展覧会『開館40周年記念展 扉は開いているか―美術館とコレクション 1982-2022』を鑑賞しての備忘録
埼玉県立近代美術館にて、2022年2月5日~5月15日。
埼玉県立近代美術館40年の歩みを、主要なコレクション、建築、代表的な展覧会を軸に振り返る企画。「近代美術館の原点―コレクションの始まり」、「建築と空間」、「美術館の織糸」、「同時代の作家とともに」の4部で構成。
【第1章:近代美術館の原点―コレクションの始まり】
初期のコレクション12点ほどを展示する他、田中一光の手懸けた開館記念展のポスターなど開館に纏わる資料を紹介。
1957年に開館した埼玉県立美術館はコレクションの機能を持たなかった、1976年に新美術館建設計画が始動して、コレクションの形成が始まる。アリスティド・マイヨールの彫刻《イル・ド・フランス》、クロード・モネの絵画《ジヴェルニーの積みわら、夕日》などが購入された他、埼玉県立博物館(現在の埼玉県立歴史と民俗の博物館)所蔵の郷土ゆかりの作家(越谷市出身の斎藤豊作、加須市出身の斎藤与里、熊谷市出身の森田恒友など)の作品を引き受けた。初代館長には、国立国際美術館初代館長だった本間正義を迎える。実際に座ることのできる椅子の名品を館内に設置したのは本間のアイデアとのこと。
高田誠《浦和風景》と林倭衛《別所沼風景》とは浦和の景観を描いた作品。
【第2章:建築と空間】
黒川紀章が設計した建物について、習作(スケッチ・ドローイング)、設計図、模型、パース、記録写真(飯沼珠実による現状を撮影した写真も)などで紹介する。美術館脇に設置された橋本真之の彫刻《果実の中の木洩れ陽》なども併せて展示される。
格子に囲われたエントランス・ポーチは中でも外でもある「中間領域」であり、茶室の露地がイメージされている。自然(北浦和公園)と美術館との共生がその狙いである。作品展示のために普段は閉ざされている2階展示室Bのシャッターが開放されて、波打つ窓から美術館の格子越しに公園の植栽や池、そこで憩う人々の姿などを眺めることができる。
橋本真之《果実の中の木洩れ陽》は、レストラン前の植栽の中に設置され、以来、3度作品の加工・拡張が行なわれてきたという。黒川紀章のメタボリズム(実作の「中銀カプセルタワービル」の住宅カプセルが北浦和公園に展示されている。会場内では中川陽介による映像作品を上映)との親和性があることから特に紹介されているのだろう。
【第3章:美術館の織糸】
もの派と70年代を中心に開催した3つの展覧会「1970年 物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)・「日本の70年代 1968-1982」(2012)・「DECODE/出来事と記録 ポスト工業化社会の美術」(2019)を紹介する「時代の再検証を試みる」、瑛九の作品・関連資料収集と調査を紹介する「作家の足跡を辿る」、小村雪岱の作品・関連資料収集と調査を紹介する「複製美術へのアプローチ」の3つのセクションで構成。
「時代の再検証を試みる」では、関根伸夫の《位相―大地》をめぐる資料を中心に、吉田克朗《650ワットと60ワット》、高松次郎《布の弛み》、柏原えつとむ《これは本である》などの作品が展示される。「作家の足跡を辿る」は、地道な調査活動の積み重ねにより集まった、瑛九の版画やフォトデッサンを始めとする作品や関連資料が、周辺作家の作品とともに紹介され、さながら瑛九展の趣。「複製美術へのアプローチ」は、開館前からコレクションの対象としている小村雪岱の絵画・版画、さらには書籍や舞台美術の仕事などを紹介する。かつて美術館で取り上げられることのなかった「複製芸術家」が、今日では美術館での展覧会開催が当然となったという変化を伝える。
【第4章:同時代の作家とともに】
田中米吉《ドッキング(表面)No.86-1985》や宮島達男《Number of Time in Coin-Locker》など美術館に設置されている作品とともに、川俣正、佐藤時啓、北野謙らが美術館で行なったプロジェクト、埼玉県ゆかりのアーティストを取り上げる展覧会シリーズ「ニュー・ヴィジョン・サイタマ」、新進作家に展示の機会を提供する「アーティスト・プロジェクト#2.0」など、作家との共同作業を紹介する。
本展では、地道な調査活動と展示活動を行う中でコレクションが充実し、新進作家に活躍の場を与えてきたことが紹介される。「扉は開いているか」と問いかける展覧会タイトルは、黒川の設計した建物が周囲との「中間領域」を生んでいることや、かつて美術館が取扱わなかった複製芸術家をコレクションの柱の1つにしていること、さらには新進の美術作家に展示や制作の機会を与えていることなどを示すことで、埼玉県立近代美術館が開かれているとの応答が含意されていると思われる。
ところで、会場には、初代館長・本間正義と建物を設計した黒川紀章との対談記事を掲載した『新建築』第58巻第1号(1983)が展示されている。黒川が地元縁の画家と彼らの洋行とを結び付けた開館記念展を評価しつつ、縁の画家がいない地域の美術館は難しいと、話題は公立美術館と住民との関係に移る。とりわけ現代美術を扱う美術館の場合の困難が指摘されていた。
翻って、本展は、住民にとって開かれた企画となっているだろうか。開館40周年を記念して行なわれる展覧会であり、美術館とそのコレクションを紹介する企画であることは分かるだろう。しかし、小村雪岱はともかく、埼玉縁の作家を知る者がどれだけいるだろう。瑛九、また然りである。そのような認識が企画者にもあるのか、「見どころ」に掲げられた3項目には黒川紀章以外に作家の名前は1人も挙げられていない。無料原則(社会教育法の精神に基く博物館は、図書館同様、入館料は徴収できないのが建前。博物館法旧23条。なお、2022年4月に博物館の観光資源化推進で同法現26条に)はさておくとしても、木戸銭1000円で「扉は開いている」と言えるかは怪しい(否、だからこそ「扉は開いているか」と自問しているのかもしれないが)。
無論、著名な作家や作品を扱えば良いと言いたいのではない。例えば、第1章ではコレクションから埼玉県ゆかりの作家たちの作品が紹介されているが、ほぼ出身地(あるいはアトリエ所在地)という属性が記号のように付されているのみである。それこそ作品と鑑賞者との間に「中間領域」が存在しない。埼玉出身ならではの作風が読み取れるかどうかは別として(地域性がないのが特性なのかもしれないが)、作品の魅力を伝える解説が一切ないのだ。地道な研究に打ち込んでいる、その熱を鑑賞者に伝える工夫があっていい。どうしても魅力が乏しい作品なら、いっそのこと、つまらない理由を論うとか、こう描いて欲しかったと改善点を指摘するのも一興だろう。作品と鑑賞者をつなぐ方法は何かしらあるのではなかろうか。