可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『連鎖』

映画『連鎖』を鑑賞しての備忘録
2020年製作の韓国映画
107分。
監督・脚本は、キム・ジョンシク(김정식)。
撮影は、カン・クッキョン(강국현)。
美術は、イ・ミニ(이민희)。
編集は、シン・ミンギョン(신민경)。
音楽は、イム・ミヒョン(임미현)。
原題は、"돌멩이"。

 

早朝。教会の鐘が鳴り響く。古い民家で1人暮らしのユン・ソック(김대명)が目を覚ます。服を着替え、青い帽子を被ると、鶏小屋に向かい、餌を与えて卵を取る。朝食を栄養ドリンクで流し込むと、自転車に跨がって公民館へ。自転車のベルを鳴らして来訪を告げ、入口の台に取れたての卵を置くと、再び自転車に乗る。3人の幼児と老婆が座っているバス停のベンチに通りかかる。自転車を降りたソックは子供たちが手にしている林檎の1つを手に取り囓る。子供たちが食べられたときゃあきゃあと騒ぐ。幼稚園の送迎バスが到着し、子供たちと一緒に乗り込もうとするソックは保育士に止められる。走り去るバスを追いかけて自転車を走らせたソックは途中で別れて田の中の道へ。貯水池に到着すると、1人水切りをする。
ソックが友人の料理店に顔を出すと仲間たちが酒盛りをしていた。二次会でカラオケに向かうと、女性の接客係が部屋に呼ばれた。ソックに付いた女性がつい彼の帽子に触れてしまうと、彼はひどく動顚する。帽子には触れちゃ駄目だ。そいつは童貞だぞ。女性に体を触れられたソックは何か異常を感じてトイレに駆け込む。女性用のトイレだと言われ、ソックはトイレから飛び出すと皆を残してその場を立ち去る。
罪深い行いをしたと動揺するソックは教会で神父(김의성)に自らの体験を告白する。白い液体を出すことは罪にはならない。子供を持つことが可能になったというお告げだ。お前も大人になったな。これからは、他の人の身体に触ったり、自分の身体を他人に触れさせないようにしなさい。
ソックの精米所をヨンさん(김기천)が尋ねる。ソック、いたのか。ここに4袋ある。明日取りに来る。祭で使う分だからしっかり頼んだぞ。分かったなら返事くらいしろよ。代金を受け取ったソックは早速機械を作動させ、精米を始める。
スーパーの試食コーナーでソックが店長(한수현)の焼く肉を次から次へと口に運んでいる。麺類と栄養ドリンクばっかりじゃ栄養が偏るぞ。満足して立ち去るソックを店長が温かく見守る。
大きな身形をしたソックがクレーンゲームで人形を取ろうとしてはしゃいだり嘆いたいるするのを通りがかりの少女(전채은)が目に留める。彼女はソウルから高速バスでやって来たばかりだった。ソックは少女のショルダーバッグにぶら下がる人形が気になってつい手を伸ばす。彼女はソックの手を振り払う。ソックは少女にクレーンゲームを指さし、自分で取るとジェスチャーで伝える。彼女は青少年センターに向かい、保護を求める。対応したキム所長(송윤아)の質問に、チャン・ウンジと名乗る少女は滞在許可を早く出せと素っ気ない。
教会で礼拝が行なわれ、青少年センターの少女たちも参加した。ソックはウンジが身につけている人形が気になって仕方が無い。
祭の日。集まった住人たちに食べ物が振る舞われる。顔を出した司教(곽민석)を神父が同期の出世頭だと紹介すると、司教は神父と所長の長年の友情を讃える。貯水池で魚を摑む競争が行なわれ祭りは酣となる。ところが、財布を盗まれたと訴える参加者が現れ、警察官が出動する騒ぎとなり、折角の盛り上がりに水が差された。青少年センターの女性スタッフは、盗犯歴があり、祭りの輪に加わっていなかったウンジを疑う。所長が止めるのにも拘わらず、彼女はウンジにバッグを開披するよう迫る。取り合いになってバッグの中身が散乱すると、そこに財布はなかった。その間、ソックは会場を後にしようとした男を捕まえて逃すまいと必死になった。その男こそ財布を盗んだ犯人だった。ヨンさんにお手柄だと褒められたソックは、ウンジが1人立ち去るのが目に入り、彼女の後を付ける。付いてくるなと言われるのに構わずソックはウンジの後を追う。

 

両親を失い、一人暮らしのユン・ソック(김대명)は、知的障害を抱えながらも精米の仕事を誠実にこなし、神父(김의성)やヨンさん(김기천)を始めとした周囲の人々の支えもあって、幸せに暮らしていた。ソウルからやって来た少女チャン・ウンジ(전채은)は、キム所長(송윤아)の青少年センターに身を寄せ、父親を捜そうとしていた。自分に関心を寄せる知的障害のある青年ソックに初めは警戒していたが、彼の無垢な魂に触れるうち、ウンジは彼に友達として接するようになり、父親捜しを手伝ってもらう。父親を捜して工事現場を回るうち、父親を知る作業員に出会うことができたが、実はウンジの父親は既に亡くなっていた。ソックはウンジに父親の死を伝えるが、彼女は聞く耳を持たず、怒ったウンジはソックを置いて立ち去る。急に降り出した強い雨に打たれたウンジは、ソックの精米所に駆け込み、電気を付けようと濡れた手でスイッチに触れ感電してしまう。ウンジを捜しに精米所を訪れたソックは倒れたウンジを見て動顚する。一方、ウンジがセンターに戻らないのを心配した所長も方々を探し回り、ソックの精米所に行き着く。所長はそこでソックとウンジを見付けて衝撃を受ける。

以下、全篇について触れる。
ソックは強制猥褻罪で起訴されるが、裁判でソックは無罪となる。知的障害を理由に責任能力に欠けるとの判断が下されたようだが、そもそも所長の目撃証言以外に証拠はない(所長の証言のみで起訴事実を裁判所は認定したことになる)。否、責任能力に欠けるから、犯罪事実はあったにも拘わらず無罪となったという裁判結果自体が、住民の怒りを高めることになったのだろう。ソックに対する住民の糾弾は収まらない。それまでソックに親切だった人々も(おそらくはソックを信用していたがために裏切られたとの思いがより強いために)、彼を変質者として排除するようになる。事件の直前に本人から射精の報告を受け、またウンジのソックとの関係を案ずる所長の訴えを聞いていた神父も、ソックを守ろうという気持ちはあるものの、彼が猥褻行為に手を染めたという疑いを抱いている。
真相がはっきりしないままソックを袋だたきにする地域住民の姿は、ネットリンチに加勢する人々のメタファーにもなっていよう。
ソックは1人、貯水池で水切りをする。ソックの投げる石は水面をはねるばかりで誰も傷つけることがない。そのソックが友人の料理店に向かって石を投げる。友人たちに再び振り向いてもらうための行動だ。それは幼稚で短絡的であるが、彼にはそれしかできなかった。
石を投げる行為には、罪人に対する制裁という意味合いがある。「彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』(ヨハネによる福音書第8章第7節)。
冒頭、ソックがリンゴ(≒知恵の実)を囓るのは、性的な事柄に触れるメタファーとなっている。
なぜウンジが青少年センターに駆込んだのか。表向きには父親を捜すためであるが、ウンジの描くスケッチが語る彼女の深層心理は、入墨が象徴する義父の虐待から逃れるためであったことを語っている。ウンジは人々の洞察力の無さに絶望している。だからソックが自分に近付けばどんなことになるのか分かっている。それゆえに、ウンジは泣く泣くソックを友達じゃないと言って突き放す。それはウンジにとってはソックを救うためにできる唯一の方法だった。
神様は想像力が不足していると、人形の生る木を夢想するウンジ。ソックはウンジの言葉を覚えていて、人形の生る木を実現してみせる。ソックがウンジとともにその木を眺めることはない。水底に広がる、別の景色が広がる世界でのみ可能だ。ソックはその世界へと旅立つ。
作風は全く異なるが、『パンズ・ラビリンス(Pan's Labyrinth)』(2006)や『シェイプ・オブ・ウォーター(The Shape of Water)』(2017)といったギレルモ・デル・トロ(Guillermo del Toro)監督の作品と、弱い立場にある者や差別される者へと注がれる眼差しという点で通じるものがある。