可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 三輪洸旗個展『未来への響き』

展覧会『三輪洸旗「未来への響き」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY TAGA 2にて、2022年3月31日~4月25日。

峰をモティーフとした作品を中心に、22点の彫刻と絵画とで構成される、三輪洸旗の個展。

「山ひかり満ちて連なる」シリーズ(300mm×300mm)の3点は、いずれも白い画面に緑、蒼、赤、黄など色取り取りの「三角形」を3行×3列で9個描いた作品。それぞれの「三角形」には谷筋ないし尾根のような陰翳が施され、それが峰であることが分かる。峰とは、「地上から見上げたときに、その周囲から尖鋭的に抜きんでて見える山岳の一部分」(齋藤潮『名山へのまなざし』講談社講談社現代新書〕/2006年/p.98)である。

 山岳の頂部を表現する日本語にミネという言葉がある。地形学的には、「頂上を含む山の最上部分、つまり周囲よりもはっきりと突出した山頂部分」が、「その範囲をあまり限定しないで峰と呼」ばれている。さらに、「峰は形態によって、先が鋭く尖った『尖峰』、針のように細く突き出た『針峰』、丸みをおびた『鈍頂峰』、『円頂峰』、上の平らな『平頂峰』」と呼ばれ区別されている。
 ミネとは、山岳の頂点1点ではなく、それを含んではっきりとその存在を特徴付ける山岳の一部である。(齋藤潮『名山へのまなざし』講談社講談社現代新書〕/2006年/p.97-98)

「山ひかり満ちて連なる」シリーズの「三角形」すなわち峰は、他の絵画にも登場する。クリムゾンの画面の左上に陰翳のある「三角形」(四角錐にも見える)を1つだけ描いた《誕生Ⅱ》(530mm×455mm)、左上に青い「三角形」を描いた白木の板と、右下に木工パテで整形した厚みのある円錐を押しつぶしたような「三角形」を貼り付けた白木の板とを左右に並べた《輝きと月の雫》、白木の左上に水色とクリーム色とで"」"を描き、右下に木工パテの「三角形」を貼り付けた《境界Ⅱ》(170mm×140mm)である。そして、立体作品「始まりの山」シリーズ3点では、直方体や円柱などを3つ積み重ねた上に、円錐と四角錐の中間のような形態を持つ尖峰が載せられいる。鉢植え植物のような立体作品《葉のはへ#14》(205mm×125mm×115mm)では、「鉢」の脇にミニチュアのベンチが斜めに立て掛けられ、その中に、恰も北斎が富士を様々な幾何学的な形でフレーミングしたように、「三角形」が忍ばせてある。

峰の「ミ」は神のものに付ける接頭語であり、「ネ」は大地にくいいる山の意であり、原義は神聖な山であった。「ネの中でもある特定条件を備えたものが神の降臨するミネと呼ばれたということなのかもしれない」(齋藤潮『名山へのまなざし』講談社講談社現代新書〕/2006年/p.98-100)。「山ひかり満ちて連なる」シリーズの「山ひかり満ちて」、あるいは《輝きと月の雫》の「輝き」という言葉から、作家の「三角形」すなわち峰は、光である神を表わすものと解される。

 R.アルンハイムは、ゲシュタルト心理学を下敷きにして、原始美術の抽象性にかかわる知覚システムについて考察している。
 彼によれば、「知覚はもっと規則的で、シンメトリーで、安定した形態を創り出そうとする傾向がある」という。不安に満ちた混沌たる環境世界に向き合う中で、わたしたちの知覚システムは、まず明快な形態をそこから読みだそうとする。それが、混沌を少しでも解消し、精神的安定を得ようとする人間の宿命的な営みなのである。となれば、自然界において明快な形態は、わたしたちの知覚に真っ先に、強い印象をあたえることになる。あるいは、知覚に真っ先に訴えるような形態は、わたしたちにとて明快なのだということになるだろう。
 このような解釈は、たとえば、大神神社一の鳥居における透視形態のありようをたしかに思い起こさせる。一の鳥居に立つと、それ以外の他の方向から眺める場合と異なり、三輪山は頂部の一点に収斂するような破綻の少ない笠形を呈するのだった。三輪山は、特に大神神社の一の鳥居のあたりにおいて、いっそう明快な形態を呈するのであり、強い印象を与えるのである。
 ところで、「知覚はもっとも規則的で、シンメトリーで、安定した形態を創り出そうとする傾向がある」としても、これは、比叡山日枝神社の一の鳥居)や伊吹山(伊夫岐神社一の鳥居)の透視形態にはあてはまらない。ただ、これについては、ゲシュタルト心理学の別の知見が参考になる。わたしたちの眼は、突出したものにより多くの注意を向けるというのである。つまり、図形の先端部は屈曲部と同様に注視されやすい。ここに、三輪山も、単に明瞭な形態を呈するというだけでなく、頂部が先鋭化して見えるということに関心が向けられたことの説明もつく。(略)
 (略)
 白川静氏は次のように言う。「古代においては『見る』という行為がすでにただならぬ意味をもつものであり、それは対者との内的交渉をもつことを意味した。国見や山見が重大な政治的行為でありえたのはそのためである」。ここで「内的交渉とは」とは、「対象のもつ生命力と同化し、これを自己に吸収する」こと、すなわち「魂振り」だと言う。原始的な心性においては、自然現象は霊威によってなるものであり、自然物を見ることとは、相手に霊威を認めて、その霊力をわが身に取り込み、自らの生命力を高めることであった。
 それなら、尖鋭的なものの尖端、あるいは自然界には稀な抽象図形のような明快な形態にわたしたちがおのずと注目してしまう、おのずと目が向く、目を引かれるという状況は、原始的な心性においてはどのような意味をもつのだろうか。
 この場合、本来こちら側で制御するはずの見るという行為を制御できないということだから、対象の側の強い力をそこに認めることになる。ここに、目が引きつけられるという状況には、相手側の強力な霊威、つまり神概念を介在させる理由が生まれる。わたしたちが自発的に見るのではなく、神の威力によって見させられるのだ。(齋藤潮『名山へのまなざし』講談社講談社現代新書〕/2006年/p.102-105)

直方体や円柱などを3つ重ねた上に円錐状の「尖峰」を載せた立体作品「始まりの山」シリーズ3点は、神の依代であろう。とりわけ《始まりの山(青)》は直方体の重ねる角度(位置)を微妙にずらすことで、積木のように一時的に積み上げた仮設性が強調されている。すると、「山ひかり満ちて連なる」シリーズ・《誕生Ⅱ》・《輝きと月の雫》など絵画に描かれる「三角形」=「峰」も、それ自体が神なのではなく、そこに光=神が憑依したものと考えるべきであろう。

 ここで改めて三輪山の信仰遺跡に目を向けてみよう。そこでは山を仰ぐことのできる場所に祭祀遺跡が点在している。固定したスポットから山を拝むのではなく、山が見える場所にそのつど祭場を設け、山からカミを呼び寄せていたことがわかる。祭祀の場所はカミの依代となる磐座や樹木のある地が選ばれた。祭りの場に集まった人々は、シャーマンを通じて神の声を聞いた。
 古墳時代以前の社会においては、カミは決して遠くから拝礼する対象ではなかった。互いの声が届く範囲にカミを勧請して人がその託宣を聞き、また神に語りかけるスタイルこそが神祭りの古態であり、弥生時代から古墳時代にかけての基本的な祭祀形態だったのである。(佐藤弘夫『日本人と神』講談社講談社現代新書〕/2021年/p.27-28)

時代が降り、所在不明のカミは、人格化の進展と為政者の都合(祭祀による国家鎮護の役割の遂行)とにより神社の造営などを通じて定住化させられたのであった(佐藤弘夫『日本人と神』講談社講談社現代新書〕/2021年/p.77-79参照)。

立体作品「始まりの山」シリーズ3点が設置された床の背後にある壁面には、同じサイズ(455mm×380mm)の絵画《神馬》・《太子と大師》・《雷神》が三幅対のように掛けられている。《神馬》は赤紫の画面に白馬の耳や顔、首などが微かに浮かぶ。《雷神》はタイトルによって、赤紫の画面に赤・緑・黄などで表わされる何かが、琳派の風神・雷神のイメージを踏まえたものであることに辛うじて気付く。《太子と大師》に至っては、暗紫色の闇に現れた光のようなものが聖徳太子弘法大師であるとは判別できない。「始まりの山」シリーズに併置されていることを踏まえれば、神の依代としての《神馬》(因みに、会場には《風と白馬》と題された絵画も出展されていることから、白馬には風神のイメージが重ねられていることが分かる)、稲妻という光をもたらす《雷神》、仏教を伝える《太子と大師》と、いずれも神仏のメディアであると解すべきである。峰が神なのではなく、そこに神が憑依するように、鑑賞者が画中に神性・仏性を見出すことを促すために、三幅対は敢て曖昧なイメージが表わされているのだ。
絵画《輝きと月の雫》の掛かる壁面には小さな台が設えられて、ミニチュアの梯子とベンチと白い彫像とが並べられている。梯子が神の降りる動作を、ベンチが神の座る動作を、彫像が神を写す動作をそれぞれ表わす。この作品は《鏡の間》と題されており、神鏡が重ねられていることは疑いない。

 これまで述べてきたように、近代社会の特色は、この世界から人間以外の神・仏・死者などの超越的存在=カミを、他者として放逐してしまったところに求めることができる。
 中世でも近世でも、人と死者は親密な関係をたもっていた。神仏もはるかに身近な存在だった。近現代人は「世界」といった時に、あるいは「社会」といった時に、その構成員として人間しか頭に思い浮かばない。しかし、中世や近世の人々の場合は違った。そこでは人間だけではなく、神・仏・死者・先祖など、不可視のカミをも含めた形でこの世界が成り立っていると考えられていた。
 動物や植物も同じ仲間だった。カミはときには人間以上に重要な役割を果たす、欠くべからざる構成員だった。人がカミの声を聞きその視線を感じ取っていた時代の方が、人類の歴史のなかでは圧倒的に長い期間を占めていたのである。
 ヨーロッパ世界から始まる近代かの波動は、公共圏から神や仏や死者を追放するとともに、特権的存在としての人間をクローズアップしようとする動きだった。これは人権の観念を人々に植え付け、人格の尊厳の理念を共有する上できわめて重要な変革だった。近代に確立する人間中心主義としてのヒューマニズムが、社会の水平化と生活者の地位向上に果たした偉大な役割は疑問の余地がない。
 しかし、他方でこの変動は深刻な問題を引き起こすことになった。カミが公共空間を生み出す機能を停止したことに伴う人間間、集団間の緩衝材の消失であり、死後世界との断絶だった。その結果、絶海の無人島の領有をめぐって国民間の敵愾心が高揚するような異様な時代が到来した。かつてのように親族が重篤者を取り囲んで見守り、その穏やかな臨終と死後の安息を祈る光景は姿を消し、生命維持装置につながれた患者が、本人の意思にかかわりなく生かされ続けるような姿が常態化することになったのである。(佐藤弘夫『日本人と神』講談社講談社現代新書〕/2021年/p.248-250)

《景観Ⅱ》(140mm×218mm×126mm)は、丸木を板付き蒲鉾のように半円状に切断し、その外周部分を青緑で塗った、笠形の山のような作品で、その脇にミニチュアのベンチが添えられている。この「山」をトトロに、ベンチはメイに見立てても良い。作家は、カミの声――それは過去から未来への響きとも言い換えられる――を聞くよう、促しているのである。