可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『やがて海へと届く』

映画『やがて海へと届く』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本映画。
126分。
監督は、中川龍太郎
原作は、彩瀬まるの小説『やがて海へと届く』。
脚本は、中川龍太郎と梅原英司。
撮影は、大内泰。
照明は、神野宏賢。
録音は、西正義。
美術は、松永桂子。
装飾は、岩本智弘。
スタイリストは、篠塚奈美。
ヘアメイクは、新井はるか。
編集は、田巻源太。
音響効果は、柴崎憲治。
音楽は、小瀬村晶。

 

波の音と海鳥の鳴き声。ベンチに1人座っている人。プラットホーム。線路を水が浸している。列車は来ない。周囲には海が広がっていた。遠く、水面から突き出したいくつかの立木がマストに見える。立ち上がり、プラットホームから水浸しの線路へと降りる。水の中を線路伝いに歩いて行く。身体から幾匹かの魚が姿を現わして泳ぎだす。振り返ると、ベンチに菊の花が見える。
東京湾岸のホテルの高層階にあるダイニング・バー。店内は賑わっているにも拘わらず、フロア・マネージャーの湖谷真奈(岸井ゆきの)が夜景に向かってぼうっとしている。スタッフが声を掛ける。大丈夫ですか? 真奈の目には涙が溜まっていた。真奈は気を取り直すと、客席に向かう。山崎12年をロックで。バー・カウンターで店長の楢原(光石研)に注文を伝える。店内には楢原の選曲したジャズが流れている。楢原さん、どうやって選んでいるんですか? 客席を見渡してさ、お客様の雰囲気に合うものをね。厨房に料理を取りに行った真奈が料理長の国木田(中崎敏)に告げる。甲殻類アレルギーのお客様、問題なかったですよ。パスタの皿を持って出ようとしたところへ、スタッフが真奈の知り合いを名乗る人が来ていると告げる。勤務を終え、ラウンジで真奈が待たせていた遠野敦(杉野遥亮)に会う。私だって仕事が立て込んでいるだよ。引っ越すから、すみれの荷物を処分しようと思ってさ。こういうときは素早いんだね。それで、今から行かない?
真奈は遠野とともに、かつて彼がすみれと暮らしていた部屋へやって来た。必要なものを持って行って。残りは実家に運ぶから。すみれの部屋は? すみれの部屋に入った真奈は、主のいない部屋でしばし佇む。ベッド脇の段ボールを開ける。そこに猫のポーチがあった。遠野が顔を出す。私物をこんな風にまじまじと見るのって変な感じ。形見分けってそういうもんでしょ。出発する前に一眠りしようと思うんだ。私も一休みしていい? 遠野に毛布を用意してもらい、真奈がすみれのベッドで横になる。
上成大学に入学した真奈は、新入生とサークル勧誘の学生でごった返すキャンパスを緊張した面持ちで通り抜けている。ふと足元に猫のポーチが落ちているのに気が付く。落とし主を捜して辺りを見回していると、テニス・サークルの学生から声をかけられる。テニス超楽しいよ。サークル入らないと彼氏できないよ。新歓コンパに来ない? ここに名前書いてくれない? 畳み込んで話しかけられる真奈が困っていると、1人の女子学生(浜辺美波)が私もいいですかと輪に入ってきた。学部は? 文学部です。名前は? すみれです。
居酒屋の座敷は学生でごった返している。新歓コンパに顔を出してみたものの、周囲に打ち解けることができない。ビールを飲み干すよう求められた真奈は何とかコップを空けることができたが、気分が悪くなりトイレに駆込んだ。吐けないの? トイレで真奈が苦しんでいるのを見付けたすみれは、真奈の髪を自分の青いシュシュでまとめると、真奈が嘔吐するのを介助した。2人が席に戻ると、男子学生の3人組がすみれに声をかけてきた。どこの高校出身? 有名じゃないから。女子校出身でしょ? 共学です。彼氏いた? どうかな。続けて真奈にも話しかける。処女? 付き合って下さい! 突然、すみれが真奈の唇に自らの唇を重ねた。私たち高校時代から付き合ってるんです! すみれは、ここにいると馬鹿が移ると、真奈を連れて店を出た。すみれは突飛な行動を真奈に謝る。真奈は気にしていないと答え、自分も文学部だと告げる。大学ってもう少し多様性のある場所だと思ったんだけどな。美味しいもの食べに行こうよ。今の唐揚げ不味かったから。

 

湖谷真奈(岸井ゆきの)は、旅先で津波に遭い消息不明のままの親友・卯木すみれ(浜辺美波)のことが頭から離れない。すみれの同棲相手だった遠野敦(杉野遥亮)は、引っ越しのため真奈を「形見分け」に招く。すみれの部屋には、2人が会った日の思い出の品が残されていた。2人はすみれの「遺品」をすみれの母・志都香(鶴田真由)の元に届ける。自分を持っていないと言い放って出て行った娘とは疎遠だったと言う志都香は、いなくなったことで元の母娘関係に戻れたような気がすると本音を吐露した。すみれの実家からの帰り、遠野は別の「普通の」女性と婚約したと真奈に告げ、すみれが肌身離さず持ち歩いていたヴィデオ・カメラを真奈に託した。

すみれは、真奈と初めて出会った日の夜、新歓コンパで軽薄な男子学生から逃れるためにすみれがレズビアンを「偽装」して真奈にキスする。その行為を真奈に謝りつつ、大学はもっと「多様性」のある場所だと思っていたと残念がる。すみれは母親に対して「自分を持っていない」と非難して家を出て、真奈の家に転がり込む。真奈から誰とでもうまく付き合っているように見えると言われたすみれは、相手にチューニングするのだと答える。真奈とすみれとの関係は、親友以上のものであったことが示唆される。とりわけ、すみれが真奈の服を借りる=着るのは一体化の願望の表れだろう(なお、すみれの母が真奈に娘の服を着せるのは、娘を理解していたからだろう。すみれは母に自分と同じ志向があるのを知悉しており、「自分を持っていない」と非難したものと考えられる)。すみれが真奈の家を出たのは、自らと真奈とが社会に(異性愛者として)チューニングするためであり、その事情をすみれと同棲することにした遠野も理解していたのだろう。だからこそ、遠野は婚約者を「普通の」女性と説明するのだ。
すみれは、ものごとの片面しか見ていないということを真奈に訴える。それは鑑賞者に対する、マジョリティの感覚でしかものごとを捉えていないとのメッセージでもある。冒頭から、真奈の後ろ姿を捉え、あるいはすみれ越しに真奈だけにピントを合わせることで、「視点」が真奈の側(真奈の主観)にあることを表現する。後半に登場する、すみれ側の「視点」は、すみれが「行方不明者」であるため、彼岸からの眼差しであり、ものごとのもう一方の面を表現したものである。
ダイニング・バーの店長・楢原は、(客に合わせた選曲が象徴する)「チューニング」の達人であった。だが相手(周囲)に合わせてばかりいる間に、自分が何を愛しているのか、そして、何を愛していたのかさえも見失ってしまう。彼はそこまで精神的に追い詰められていたのだ。その楢原が真奈に宛てた「ダイイング・メッセージ」は、相手の嗜好に合わせるのではなく、自分の嗜好を大切にしなさいというものであった。
部屋や窓の枠が重なる画面を多用し、フレーミング(切り取り)を強調するとともに、奥へ奥へ(水平から垂直へと変換すれば、深く深く)といった運動を生み出そうとしている。