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芸術鑑賞の備忘録

映画『死刑にいたる病』

映画『死刑にいたる病』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本映画。
128分。
監督は、白石和彌
原作は、櫛木理宇の小説『死刑にいたる病』。
脚本は、高田亮
撮影は、池田直矢。
照明は、舘野秀樹。
録音は、浦田和治。
美術は、今村力と新田隆之。
装飾は、多田明日香。
衣装は、高橋さやか。
ヘアメイクは、有路涼子。
音響効果は、柴崎憲治。
撮影効果は、実原康之。
編集は、加藤ひとみ。
音楽は、大間々昂

 

東京の大学に通う筧井雅也(岡田健史)が、祖母の葬儀に参列するため、北関東にある実家に戻っていた。精進落としで母・衿子(中山美穂)が会葬者にビールを注いで回っている。1人離れた場所にいる息子のもとに衿子が向かい、私は決められないと、息子に飲み物を追加注文した方がいいか尋ねる。親戚にこっちに来て飲みなさいと呼ばれ、座敷に顔を出した雅也を、父・和夫(鈴木卓爾)が遠くから射るような目で見つめていた。帰宅後、父が再来週まで実家に留まるか息子に尋ねる。祖母の校長時代の関係者が集まるお別れの会が行なわれるらしい。まだ決めてないけど、参加はしないから。衿子は参加してもいいと思うけどと言葉を濁す。風呂から上がった雅也は食卓に置かれた郵便物の中に、自分宛の差出人の記載のない封書が届いているのに気付く。すぐに開封すると、便箋には几帳面な文字が並んでいた。筧井雅也様。初めて手紙を出します。僕のことを覚えていますか。手紙を読み終えた雅也はすぐに自転車に跨がり、商店街へ向かう。ベーカリー・ロシェル。締め切られた店の前にはガードフェンスが張られていた。手紙の差出人は榛村大和(阿部サダヲ)。雅也が中学生の時、塾に通う前に必ず立ち寄っていた思い出のパン屋の店主だった。そして、今、榛村は、若い男女24人を殺害した連続殺人鬼として世間を賑わせ、9件の公判で死刑判決を受け、東京拘置所に収容されていた。榛村に拉致された女性が逃げ出したことで犯行が発覚したのだ。公判で榛村は言い放った。僕の慢心です。以前だったら睡眠薬を飲ませるだけでなく拘束していたのに、そうしなかったから。
榛村は、山間部に家を構えていた。毎朝目覚めるとクラシック音楽のレコードをかけて、紅茶を淹れる。庭に出て山林を眺めながら紅茶を飲むと、決まった時間にバンに乗って店へ向かい、パンを焼いて店を開ける。にこやかに接客する榛村の店は、客が途切れることがなかった。ある日、榛村は、高校の制服を着た小松美咲(神岡実希)の席にコーヒーを運ぶ際、注文にないマフィンも一緒にトレーに載せた。勉強頑張ってるね。これはサーヴィス。何を勉強してるの? 英語です。苦手なんです。分かるよ、難しいもんね。夜、自宅に到着した榛村はバンから袋を下ろす。中には美咲が入っていた。榛村は燻製小屋に担ぎ込むと、美咲の身体を十字に拘束した。彼女の指を万力で挟むと、榛村はペンチを手に取り…。
大教室ではキルケゴールの講義が行なわれている。ちらほら出席している学生たちは、雑談するか、スマートフォンをいじるか。雅也は榛村からの手紙のことが頭から離れない。榛村は雅也に面会に着て欲しいと訴えていた。帰りにキャンパス内で擦れ違った女子学生から声をかけられる。筧井君、同じ大学だったんだ! 彼女は中学校の同級生・加納灯里(宮崎優)だった。…何か変ったね。中学の時、話しかけてくれたの、筧井君だけだったよ。
雅也が小菅駅に降り立ち、東京拘置所に向かう。面会申請書を提出した窓口で、時計など金属の所持品をロッカーに預けること、番号が呼ばれたら指定された場所に向かうよう指示される。ベンチで待っていた雅也の番号が呼ばれ立ち上がると、長髪の男性にぶつかられる。雅也は指定された部屋に向かい、席に着く。刑務官に伴われた榛村が姿を現わした。椅子に腰を下ろした榛村がガラス越しに雅也に声をかける。久しぶりだね、まあくん。

 

祖母の葬儀に参列するため帰省した筧井雅也(岡田健史)だが、三流大学に通う息子に父・和夫(鈴木卓爾)は冷淡で、父や祖母から家政婦のように扱われてきた母・衿子(中山美穂)はおろおろするばかり。雅也のもとに榛村大和(阿部サダヲ)から封書が届く。暴力を振るう父から逃れようと全寮制の名門私立高校を目指して塾通いしていた頃、唯一憩いの場だったベーカリー・ロシェルの店主で、今は世間を震撼させた連続殺人事件の死刑囚となっていた。その榛村が雅也の面会を求めてきたのだ。どうせ「Fラン」だからとやる気のない学生ばかりのキャンパスで1人スカッシュに興じるくらいしか楽しみのない雅也の足は自ずと東京拘置所に向かった。姿を現わした榛村はかつてのような親しみを込めて雅也に接し、死刑判決は受け容れるが、起訴された事件のうち根津かおる(佐藤玲)の事件だけは自分の犯行ではないと訴えた。そして司直が主張を受け容れないために今も殺人鬼が野放しになっていると、雅也に調査を依頼する。榛村の弁護人を務める佐村弁護士(赤ペン瀧川)の事務所で資料に当たった雅也は、高校生ばかりの被害者の中で根津かおるだけが26歳の会社員であり、遺体の状況や犯行間隔も他の事件と異なることに気付く。

雅也は、父・和夫の暴力を逃れるために、全寮制の名門私立高校へ進学した。だが目的を達成したためか学業に身が入らず、いわゆる「Fラン」の大学にしか受からなかった。祖母が校長を務めた教育一家であり、世間体を気にする父親は、腑甲斐ない息子に冷淡だ。祖母や父から家政婦のように扱われてきた母・衿子は、祖母が亡くなった今も、何かにつけ指示を仰がなければ物事を決めることができない。
榛村は、制服をきちんと身につける真面目な性格で、なおかつ虐待が窺われる17~18歳の男女に目を付け、信頼関係を築いては、拉致して残虐な拷問を加え、殺害することを繰り返していた。榛村もまた虐待を受けていた。榛村姓は児童福祉活動に従事していた養母のものだったのである。「死刑にいたる病」とは、拷問の上殺害する嗜虐性が、虐待を受けることで生じること、すなわち伝染する可能性を表わしている。
面会室で、ガラスを隔てているはずの榛村が雅也に触れ、雅也と榛村とがガラスの反射によって重なる。そこに榛村の嗜虐性の雅也への感染が暗示される。榛村は、雅也の母・衿子を介して、自らと雅也との間に父子関係・遺伝を偽装させもするだろう。だが、その策略が破綻するときに備え、榛村は別の手を周到に用意している。それは「フランクファート型事例」と呼ばれる思考実験に似た形をとる。

 さて、ハリー・フランクファートは、PAP〔引用者註:Principle of Alternative Possibility(他行為可能性原理)。ひとが自身の行為に道徳的責任を負うのは、実際になしたのとは別の行為をなすことができたときに限るとするもの。〕に対する強力な反例として有名な思考実験――フランクファート型事例と呼ばれる――を考案した。それは次のようなものである。
 ジョーンズの事例:ジョーンズが、同僚のスミスを殺害するか否かを思案している。熟慮の結果、ジョーンズはスミスの殺害を決断し、殺害に成功した。だが実は、ジョーンズの知らないところで、ブラック――邪悪な脳神経科学者としよう――がジョーンズの行為を見張っていた。ブラックもスミスを亡き者にしたいと思っていたが、不必要に自分の手を汚したくはない。かくして次のような計画を考えた。ブラックはジョーンズの脳内に秘密裏にチップを埋め込んだ。そのチップは、もしジョーンズがブラックの思惑通りにスミスの殺害を決断するならば、まったく作動しない。しかし仮にジョーンズが殺害を控えることを決断しようとしたならば、直ちにチップが脳の神経系に作用し、彼は結局スミスの殺害を決断することとなる。さて、実際にはジョーンズは自分の意志で殺害を決断したため、ブラックが仕込んだチップは作動しなかった。
この事例において、一見したところジョーンズは他行為可能性をもたないように思われる。仮にジョーンズが殺害を躊躇したとしても、そのときにはブラックが介入していただろう。その意味でジョーンズは、いずれにしても殺害を避けることはできなかったのである。だがそれでも、ジョーンズはその殺害に対して道徳的責任を負うように思われる。なぜなら、実際のシナリオにおいてブラックが仕込んだ仕掛けは作動しなかった。ジョーンズは、ブラックの助けを借りることなく自分の意志で殺害を決行したからである。しかし、ジョーンズに他行為可能性がないこと、および、ジョーンズに道徳的責任があることの両方を認めるならば、ジョーンズの事例はまさにPAPへの反例となってしまう。PAPを擁護したい論者は何らかの仕方でフランクファート型事例に応答することを迫られるのである。(高崎将平「自由の価値の多面性 新しい自由論アプローチの素描」『現代思想』第49巻第9号/2021年8月/p.146-147)

本作は最終的に、ジョーンズを雅也、ブラックを榛村、「チップ」を灯里とする、「フランクファート型事例」を描き出しているのかもしれない。