可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 王露怡個展『花はまた咲く』

展覧会『王露怡「花はまた咲く」』を鑑賞しての備忘録
Bambinart Galleryにて、2022年5月18日~6月4日。

王露怡の絵画14点の展観。

ひょろひょろと伸びた茎から互生の葉を垂らし、同じ高さに白い花を咲かせる6本の植物を横に並べた《In the spring》(530mm×455mm)や、放射状に赤く長い花弁を伸ばす2輪の花が寄り添う《Twins》(412mm×320mm)では、花に目と口とを描き込んで擬人化し、童話のような世界を現出している。
また、表題作《Flowers bloom again》(1455mm×1120mm)では、項垂れる向日葵のような植物の周囲を、赤い花を頭、緑の葉を腕、茎を胴として形象化された生命ないし魂が、向日葵の花から落下して地中を経て、再び上昇する。生命の循環により輪廻を描き出している。花に形象化された生命が、雷文のような連続する赤い渦の周囲に登場する《Spiral》(242mmm×333mm)もまた同じテーマの作品と考えられる。本展のメイン・ヴィジュアルに作用されている《Flower eaters》(910mm×727mm)では、花の群生する草原が描かれている。画面上部に置かれた丸木舟のような容れ物の上側の花は摘み取られ食べられたらしく、花の姿が無い。「丸木舟」の位置には、草原を映し出す映像にクローズアップした光景を重ねるように、目と口とを持つ、白い花弁の花と、それに伸ばされた手とが描かれている。《Flowers bloom again》における落下のイメージは「捨身飼虎図」を連想させたが、《Flower eaters》では丸木舟が補陀落渡海を思わせる。また、《Flower eaters》において咀嚼自体は表現されていないが、花を持つ手の存在によって食物連鎖による生命の循環が明確に打ち出されている。画面の左上、左下、右下に重ねられた褐色は、捕食ないし咀嚼に伴う流血を表わすものであろうか。緑で薄く囲った画面の中に単純な花を表わした《Untitled》(455mm×333mm)では,
花のすぐ下の茎から赤い点が飛び散る。あるいは、これは死の表現かもしれない。
《Core》(333mm×242mm)は、鉛筆(?)で輪郭を描いた植物の周囲に青い絵具をごく薄く塗り、青空を背にした花を恰も空に浮かぶかのように描いた作品。花の中心にピンクの楕円(管状花の周囲ないし花粉?)、対生の葉に緑の葉脈が描き込まれている。単純かつ素朴な花の絵を印象的なものにしているのは、画布が2個所で水平方向に裁たれ、それぞれに花、茎上部、茎下部の描かれた3つの部分が縫い合わされている点である。モティーフの描き方は共通しているので、もともと1枚の画布に描いていたものを裁断したと考えるのが素直だろう(絵画の側面には青い絵具が塗られていないため、青い絵具は縫合後に施されたと考えられる)。だが、その縫合によって花と茎とは接続しないようにずらされている。好天に恵まれた休日のリゾートでの銃乱射事件にでも擬えられようか、画題が穏健であるがゆえにかえって切断と縫合の強引さが際立つ。芸術作品が対象に対して持つ根源的な暴力のメタファーであるのかもしれない。
樹木の切断面に現れる年輪の中に目・鼻・口を描き込んだ《Untitled》(455mm×380mm)は褐色の画面の暗さも相俟ってオディロン・ルドン(Odilon Redon)に通じるものが感じられる。針葉樹が画面を埋め尽くす《Tree》(652mm×530mm)では樹木の葉にわずかに緑色が配されて塗り残される一方、木々の隙間に入れられた赤が目立ち、樹木が互いを刺し合っているかのように見える。《Shadow》(530mm×530mm)では樹木と草花をシルエットとして灰褐色の濃淡で表わすが、項垂れた花のみならず、地中を透過して見える根がマンドレイクの根茎よろしく、人の姿に見えてくる。ギレルモ・デル・トロ(Guillermo del Toro)の作品に似つかわしい世界を画面に見てしまう。《Prickly plant》(652mm×530mm)に描かれた棘のある茎を持つ3輪の花は、薄暗がりの中で発光するかのように咲いている。その周囲に描き込まれた怪しくループする茎(蔦?)と黒い十字の輝きは、鑑賞者を魅力的な闇の世界に引き摺り込む。