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芸術鑑賞の備忘録

映画『帰らない日曜日』

映画『帰らない日曜日』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のイギリス映画。
104分。
監督は、エバ・ユッソン(Eva Husson)。
原作は、グレアム・スウィフト(Graham Swift)の小説『マザリング・サンデー(Mothering Sunday)』。
脚本は、アリス・バーチ(Alice Birch)。
撮影は、ジェイミー・D・ラムジー(Jamie Ramsay)。
美術は、ヘレン・スコット(Helen Scott)。
衣装は、サンディ・パウエル(Sandy Powell)。
編集は、エミリー・オルシニ(Emilie Orsini)。
音楽は、モーガン・キビー(Morgan Kibby)。
原題は、"Mothering Sunday"。

 

今ではもう昔のことです。少年たちが戦地に散る前…。
我が家には馬がいた。競走馬、サラブレッドで、ニューベリー近傍の厩舎にいた。勝ち取ったものなど何もない。道楽だよ。イングランド南部の競馬場での名声と栄光に対する我が家の希望だった。でも「ファンダンゴ」という名前だけで、高額の預託料で訓練された名前だけで、見る機会さえ無かった。ただ、6月のある陽気な朝だけは違った。父と母が頭と胴を、ディックとフレディと僕とがそれぞれ脚を、それぞれ所有することになった。4番目の脚は? ああ、4番目の脚か。それが常に問題だったんだよ、ジェーン。
1924年四旬節の第3日曜日。目覚ましが鳴り、ジェーン・フェアチャイルド(Odessa Young)が自室で目を覚ます。身支度を整えたジェーンは、皆の寝静まる屋敷の暗い階段を静かに降る。まだ薄暗い洗い場でジェーンが力をこめて鍋を磨き上げる。
素晴らしい天気だね、ジェーン。朝食のために居間に姿を現わしたゴッドフリー・ニヴン(Colin Firth)が声をかける。はい、旦那様。本当に素晴らしい日だ。君はそう思わないかね? 先に食卓に着いていたクラリー(Olivia Colman)の顔は暗く、夫に返答しない。こうなると分かっていれば、籠にありったけのものを詰めて、昔よくやったようにね、川のほとりに繰り出したろうにね。ピクニックだよ。そうは思わないかな? 3月よ、ゴッドフリー。ああ、その通りだね。私たちは午餐のために車でヘンリーに向かうことになっている。ジェーン、君とエミリーとは一日中好きに過ごしなさい。ありがとうございます、旦那様。ホブデイ家とシェリンガム家と私たちニヴン家が水辺で集うことになっている。素敵ですね、旦那様。ジェーン、君はどうするつもりかな? ジェーンが言い淀んでいるところに電話が鳴る。ジェーンが居間を出て受話器を取る。おはようございます。ビーチウッド邸です。ジェーン? 慣れ親しんだ男の声がする。あなたなの? ジェーンは周囲に聞かれていることに配慮して敢て奥様と返答する。居間に戻ったジェーンにゴッドフリーが尋ねる。誰だったかね? 間違い電話でした、旦那様。そうかね、日曜日だというのにね。ゴッドフリーはジェーンにコインを手渡す。素敵な1日を。ありがとうございます。ミリーは停車場まで自転車に乗っていくだろうね。はい、そして母の下へ。その通りだ。それで君は? 私もすぐに出かけるつもりです。別の自転車で。おっしゃるとおりの素敵な日です。素敵な日だね、その通り。それが私がしたいことです。自分の思うがままに。本を持って行き給え、ジェーン、好きなものを。ご親切に、旦那様。想像してご覧、この一帯全て思うがままだ。ありがとうございます、旦那様。
ジェーンが同じくメイドをしているミリー(Patsy Ferran)に話しかける。自由に行けるって思って。母親のところに? 自由って言葉じゃないのよ。今日は素晴らしい日でしょ、ミリー。ああ、あんたが元気なときってやだわ。一日中思うがままなの。あなたを出発させて、ちょっとだけ一緒にサイクリングできるわ。なんで? どこに行くの? ジェーンはミリーとともに自転車でビーチウッド邸を出発する。汽車が出るまであと20分しかないよ。本だけ持ってまる1日ってのはどう? 母の日に母無しでさ。牛肉やジャガイモを調理しちゃってるよね。この暑さで牛肉をローストする? あなたの世話を焼くでしょ。焼かないわ。焼くわよ。夫がいないってことで黙ってはないでしょうね。村で素敵な若者と結婚した素敵な少女の話なら腐るほどできるわ。そんなにたくさん? 血生臭い戦争が私の唯一のチャンスを駄目にしたんだけどね。夫がいないことの劇的な言い訳になるわね。言ってみたら? 私が彼について話すのを神はお赦しにならないわ。彼のことを話すかどうか知ってるわけ? 彼の名前をわざわざ持ち出すかどうか…。ちょっと止まってもいい? 2人は教会の前で一休みする。素敵な教会じゃない? みんなお互いに真実を話すと思う? 何? 誰? 誰が誰に真実を? 今日やらなきゃならない午餐で集まる人たち全員。ニヴン家、シェリンガム家、ホブデイ家。彼らはお互いに何を話すの? まあ、結婚式だと思うけど。あと何日だっけ? 11日。結婚式を挙げるのはいいことでしょ。まあね。細やかな喜びがあるっていいよ。あなたが言うとおり。細やかな喜びが役に立つわ。あなたは少なくとも誰かが結婚することになってるって母親に伝えられるよね。ミリーが思わず笑う。そうね、元気づけられるわ。私の母に会ったことがあるわけ? 時々あったことがあるような気がするの、ミリー。ひょっとしたら汽車で手に入れるかもしれないよね、夫を。知らないでしょ。とりとめも無く話す人。背が高くて、黒髪で、ハンサム。逞しい腕。逞しい腕についてどうやって分かるの? 待って、ジェーン! 自転車を漕ぎ出したジェーンに慌てて追いかけるミリー。急いで! 待ってよ!
停車場。汽車を待つ女性たち。四旬節の第3日曜日で、休暇をもらったメイドたちだろうか。ジェーンの眼には、彼女たちがメイドの衣装に身を包んでいる場面が想像できた。到着した汽車は、車掌の笛の合図で出発した。
ジェーンは自転車で平原を抜ける道を走る。ぽつんと立った大きな木が目印の裏門を通過し、正門からシェリンガム家のアプリィ邸に入る。朝、ポール(Josh O'Connor)から電話があり、11時に裏門からではなく表玄関に来るよう指示されていた。ピクニックで嫌な連中はいなくなる。僕一人だけだからと。ポールは玄関の扉の背後で待っていた。そんなことはこれまでに1度もなかった。

 

1924年四旬節の第3日曜日。メイドたちに暇が与えられる日。ニヴン家に仕えるミリー(Patsy Ferran)は母親に会いに実家に帰ることになっているが、孤児のジェーン・フェアチャイルド(Odessa Young)には行く当てがなかった。この日は、ニヴン家、シェリンガム家、ホブデイ家、3家の面々が集う午餐会が開かれることになっていた。シェリンガム家(Josh O'Connor)のポールと、ホブデイ家のエマ(Emma D'Arcy)との結婚を内々に祝おうとするものだった。ゴッドフリー・ニヴン(Colin Firth)は好天を褒めそやし気分を盛り上げようと努めるが、大戦で息子を2人とも失って以来塞ぎ込むクラリー(Olivia Colman)の気分は沈んだままだった。朝、ビーチウッド邸に1件の「間違い電話」が入る。ジェーンの受けた電話の相手は、ジェーンが逢い引きを重ねているポールで、両親が午餐会で家を空ける隙にアプリィ邸に来るようにとの誘いだった。ポールは法曹になるための勉強を口実に両親と行動をともにしなかったのだ。ジェーンを屋敷に招き入れたポールは、法律書よりも興味深いと、立たせたジェーンの身体を丁寧に調べ始める。2人で過ごす時間は瞬く間に過ぎていった。

作家となったジェーンが、1924年の"Mothering Sunday"(四旬節の第3日曜日)のポールとの逢い引きを思い出し描き出すという形で物語が進行する。
孤児であるジェーンは、生まれた時に全て奪われており、失うモノがない。それは武器になると、ジェーンはクラリーに諭される。ジェーンの裸体を映し出すのは、裸一貫の表現となっている。
ジェーンの身体のみならず、様々なものを、クローズアップや暈けをはじめ、様々な技法で美しく映し出している。
第一次世界大戦が大きな影を落としている。冒頭に「少年たちが戦争で死ぬ前に」との独白があり、続いて朝食を囲むクラリーの浮かない表情が現れる。ポールは戦死した兄たちの分の収入を得、彼らの持ち物に囲まれて生活し、戦死した友人と婚約していたエマと結婚することになる。
「帰らない日曜日」という邦題が素晴らしい。「マザリング・サンデー」という音ではほとんど何も伝わらない。「母の日」と直訳するのは間違いではないのだろうが意味合いが異なってしまう。記憶に深く刻まれた1日が二度ど戻っては来ないこと、そして、大切な人がその日に帰って来なかったことを、的確に伝えている。
サラブレッドの4番目の脚の「問題」は、結局、ジェーンがシェリンガム家に仕えていたメイドの娘であることを示すのか。それならば、ジェーンが書物に強い関心を持つ理由や、シェリンガム家の屋敷をじっくりと見て回る理由が得心される。
Robert Stevensonの"Kidnapped"もヒントになっているのか。
この映画で「宥和政策」の背景の一端に触れることができるかもしれない。