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芸術鑑賞の備忘録

映画『アネット』

映画『アネット』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のフランス・ドイツ・ベルギー・日本・メキシコ合作映画。
140分。
監督は、レオス・カラックス(Leos Carax)。
原案・音楽は、ロン・メイル(Ron Mael)とラッセル・メイル(Russell Mael)。
撮影は、カロリーヌ・シャンプティエ(Caroline Champetier)。
美術は、フロリアン・サンソンFlorian Sanson。
衣装は、パスカリーヌ・シャバンヌ(Pascaline Chavanne)。
編集は、ネリー・ケティエ(Nelly Quettier)。
原題は、"Annette"。

 

ロサンゼルスのヴィレッジ・スタジオ。ブースではチューニングが行なわれている。副調整室のミキシング・コンソールの前に座って煙草を吸いながらブースを眺めていたレオス・カラックス(Leos Carax)が、後ろに座る娘(Nastya Golubeva Carax)に始めるよと声をかける。娘が傍にやって来ると、カラックスはブースにマイクで、じゃあ始めようかと伝える。ラッセル・メイル(Russell Mael)が合図をして演奏がスタートし、じゃあ始めようかと歌い出す。メイン・ヴォーカルのラッセルとキーボードのロン・ラッセルがすぐにその場を離れ、歌いながらブースを出て行く。コーラスの女性たち(Sinay Bavurhe, Franziska Grohmann, Rachel Mulowayi, Christiane Tchouhan)も後に続く。階上からアダム・ドライバー(Adam Driver)とマリオン・コティヤール(Marion Cotillard)が降りてきて合流。建物を出て車道を渡り、歩道を進んでいく。程なくしてサイモン・ヘルバーク(Simon Helberg)も一行に加わる。コーラスの少年たちとカラックス父娘が加わり、俳優たちとスパークスの2人が道路に膝をつく。今、音楽が響き渡り、火が灯されます。皆さん静かに座って、目をちょっと見開いて下さい。サイモンがドラム・スティックで地面を叩くと、再び、皆がじゃあ始めようかと歌いながら歩き出す。アダムとマリオンがスタッフから上着を受け取って羽織る。アダムがバイクに跨がり走り去る。さよなら、ヘンリー! マリオンが乗り込んだ車も発進する。さよなら、アン!
車の後部座席で、アン・デフラスノー(Marion Cotillard)がリンゴを囓っている。彼女が向かうのはウォルト・ディズニー・コンサートホール。ソプラノ歌手の彼女が主演するオペラ「森」の公演がある。楽屋では、アンは床に寝そべってヨガのポーズのような準備運動をする。ステージに向かったアンは、青い光が当てられた、頭上から垂らされている沢山の布の中に控え、幕が上がるのを待つ。
ヘンリー・マケンリー(Adam Driver)はバイクに跨がりオーフィアム劇場へ。コメディアンである彼のワンマンショー「神の猿」が行なわれる。楽屋で緑色のバスローブを身につけたヘンリーが、鏡に向かってボクサーのように拳を繰り出している。舞台袖に移動した彼はバナナを食べながら煙草を吸う。司会者が観客に呼びかける。用意はいいですか? …いや、まだですね。不快な夜には爆笑間違いなしの新作「神の猿」、世界的に悪名高いヘンリー・マケンリーの登場だ! 煙草の火をバナナの皮で消したヘンリーが大量のスモークが焚かれた特設のゲートを抜ける。ステージに姿を現わした彼は咳き込みながらマイクスタンドのマイクを取る。何なんだ、この煙は。テーブルに置かれたウィスキーグラスを手に取り口にする。煙に何の意味があるってんだよ。ボツボツが出るな。笑気ガスにしろってんだよ、そしたら楽になんだろ。青酸ガスの方が楽になれるか。独り言のように文句を言いながらステージを左右に歩き回るヘンリーが、観客に話しかける。で、お前らを笑わせに来たんだ。歓声を上げる客。そうだ、笑え、笑え、笑え。…今夜はやれそうにないけどな。やってみるべきかも分かんねえ。笑いを取るってムカムカする詐欺みたいなもんだろ。
ステージを終えたヘンリーはバイクでウォルト・ディズニー・コンサートホールへ向かう。ヘンリーが到着すると、花束を抱えたアンがファンのサインに応じているところだった。彼女がヘンリーの姿に気が付いて見つめる。ヘンリーは彼女のもとへ近づき、アンも人だかりを抜けて彼のもとへ急ぐ。手を取り合う2人。ヘンリーはヘルメットを被ったままシールドだけ上げてアンとキスを交わす。2人の姿をカメラマンが撮影する。舞台はどうだった? 客を殺してやったよ。徹底的に殺し尽してやった。よくやったわ。君のステージはどうだった? 私は、救ったの、観客を。君の死は素晴らしいよ。何たっていつも死んでいるんだ! 報道陣は2人に笑顔を要求し、ヘンリーにヘルメットを取ってと注文する。アンが抱えていた花束を投げ上げる。

 

コメディアンのヘンリー・マケンリー(Adam Driver)は、世界的なソプラノ歌手のアン・デフラスノー(Marion Cotillard)と交際、結婚。2人の間に娘アネットが生まれると、アンが順調にキャリアを重ねて名声を高めていく一方、ヘンリーは子育てに時間を費やすようになり、仕事に身が入らなくなっていく。ある朝、アンの求めに応じられなくなったことに気が付いたヘンリーは、自棄になって上がったラスベガスでのステージを途中で放棄してしまう。2人は関係を修復するためにアネットを伴い船旅に出る。

緑色の衣装、森の中の邸宅(プールの水も緑色)によって、ヘンリー・マケンリーに森のイメージが充てられている。それはヨーロッパの童話が描くような怪しく恐ろしい森である。アン・デフラスノーは、主演するオペラ「森」において、木々の中で震え、さ迷った挙げ句、命を落とすことになる。それは森=ヘンリーでアンが辿る運命を暗示している。アンが車中で目にする山火事のニュースもまた、森で起こる悲劇の予兆である。
ヘンリーには(笑いで)殺す(kill)役割が、アンはオペラで死ぬ(die)役割が、それぞれ与えられている。アンの死は、殺されるはずの観客の身代わりとなることで、観客を救う(save)。
笑わせる才能を失うこと、妻を満足させることができなくなること。擽るという物理的な行為は、それを補うための窮余の策。
ヘンリーとアンとの間に生まれた娘アネット(Annette)の名は、アン(Ann, Anne)に指小辞etteが付されたもの。アネットが「小さなアン」であることを示す。アネットが人形で表現されることで、アンの魂が乗り移る存在であることが想定されている。アンのヘンリーに対する怨念が託されることで利用されるとともに、ヘンリーにも搾取される。アネットは両者に愛情を持つことはない。アネットが愛するのは彼女に寄り添う伴奏者(Simon Helberg)だけである。そして、実は彼こそアネットの真実の父親である。
古舘寛治っぽい役者が出演していると思ったら、本人であった。英語のミュージカル作品でも彼らしい演技を貫きつつ、作品の世界にはまっていた。