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芸術鑑賞の備忘録

映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』

映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のドイツ映画。
94分.
監督は、ハリナ・ディルシュカ(Halina Dyrschka)。
撮影は、アリシア・パウ(Luana Knipfer)とルアーナ・ニッファー(Luana Knipfer)    。
美術は、スザンヌ・ディアリンジャー(Susanne Dieringer)。
編集は、アンチェ・ラス(Antje Lass)、マリオ・オリアス(Mario Orías)、ハリナ・ディルシュカ(Halina Dyrschka)。
音楽は、ダミアン・ショル(Damian Scholl)とダシフ・ガマージ(Dasith Gamage)。
原題は、"Jenseits des Sichtbaren - Hilma af Klint"。

抽象絵画の先駆者ヒルマ・アフ・クリント(Hilma af Klint)を紹介するドキュメンタリー映画

ヒルマは、1862年、代々海軍軍人を輩出し、とりわけ海図の制作で知られた貴族の家に生まれた。学校での教育とは別に、父ヴィクトルから数学・天文学・航海術などの手解きを受けたという。当時、貴族の未婚女性が収入を得るため、美術アカデミーで教育を受けることが一般化していたため、ヒルマも美術アカデミーで肖像画や風景画の教育を受けることになった。彼女は優れた画技によって肖像画家・風景画家・イラストレーターなどとして成功した。そのヒルマが、不可視の波長で満たされた世界をあるがままに描くべく、突如として新たな画法を生み出す。わずか42日間で描き上げた10枚の抽象絵画は、ワシリー・カンディンスキーの「最初の」抽象絵画に先行するものであった。

ヒルマ・アフ・クリントは、甥のエリックに1,500点の絵画と厖大な数の手帳を託して亡くなった。彼女の遺志により20年間後悔しないとされた作品群が、まとまって伝えられることになった。ヒルマの作品(絵画を制作するヒルマを演じるのはEmilia Schlosser)、彼女の備忘録の言葉(Petra van de Voortによる朗読)に、美術評論家(Julia Voss)、美術家(Josiah McElheny)、美術史家(Anna Maria Bernitz)、学芸員(Iris Müller-Westermann)、ギャラリスト(Ceri Hand)、コレクター(Valeria Napoleone)、ヒルマ・アフ・クリントの子孫(Johan Af Klint)や姻族(Ulla af Klint)、科学史家(Ernst Peter Fischer)、ヒルマ・アフ・クリントを主人公とした歴史小説を執筆した小説家(Anna Laestadius Larsson)などの証言を組み合わせ、ヒルマ・アフ・クリントの生涯を辿る。そして、彼女が抽象絵画の先駆者であることを呈示し、美術史において正当に位置づけられるべきであると訴える。

科学的な素養、絵画制作の高度な技術、そして彼女の持つ直観が、彼女が抽象絵画を描くことを可能にしたことが示される。各シリーズが連続的に画面に映し出され、テーマごとにモティーフの抽象性が次第に高められていく過程が示される。
エーデルワイス・ソサイエティの交霊会に参加していたことや、ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner)をメンターにしようとしていたことが紹介される。もっとも、科学史家のErnst Peter Fischerの解説によって、ヒルマの制作は、神秘思想よりも科学に対する芸術的アプローチの実践であると訴えたいようであった。
ヒルマ・アフ・クリントの絵画と他の著名な画家の抽象絵画とが並列することで、彼女の先見性が示される。
これまで同様、バチカン的存在のMoMAが、その収蔵作品で美術史を描くのであれば、ヒルマ・アフ・クリントが抽象画家の先達としてその名を刻まれる余地はない。そもそも美術史において、(絶対数が少ないことを勘案しても)女性の芸術家は黙殺されてきたに等しい。
植物や静物、風景などとヒルマ・アフ・クリントの絵画とが遷移するように接続される。
かつて科学者も含め多くの人々が降霊術に関心を寄せていた時代があった。映画『マジック・イン・ムーンライト(Magic in the Moonlight)』(2014)、映画『プラネタリウム(Planetarium)』(2016)、映画『ブライズ・スピリット 夫をシェアしたくはありません!(Blithe Spirit)』(2020)など近年でも降霊術(降霊会)を描く作品は多い。ひょっとしたら降霊術をインチキであると見抜ける者が科学を信仰する愚を犯すことこそ揶揄されているのかもしれない。芸術が科学のカヴァーできない領域に関心を持つのは至極当然のことであろう。その意味でも、権瓶千尋森岡美樹とによる展覧会「声になるまえ」(トーキョーアーツアンドスペース本郷、2020年)において、表題作の映像作品でヒルマ・アフ・クリントを取り上げていたのが印象深い。