可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 猪瀬直哉個展『The Utopia Chapter 6』

展覧会『猪瀬直哉個展「The Utopia Chapter 6」』を鑑賞しての備忘録
THE CLUBにて、2022年4月28日~6月11日。

架空のユートピアの歴史を構想した上で、その歴史をモティーフに様々な画家たちが制作してきた絵画がルーメン美術館に所蔵されているという設定で行なわれる、猪瀬直哉の個展。絵画19点、書籍"History of the Utopia"の断簡(表紙と、1頁に1章を充てた5頁)、関連資料で構成。

Colin Lucas(1486-1539)が1500年に描いた《The Construction of Utopia》という体裁をとる、エッチングを模した(?)作品では、石材の隣に座るアラブ人らしき工夫を前景に、中景には掘り込んだ場所の空中に渡した水路のような構築物、後景には多数のクレーンと作業員の姿が描かれる。時代は異なるがスエズ運河の建設(1859-1869)を想起させるような光景である。Edward Clarke(1504-1557)の1534年の作品《The costruction》という設定の作品には、奥に切り立つ崖の洞穴に向かって左右に高い壁が設置された中で、資材の運搬や瓦礫の撤去に当たる作業員の姿が描かれている。Xenyck Ulrich(1511-1567)の1536年作《The Sketch Utopia "Under Construction"》として制作された作品では、作家の構想した「ユートピア」を特徴付ける、3つの開口部を持つ巨大な石造の屋根が現れる。他2点を含め、冒頭の5点は1500年から1536年にかけての制作という設定であり、いわゆる大航海時代が背景とされている。ユートピアの起源となるトマス・モアの著作を踏まえてのことだろう。

 〔引用者補記:トマス・モアの〕『ユートピア』が刊行された1516年は、コロンブス西インド諸島への到達から24年後、南アメリカが「新大陸」であると論じたアメリゴ・ヴェスプッチの論文『新大陸』が発表されてから13年後のことである。それより後の17世紀に書かれたユートピア文学の古典群も、15世紀半ばから17世紀半ばの大航海時代における、ヨーロッパ人の地理上の“発見”とアステカやインカなどの中南米の文明との遭遇、ルネサンス宗教改革などがもたらした、それまで自明とされてきた〈あること〉の相対化や動揺と、それに対する新たな〈あること〉や〈あるべきこと〉の可能性の発見を背景としていると言えるだろう。
 ここで注目したいのは、モアのユートピアが新世界に、カンパネッラの太陽の都はスマトラ島に比定されるタプロパーナ島に、アンドレーエのクリスティアノポリスは南極地方のカパルサマラ島(=「平和な村」の意)に、ベーコンのニュー・アトランティスはペルーから日本に向かう途上の太平洋上のベンサレム島にというように、ルネサンスから近代への移行期に書かれた多くのユートピア文学において、〈あるべきこと〉を実現した未知の文明社会が、ヨーロッパの外部の〈他の空間〉に存在するとされていたことである。(若林幹夫『クリティー社会学 ノスタルジアユートピア岩波書店/2022年/p.67-68)

Ivan Sullivan(1748-1821)の1780年の作品を装って描かれた《Oil Sketch of The Utopia》や《The Utopia》、そして、作家自身による《The Utopia》(2021)では、2つの断崖の間に渡された壁が描かれる。コンクリートの打ちっぱなしのように見える、のっぺりとした白い壁は、これから絵が描き込まれるのを待っている、まっさらなキャンヴァスに比せられる。ユートピアが「ヨーロッパの外部の〈他の空間〉に存在する」ものではなく、これから建設されるべきものであるとの思想を反映するものだろう。

 (略)ヨーロッパの外部の世界が探検や征服や植民によって実際に知られてゆき、そこにある社会や文明が“未開”で“野蛮”な“非文明”としてヨーロッパ人の世=界の体制と社会の地形の中に位置づけられ、“進んだヨーロッパ文明”による支配や収奪の対象とされていくにしたがって、この地球のどこかに理想の社会や国家や文明があるという幻想は、ルソーやゴーギャンの場合のような“失われた原始の楽園”へのノスタルジアを除けば、多くのヨーロッパ人にとって次第にリアリティを失っていった(略)
 ユートピア社会主義者たち〔引用者註:アンリ・ド・サン=シモン(1760-1825)、ロバート・オーウェン(1771-1858)、シャルル・フーリエ(1772-1837)など〕にとって地球全体がユートピアのための場所であったのは、新しい社会を計画し、現実にそれを建設することを目指した彼らにとっては、地球上のあらゆる場所が〈現存しない・理想的な・社会〉を未来において実現することに開かれた場所として考えられたからである。ユートピアが地上のどこかにすでに存在することにリアリティはなくなったが、未来において地球上のどこにでもユートピア的な社会を――先住者たちの文化や社会や文明は無視して――建設しうるということには、リアリティもアクチュアリティもあったということである。サン=シモンが鉄道や運河の建設に入れあげていたことに示されるように、新しく発明された鉄道や蒸気船のような交通機関や、土木工学技術の発展によって、地上のさまざまな場所に進出し、新しい社会を建設することも、そこでは現実的なこととなっていった。(若林幹夫『クリティー社会学 ノスタルジアユートピア岩波書店/2022年/p.72-73)

Emmett Edwards(1823-1889)作《Euphoria》を装って製作された2点の絵画は、作家の「ユートピア」に特徴的な3つの開口部を持つ巨大な石造の屋根の中に、花畑とその間に点在する樹木とが印象派を思わせる画風で描かれている。エベネザー・ハワード(1850-1928)の田園都市を先取りする作品として提示されているようだ。

 『イデオロギーユートピア』や『ユートピアの精神』と比べるとより“現実的”な“アメリカ的健康さ”を感じさせるこの本〔引用者註:『ユートピアの系譜』〕で、マンフォードは、近代において社会の編成を導いたユートピア的な集合表象――マンフォードはそれを「社会神話」とも呼ぶ――として、近代化の過程で都市から避難したブルジョワたちの消費生活の理想郷として構想された「カントリー・ハウスCcountry House」、消費財を生産するための労働者のための工業都市である「コーク・タウンCoke Town」、そしてメガロポリス(巨大都市)を媒介項としてそれらを結びつける「国民的国家National State」あるいは「国民的ユートピアNational Utopia」をあげている。そして、それらの理念がいずれも、現実にさまざまな社会問題を生み出してきたとして、“都市と田園の結婚”としてエベネザー・ハワードが提唱した田園都市論的な都市計画こそが、ユートピアの現実化に至る道であると主張した。(若林幹夫『クリティー社会学 ノスタルジアユートピア岩波書店/2022年/p.92-93)

ユートピアを思い描くことには、現実の社会に何が欠如しているのかを明らかにするとともに、その欠如を埋め合わせるべく人々を動かし、社会を変革する働きがある(若林幹夫『クリティー社会学 ノスタルジアユートピア岩波書店/2022年/p.18-19、p.61参照)。だが現代はユートピアを思い描くことすらできない閉塞した状況にある。

 (略)「現実」と対になり、「現実」に統一的な意味を与える「反現実」が、そこでは「不可能性=あり得ないもの」であり、それゆえ唯一の「可能なもの」として「現実」を理解するのが〔引用者註:大澤真幸の述べる〕「不可能性の時代」であるとすれば、「不可能性」は〔引用者補記:現実と一致しない理想や夢の実現に向けて社会を変革する可能性がある〕マンハイム的な意味での「ユートピア」ではありえない。現実に対して「そうではないもの」の可能性を志向すること、すなわち〈一〉であることに対して〈二〉であることを志向することが、先に述べたように人間的世界のリアリティとアクチュアリティであるする仮説からすれば、〈二〉であることが不可能であり、〈一〉である“この現実”しかありえないというリアリティ(現実像)は、イデオロギーなのだと言うこともできる。「理想」も「夢」も、そして「虚構」すらも「現実」を超えるものとして志向できなくなったのが「不可能性の時代」だとすれば、それはきわめて閉塞感の強い時代だと言えるだろう。(若林幹夫『クリティー社会学 ノスタルジアユートピア岩波書店/2022年/p.19-20)

作家は、"History of the Utopia"と題した「偽書」を制作し、「ユートピア」の完成までを5章で綴っている。それに対し、本展のタイトルに「第6章」を掲げているのは、「虚構」によって「現実」を超えようとする、すなわち時代の閉塞を打ち破ろうとする姿勢の表れと解して良いのではなかろうか。