可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 保坂航子個展(2022)

展覧会『保坂航子展』を鑑賞しての備忘録
ギャルリー東京ユマニテbisにて、2022年5月30日~6月4日。

石(寒水石、蛇紋岩、大理石、御影石など)やブロンズの彫刻16点で構成される、保坂航子の個展。

展示室の奥の壁に掛けられているのはブロンズによる《生々流転 #2》(2022)(560mm×1030mm×30mm)。金管楽器を思わせる黄味を帯びた鏡面のような表面を持つ。右側はカルツォーネのような厚みを持ちつつ比較的平板な丘のようで、左側の5つほどの尾根とその間の谷へと連なっている。大動脈と上大静脈とを描いた心臓の模式図を左に倒したような形にも見える。《生々流転》のタイトルは横山大観の絵巻物を思わずにいられない。大観作品を踏まえて水の凝集と拡散とで水(生命)の循環を表わした作品と解釈すれば、血液を循環させる心臓の見立ても強ち見当外れではなかろう。足下には、白の中に灰色や黄色が差す寒水石で制作された《生々流転》(2017)(30mm×1030mm×560mm)が置かれている。寒水石で制作された《生々流転》をブロンズで鋳造したのが《生々流転 #2》であるらしい。ブロンズの作品は寒水石の「写す」ものであり、鏡面のように加工して「映す」ものでもある。床と壁面とに設置する展示手法は水の蒸発と降雨の循環を連想させる。2点目の制作で時を隔てて作品が帰還すること、すなわち「生々流転」の繰り返しが強調されることになった。また、《生々流転》(2017)が石を彫って制作される彫刻であり、《生々流転 #2》(2022)がそれを原型(塑像)とするブロンズ作品であるとの、マイナスの作業とプラスの作業との対照性に着目すれば、収縮と膨張とを繰り返す「サイクリック宇宙」の表現とも解し得る。ビッグバン以前の収縮する(時間がマイナスに進む)宇宙と、ビッグバン後の膨張する(時間がプラスに進む)宇宙に擬えられるのだ。

 2001年にスタインハートとトゥロックが提唱した「サイクリック宇宙」は、宇宙にはそもそも時間的な起点などはなく、収縮→衝突(ビッグバン)→膨張→収縮→……というサイクルを、何度も繰り返しているという奇抜なモデルです。
 もっとも宇宙には始まりも終わりもなく、循環が繰り返されているというアイデア自体は、その70年以上も前にあのアインシュタインも「振動宇宙モデル」として提案してはいました。彼らのモデルは、最新の超弦理論〔引用者註:素粒子を大きさゼロの点ではなく、長さを持つ弦ととらえ、その振動による動き具合で素粒子を表現し、9次元の空間と1次元の時間において考察する〕からブレーン〔引用者註:9+1次元時空のうち粒子やエネルギーが局所的に集中して膜のようになった3+1次元時空〕の衝突〔引用者註:「ビッグバン」を2枚のブレーンの衝突と考えた〕を予言して、それをサイクルに組み込んだところに現代的な説得力があったのです。
 このサイクルのなかで、やはり気になるのは「収縮」というプロセスでしょう。ビッグバンを知っている私たちは、宇宙の「膨張」という考え方には慣れましたが、宇宙が収縮するというのは、なかなかイメージしにくいものがあります。
 しかし、そもそもなぜ、宇宙は膨張しかしないとされているのでしょうか? なぜ、収縮してはいけないのでしょうか?
 じつは、宇宙の膨張を表わす方程式には、時間については正と負が存在し、それが膨張と収縮という2つの解に対応しています。そして、これらのどちらの解をとるべきかについては、方程式は何も語りません。ほかの方程式と同様に、時間の方向を定めてはいないのです。
 ただ、さまざまな観測結果を見ると、宇宙が収縮していると考えると矛盾する事実が多く存在するので、「現在の宇宙は収縮している」などという宇宙研究者はほとんどいません。
 しかし、それはあくまでも現在の宇宙についてです。ビッグバンの前の宇宙には、収縮が禁止されなければならない理由はありません。そしてサイクリック宇宙の順番では、ビッグバンの前が収縮です。そこで、ここからは想像をたくましくして、いま私たちがすむ宇宙がこれから収縮に向かうとしたらどうなるかを、真面目に考えてみましょう。
 (略)
 宇宙全体の歴史も逆戻りします。月は、ばらばらになりながら地球に吸収され、直後に大爆発とともに地球から火星ほどの大きさの天体が生まれ、遠くへ去っていきます。(略)やがて太陽は、ただの水素とヘリウムの塊となり、ガス星雲の中に埋没します。そしてついにダークマターも、ばらばらに分解されてしまいます。あとに残ったのは、原始の密度揺らぎだけです。こうして宇宙は、空っぽの状態に逆戻りします。
 すると、次には私たちの宇宙は、高次元空間で隣のブレーンと衝突します。ビッグバンです。サイクリック宇宙では、それは収縮から膨張に転ずるターニングポイントであり、ここから再び正の時間を流れる宇宙の歴史がスタートします。密度揺らぎのまわりにダークマターが集まり、ガスが集まり、星ができ、銀河が形成され、やがて星のまわりに惑星ができて、海や生物が誕生し……みなさんもご存じの宇宙史、地球史へとつながっていくのです。
 はたして宇宙は、このような歴史を何度も繰り返してきたのでしょうか。このモデルが正しいかどうかはともかく、再生と消滅の輪廻を繰り返す宇宙とは、まるで仏教的な世界観です。生物の恒常性や、時間の正負のバランスという観点からも、意外にもしっくりくるシナリオのように感じるのは、私だけでしょうか。
 ブレーンどうしの近づく、ぶつかる、離れる、また近づく、という動作の繰り返しも、何やら生物的な動きのようにも感じられます。「この宇宙は、ある大きな人の体内である」と考える信仰がありますが、ブレーンの動きはまさに心臓が鼓動を打っているようにも思えてくるのです。(高水裕一『時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて』講談社ブルーバックス〕/2020年/p.189-193)

なお、石(=彫刻)とブロンズ(≒塑像)の対照は、蛇紋岩の《みどりこ(嬰児)》(2021)(270mm×520mm×230mm)とブロンズの《みどりこ(嬰児) #2》(2021)(270mm×520mm×230mm)、大理石の《波》(2015)(100mm×205mm×170mm)とブロンズ《波 #2》(2022)(100mm×205mm×170mm)、黒御影石の《地下茎》(2015)(110mm×650mm×150mm)とブロンズの《地下茎 #2》(2015)(110mm×650mm×150mm)においても行なわれている。

ともにブロンズ製の《메아리(こだま)(レリーフA) #3》(250mm×280mm×20mm)、《메아리(こだま)(レリーフA) #4》(250mm×280mm×20mm)は、石の「原型」となる作品は展示されていないが、それゆえに、もとの声(音)ではなく、反射して遅れて聞こえる音(すなわち木霊)そのものを提示することになった。作家が何かに反応してそれを作品に昇華するまでには時間がかかる。遅れて聞こえる音(木霊)とは、本展の出展作品のみならず、美術そのものを象徴する。