てようとする。それがうまくいかず、なおかつ金貨を拾得したことを知った姉から諭されたこともあり、バッグの落とし主を見付けて返却することにする。金に困った人間が拾った金貨を落とし主に返したという美談を聞きつけた刑務所の所長らは、自殺問題で傷ついた刑務所のイメージの回復を量ろうと、テレビ局にラヒムの善行について報道させた。
ラヒムは揺れ動く人間として描かれる。善人でもあり、悪人でもある。そもそも100%善人であるとか、100%悪人であるとかいった人間は存在しない。それにも拘わらず、善人なら善人、悪人なら悪人とのレッテルを貼ってしまう。罪を憎んで人を憎まずとはなかなかいかない現実を、ラヒムに対する人々の反応を描くことで明らかにする。
SNSなどのネット上の反応ではなく、ネット上の反応に右往左往する人々を描く点も秀逸。
ラヒムはしばしば「息子に誓って」と発言する。息子シアヴァシュが、ラヒムを導くことになる。そのシアヴァシュは吃音である。うまく言葉を発することのできず黙する少年を登場させることで、立て板に水の人々の軽佻浮薄が、鮮やかに浮かび上がる。